第五章 ローン・ニューロン
1
荒野を進むフィンガーⅡとメガヴィティ。その視界前方には巨大な箱型ギガヴィティが捉えられていた。
ローンがギガヴィティに軍事回線を使って通信を入れる。
「やっと、追いついた――」
だが、返答はなかった。いや、連続して放たれたビーム砲が答えだった。
フィンガーⅡを巧みに操ってこれをかわすローン。その隣では計算された動きでナーヴのメガヴィティも光線をかわしきった。
「とんだ御挨拶だな、娘よ」
ローンが呼びかける。宙に浮かんだまま、後方へと向き直るギガヴィティ。同時に一条の荷電粒子砲が放たれる。これを予測していたガイナックルとメガヴィティは容易く回避した。
「タイプⅢ――私がお前のために造ったギガヴィティだ。すべての武器を把握しているよ」
ローンはおもちゃを与えた娘へと言い聞かすように言った。
その途端、箱型のギガヴィティは人型へと変形した。
「将軍――」
それはタイプⅢのパイロットが発した初めての声だった。
「では、あなたはそれを〈愛〉だとおっしゃるのですね」
パイロットの声は怒るでもなく、嘆くでもなく、ただ無感情に言葉を伝えた。
「愛しているよ、マイ。それはあの頃も今も変わらない」
「いえ、違うわ。あの頃のあなたは〈あなたの娘〉を愛していた。そして今のあなたは〈血の繋がった者〉を愛しているのよ。私自身を愛したことなど一度もないわ」
「マイ――お前にはわかって欲しかった。何故、お前でなければならなかったのかを。だが、もう、どうでもいいことだ。私は退役した。帰ってくれ、マイ。お前のいない人生など私には何の意味もない」
ローンの訴えにマイ・ニューロンの心は僅かに揺らいだ。だが、それは一瞬だった。
「そして、私は保護下に置かれモルモットのように実験材料にされるのね。これは何? 被験者における愛情レベルの観察? 失った信頼も愛情も取り戻せるものじゃないわ。あなたが母にそうしたように!」
マイは最後の言葉で感情を露にして叫んだ。
ローンも妻のことを思い出すと胸が痛んだ。
「仕方がない。あの頃はあれが正しかった。私には責任があった。崩壊していた軍隊というシステムを立て直す責任が――」
「そう。そうして家庭を守る責任を放棄したのだわ」
『あれも同じ事を言っていた』――ローンはマイの中に妻の面影を見た。
「あの頃はすべてがうまくいくように思えたのだよ。何も失う物はないのだと」
ローンの心が過去へと飛んでゆく。最も充実し、おそらく最も幸せだった頃に――。
2
魔法文明回帰主義者たちによって引き起こされた『テル・メギド・ウォー』。当時の連邦政府軍は収賄・横領など自己利益を優先とする腐敗したシステムに汚染されていた組織だった。終戦後、理想を求め大佐からのし上がったローンは軍事産業に関わる者たちの支持を集めて、軍部の浄化に奔走した。中でも最も彼を支援したのは連邦政府科学技術局の若き局長シオンだった。彼は政府内部の人脈を使ってローンの敵対勢力を政治的に抹殺していった。さらに連邦政府軍の確固たる基盤を確立するために極秘プロジェクトの推進を提案してきた。
当初、ローンはシオンが純粋な科学的興味からこれらのプロジェクトを推し進めたがるのだと思っていた。だが、彼はあまりにも政治に疎かった。ローンがシオンのプロジェクトに隠された危険性を察知したとき、彼はすでに権力が自分から切り離されていることに気がついた。彼は軍人たちの象徴、連邦政府のための傀儡に過ぎなかったのだ。ローンは僅かな抵抗として、娘であるマイを被験者に推薦した――絶対的に信頼が置け、正義のために立ち向かえる強い意志を持つ者を。
そして、マイは逃亡した。ローンの唯一の誤算は「彼女が彼を信頼していなかった」ことだった。ローンは施設を破壊した娘の責任を取って退官した。だが、彼の本当の目的は失くした絆を取り戻すことだったのだ――。
「それで将軍様の本当の目的はなんでしょうか?」
マイは皮肉な口調で冷徹に問いかけた。ローンはハッとして自分の意識を過去から呼び戻した。
