第3話

「ちょっと、お姉さま。そんな上等な服どうされたのかしら」


 宴の準備が始まった。神無月の上旬の夕暮れ。慌ただしく侍女たちが動き回っていた。


目の前には月下花の群生。そこの一角に長机、椅子、淡い照明のぼんぼりが並んでいく。


妃たちは自分を磨くため化粧や服装や装飾品に力を注いでいた。


 そのときまでは、紅葉はいつもと変わらない麻の地味な服を着ていた。紅葉は朔夜から貰った月の雫のペンダントを、そっと唇に触れさせてみた。


 瞬間、服が真っ白な絹にり替わり、驚く。首には月の雫のペンダント、髪も月の形のかんざし、薄目の化粧。まるで別人のようだった。


 それを妹に指摘されたのだ。


「そんな服、あげた記憶、なくってよ」

「えっと……妃が薄汚れた格好をしていては皇帝に失礼になるって、怒られて支給されたの」


 っと誤魔化したが、妹の気が収まらないようだった。支給された物を奪うことは出来ない。ぶつぶつと文句を言いながらも解放された。




 夕日が沈む。夜空は月が支配する。辺りはすっかり暗くなり、妃たちは席に着く。


すると、小さな黒い点が満月に現れた。徐々に大きくなる点。


月を背景に神々しい精悍な顔をされた美しい皇帝が、動く雲の上に乗って降りてくる。


皆、息を吐き頬を染めた。紅葉は皇帝の後ろにいる側近たちに目を泳がせていた。


──あの中に朔夜がいる。


 胸が高鳴っていた。友達に初めて会うときはこんな感じなのだろうか。


 皇帝が宴に降りられると、皆、席を立ち礼拝する。壇上に皇帝が上がり座ると宴が始まった。


 琴や竪琴、笛が場を盛り上げる。美味しい食事にお茶が振る舞われた。

 妃たちからの献上品がひとりずつ皇帝に渡される。受け取るのは側近だ。


「月下花だな」


 紅葉の番になり心あらずで献上品を納めると、皇帝からお声が掛かった。


今まで誰ひとり妃に声などお掛けになっていなかったのに、皆がぎょっとした。


皇帝は月下花の刺繍された手巾をじっと見つめ、おもむろに紅葉に向いた。美しさに、息が一瞬止まる。


「は、はい。宴をイメージして刺繍をいたしました」

「そうか」


 驚きすぎて声が震えてしまった。すぐに紅葉は助け舟が欲しくて、朔夜を思い、探した。


つい皇帝の後ろに目をやる。それを見て、皇帝の眉がひそめた。失礼だったことに気がつき深々と頭を下げて紅葉はその場を立ち去ろうとした。が、


「お前の入れた茶が飲みたい」

「えっ」


 と皇帝に言われ、紅葉は硬直する。


妃たちにどよめきがあがる。妹の目が怒りに満ちていた。


皇帝に逆らう訳にはいかず、棘のような視線を浴びされながら、紅葉は皇帝に茶を作る。


花茶は少し曲がある。紅葉は自分好みにバラの花やハーブを入れてブレンドした。


茶を真っ白な陶器のティーカップに注ぐ、ゆらりと蒸気が立つ。緊張で震える手を、どうにか抑え、皇帝の前に置く。


皇帝は躊躇わず、毒見もせずに口にする。


「上手い」

「ありがとうございます」

 

 紅葉はほっと胸を撫でる。懐にある朔夜への贈り物の手巾をそっと出し見やる。


──朔夜に会いたい。


 この近くに朔夜がいるはずなのに、誰が朔夜なのかわからない。それが辛い。


皇帝の側近が、なにやら、毒見もせずに茶を飲まれたことに、怒り、皇帝が注意をされていた。


紅葉は、皇帝に気づかれないまま、拝礼をすると、その場から離れた。

 キョロキョロとする。


──朔夜


 探す。やっぱり、誰かわからない。紅葉は皇帝の側近に近づき、朔夜が誰か聞いた。


皆、知らないと言った。まるでそんな月人は最初からいないようだった。


 朔夜はここに来ると言った。それなのに、いない。

 どこにいるのだろうか?


 皇帝はなにを気に入ったのか、ことあるごとに紅葉を呼び付け、話しかけてきた。


ただの戯れだろう。紅葉はため息をする。皇帝との話はそぞろ、朔夜に会えないことで、なぜか泣きたい気分になる。


あんなにも、この宴を楽しみにしていたのに、朔夜がいないと、こんなにも心が凍るのかと思った。

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