「そちらのロボットと同じような、戦う兵器をもう一体御所望なのかしら? だとしたらお喜び頂きたいわ、将軍。この兵器は逃げ延びるために幾つもの命を殺めてしまった!」
マイはまるでその手が血に染まっているかのように、両手の手の平を自分の前に広げて見つめた。そのとき初めて彼女は、自分が何の目的もなくただ生き延びるために逃走してきたことに気づいた。
「なんのために生き続けなければならないの? 生きることにどんな意味があると言うの? もう、私は普通の人間じゃないのに!」
〈超魔術ウイルス〉――別名マギ・ウイルスは潜在的な魔導能力を秘めた人間を人工的にマギへと覚醒させるプロジェクトによって生まれた。優れた能力を持つ人間たちにより新たなる人類の可能性を開く――それがその計画の趣旨だった。それに賛同したからこそ、マイは父の提案を進んで受け入れた。しかしマイはその実態をも知ってしまった。悪夢のような〈覚醒〉に成功した被験者には専用のギガヴィティが用意され、生き残るための術を刷り込まれる。彼女たちは軍の魔導部隊へと仕立て上げられたのだ。
「知らなかったとは言わせないわ! あなたは破壊兵器を生み出すことが目的だとわかった上で私を――私たちを巻き込んだのよ!」
それは事実だった。ローンにとってマイはスパイであり、協力者であるはずだった。だが、真実を知って実験へと望むのには命の危険があった。ローンが期待したのは〈覚醒〉した魔導部隊をマイが率い、軍を掌握しようとしている連邦政府に立ち向かうことだった。
『だが、間に合わなかった。行き違い――ささいな行き違いが致命傷となったのだ。いや、私が勝手に娘に幻想を抱いていたに過ぎない。私と彼女の心は、妻を失ったあの日から離れていたのだ。私にはそれを認める勇気がなかった――行き違いはあの頃からだったのだ』
ローンの頭の中を次々と思考が駆けめぐる。愚かな選択をした後悔、道化に甘んじる事への反発、正義という大義――いや、それらすらどうでも良かったのだろう。
「――私はお前を理解し、お前と共に歩んで行きたかったのだ」
ローンのつぶやきにマイは悲しげに答えた。
「あなたはいつでも独善的だった。母にも私にも求めていたのは隷属だった。なぜもっと早くに気づこうとしなかったの?」
失った絆はもう戻らない――マイはいつの間にか自分が涙を流していることに気がついた。
3
敬虔な聖教徒であるノーネーム・マッドは、三体の機動兵器から離れた山岳地帯の窪みにブラッディを隠し、政府の諜報活動用衛星カメラを介して家族間の会話を盗聴していた。
「いいですねぇ、家族は。争い、癒し、また絆を深める。本当に素晴らしい」
誰に言うでもなく楽しげに呟きながらも、その指先は休まずにキーボードを叩き、コクピット内の端末に転送されてきた複雑なデータを引き出し、改竄していた。
「ほんの少し、ドラマティックに盛り上げてあげましょう。それが神の御心であり、与えられたもう試練なのです」
不気味に笑いながら、ノーネームは衛星から送られてくる親子の機体の映像に十字を切った。
「アーメン」
ナーヴは自分の中に何かが入り込んでくるのを感じ、抵抗した。だが、彼にできたのはハッカーから脳神経を隔離することだけであった。これでナーヴは自分の存在を護ったが、肉体であるサイボーグボディは侵入してきたプログラムによって支配されてしまった。
ハッカーはこう告げた。
「破壊・殺戮・略奪――死だ! 死こそ最も美しい!」
動いたのはマイが先だった。フィンガーⅡとの距離を取り直す。
「さあ、戦いなさい。私を取り戻したいと望むなら!」
ローンも認めるしかなかった。勝者だけが敗者を救うことができるのだろう。
『だから――』
ローンは心に決めたことをあえて声に出して娘に伝えた。
「だから私は負けるわけにはいかない! お前と、私自身を救うために!」
フィンガーⅡもタイプⅢとの距離を保って並走する。同時にローンはナーヴへと待機命令を発した。その命令に対するナーヴの返答は戦いの騒音にかき消されてしまった。
「――死だ! 死こそ最も美しい!」
フィンガーⅡとタイプⅢのいつ果てるとも知れない戦闘は突然の乱入者によって阻まれた。いきなり襲いかかってきたスクィーズ兵器にローンは戸惑い、マイは冷静にこれをかわした。
「まさか――メガヴィティ?」
ローンは動揺を抑えきれなかったが、宙を舞いながら襲い掛かってくる兵器からマイをかばう位置で構えた。
「なんて愚かな猿芝居を考え出したのかしら」
マイは次々にスクィーズを撃ち落としながら冷酷に言い放つ。
「そんな演技で私の心を引けるとでも思ったの?」
ローンは言い訳をしなかった。正確にはしている暇などなかった。必死で攻撃をかわしながら、同時にナーヴの中枢コンピュータにアクセスしている。接続が終わり、小型情報ディスプレイにはナーヴのシステム管理画面が映し出されるはずであったが――。
『死だ! 死こそ最も美しい!』――画面に次々と打ち出されてゆく一つの言葉。ローンは接続を切り離そうと試みたが、端末がウイルスに侵されて暴走していた。外部接続用のサブコンピュータの電源を切り、アクセスを断念する。
「娘よ。どうやら力を合わせてこの窮地を脱するしかないらしい」
マイはローンの呼び掛けに皮肉を返そうとしたが、その声音の深刻さに気づき、思い留まった。
「じゃあ、破壊するのね?」
メガヴィティを見据えてマイが問い返す。
「そうだ。パイロットはナーヴ、お前も知っているだろう? サイボーグだ。遠慮することはない。つまるところ、兵器に過ぎないのだ」
マイはその言葉の響きにローンが自分自身を納得させようとしている印象を感じとったが、あえて無視した。そんな事を問いただしたところで得るものはないし、第一答えはわかっているからだ。
『良心があるのなら野望など持たなければいい!』――マイは内心で毒づいた。
4
彼らの接近を最初に感知したのはブラッディだった。もちろんノーネームはこの遭遇を予期していたからこそ、衛星をハッキングして広域での探索を行っていたのだ。
「盛り上がってきましたねえ」
面白そうに呟く。
「あと三十分ってとこですか――合流前に一つドラマを演出できそうですね」
ノーネームは機体を隠し場所からナーヴたちが繰り広げている戦場を見下ろせる崖の上へと移動した。まだ距離的には肉眼で見えるかどうかの距離だ。ノーネームはブラッディを射撃形態へと変形させた。機内に内蔵された荷電粒子砲を一点に集中させるための特殊形態であり、ノーネームは自分で設計しながらもこの醜い形を嫌悪していた。
「すぐ済ませますよ――二人とも私に感謝するでしょう。失くした物を私が与えてあげるのですから」
不気味に笑いながら、ノーネームは照準を絞った。
マックスは同行しているメンバーを思うと気が滅入った。スティングとキャラは優れた戦力であると同時に問題児だし、それに輪をかけて問題を抱えそうな上、戦力と言っていいのかどうか判断のつきかねるケイとガイル。実戦経験の乏しいレイラとランド。さらに正体不明のハッピーB。自他とも認める完全な戦力外のジェム。知らない人間がこの一行を見たら難民キャンプと勘違いするかも知れない――マックスは冗談とも本気ともつかず、そんな事を考えていた。
今、ブリッジにはマックス一人だった。
格納庫ではスティングを中心とした整備班が調整や修理を行っている。今やビッグマックの格納庫は圧巻されるほどに満載であった。搭載機体数は規定通りだが、重量はヘビー級なガイナックルが多いため、マックスにはビッグマックの移動速度が遅くなったように感じられた。レイラのアーティレリィ、スティングのゾーク、ランドが乗ることになったジュール、ハッピーのキーロに加え、新たに補充されたのが、キャラのガジャ、ガイルのギーガー、ケイのドワーヴ、そしてマックスのガーディだった。
とても一人では手が回らないと愚痴るスティングは、独学ながら整備技能を持つランドに協力を求めた。そしてもう一人、意外な才能を発揮したのがジェムだった。当初は人手不足から無理矢理駆り出されたのだが、機械に対する飲み込みが早く、充分にスティングの役に立った。そんな訳で、いつの間にか三人が整備班として稼働していた。ハッピーもほとんどの時間、ランドの助手を務めている。
ケイとガイルは相も変わらずシミュレーター漬けの日々を送っていた。キャラは不参加を決め込んだが、ケイがコンピュータ相手に勝率とレベルを上げていく度に対戦して、その天狗っ鼻をへし折ってやった。それによって雪辱に燃えるケイは更なる向上心を得るのだった。
その為、ブリッジはレイラとマックスに任され、補佐としてキャラが加わっている。キャラがマックスの当番の時に多くの時間を割いているのはご愛敬だったが。
今はレイラもキャラも睡眠中だった。追跡は衛星から送られてくるギガヴィティの微弱な残存信号を捉えた電波によって行っている。その為、標的を見失わない代わりに正確な位置は割り出せなかったが、もはやそう遠く離れていない場所にいる事はその信号が強くなっていることでわかった。
『いよいよだ』――マックスは心に期した。三機のファントムランナーを一瞬で破壊したと言われる謎のギガヴィティ。そしてローンとナーヴ、それにノーネームもこの追跡路の何処かにいるに違いなかった。
『いったい、誰と戦うことになるのだろう』――マックスはなんだかんだと言いながらも、今ほど仲間たちの存在を心強く感じたことはなかった。
5
マイは瞬時に新たなエネルギー反応を感知していた。そしてその標的が自分であることも。しかしローンの動きに惑わされたメガヴィティを、今まさにタイプⅢの照準で捉らえているところでもあった。
『撃ってから回避すればいい。決定的なダメージを与えられるはずだ』――決断を冷静に分析する時間はなかった。内心から沸き上がる破壊衝動が自己防衛本能を上回る。
時が止まったような戦場を、二筋の光が駆け抜けた!
次の瞬間、二ヶ所で同時に爆発が起きた。胸部から左腕を消失したメガヴィティ。そして――
腹部に弾痕を残し、内部からの火花が機体全体に飛び火しているフィンガーⅡ。その隣ではフィンガーⅡのタックルによって荷電粒子砲の直撃を免れたタイプⅢが立ち竦んでいた。
「なぜ――」
マイは茫然と呼びかけた。
返事はない。フィンガーⅡの中では被弾の衝撃で全身を強く打ち、辛うじて意識を保っているローンが血まみれの姿で機体の爆発を待ち構えていた。
「――離れろ」
フィンガーⅡのコクピットが火を吹き始めた。反射的に後退するマイ。
「逃げて!」
叫ぶマイ。だが、その声はローンには届かなかった。
「許してくれ――」
爆音と共に炎上するフィンガーⅡ。マイの脳裏を幸せだった頃の家族の想い出が駆け巡った。マイは知らぬ間に自分が涙を流していることに気がついた。
「お父様ぁ!」
爆煙が立ちのぼる荒野の空に悲痛な叫び声だけが響き続けた――。
その爆発と黒煙をマックスは微弱の振動と遥か前方ながら微かな目視によって捉えていた。
『あれはガイナックルの爆発?』――ビッグマックのレーダーが捉えた情報の解析を待ち切れず、マックスは衛星からのデータ転送を端末から指示し始めた。間髪入れずブリッジにやって来るキャラ。続いてレイラが入って来た。スティングも格納庫の端末で独自に情報を集めていた。
「距離三千!」
次々と送られてくる情報を読み上げるレイラ。キャラも隣で熱源データを解析していた。
「爆発の周囲には二機のガイナックル――いえ、離れた所にもう一機いるわ」
マックスは爆発を捉えた衛星から破片などのデータを集積、それをもとに爆発の対象を再構成し、物体の正体を確かめようとしていた。
『破壊されたのがあのギガヴィティだったならば、不本意だが喜ぶべきなのだろうか?』
自分と関係のない所で事件に終止符が打たれる。その事に安堵と不安の入り交じった複雑な感覚を覚えていた。
「これは――」
画面上に再現されたガイナックル。そのパイロットが誰なのか――マックスは考えるまでもなく理解した。
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