第95話 光明②

 アイラは暗く静かな水中を、ただひたすら深く深く潜っていた。

 水面にほど近い場所では水泡が激しく浮いたり沈んだりしていたが、そちらは気にしなかった。ルインに任せたのだから、あの大きな魔物はルインがなんとかしてくれるはずだ。

 魔導具の効果で呼吸は確保できているし、結界魔法のおかげで寒くもない。首長竜が縄張りにしているせいか、他の魔物はほとんど見当たらなかった。

 足で水を蹴って進めば、やがて水底が見えてきた。地面には砂利に混じってキラキラと光る石がある。アイラは右目に鑑定魔導具をあてて、鑑定してみた。


氷虹石ひょうこうせき

内部に魔力を宿し、虹色に光る氷の石。主に北国の水中で産出される。魔導具や錬金術の材料になる。


 やった、と思った。石を拾って腰のポーチの中に入れる。ポーチがパンパンになったところで、もうこれくらいで十分だろうと思い、ジーナ探しに集中することにした。

 と、背後に気配を感じて振り向くと、暗い中で目だけが黄色く光る巨大な魚の魔物の姿があった。明らかにアイラを食べようとしている。武器を取り出している暇はない。右手を突き出したアイラは、魔法を放った。

 初級魔法のフローズンアロー。氷の矢尻が魚の頑強な鱗を貫通して突き刺さる。魚の魔物は痛みに体をくねらせて、どこかへと去って行った。

 アイラは周辺を警戒しつつ、湖の中の探索を進める。

 水中はどうしても地上に比べると動きが鈍くなってしまう。かといって武器を持ったままだとうまく泳げないので、出てくる敵は魔法で蹴散らすしかない。

 湖の中は、広かった。

 水の世界は静かで、しかし時折水草の影から魔物の姿が飛び出してくるので油断ならない。魔物が少ないと言ってもゼロではないので、捜索は中々に大変だ。そもそもジーナがいるかどうかもわからない。

 中は起伏に富んでいて、一面水草で覆われている場所はかき分けながら進み、岩が隆起している場所は迂回した。水底は砂利が厚く積もっていて、礫を撒き散らしながら攻撃を仕掛けてくる魔物もいた。

 そうして二時間も捜索をしていただろうか。

 アイラは崖のように切り立った岩から生える水草の間で、何かが光っているのを見つけた。氷虹石とは異なる光り方をするそれに興味を引かれて近づいてみる。ゆらゆら動く水草をかきわけると、それはーー巨大な氷塊だった。全貌を見たアイラは、おもわず息を呑む。


「…………!」


 アイラの身の丈ほどの氷の中には、氷漬けにされた少女が入っていた。浅葱色の短い髪を持つ、十五歳ほどの少女は、死に際の状態そのままで保存されていた。

 その顔は恐怖にこわばっており、何かから身をかばおうと体制を低くして両手で頭を覆っている。しかし全身に怪我らしい怪我は見られない。身のこなしを軽くするための軽装備。装飾性に乏しい服装。正しく冒険者の装いをした彼女こそ、フレデリックが長らく探していた妹に違いない。

 おそらくマンムートと遭遇し、魔法を浴びて氷漬けにされた後、湖に落ちたのだろう。こんなに綺麗に保存されているとなれば、破けた衣服や血痕など見つけられるはずもない。彼女はずっとここにいたのだ。暗く寂しい、ぶ厚い氷に覆われた湖の底に。

 アイラは氷塊に手をかけてひっぱろうとしたが、つるつるするので難しかった。そこで手持ちの調理道具の中からファントムクリーバーとただの包丁を取り出すと、ジーナを傷つけないよう氷の表面に突き刺し、ハンドル代わりとした。

 氷は重い。人一人が入っているとなれば尚更だ。一度体勢を立て直し、岩に足をかけてから、えいやっと岩を蹴って水面に向かう。しかしさすがに無理があった。

 どうしたものかな、と水中で腕を組んで考える。一人で引っ張り上げるのは無理がありそうだ。周囲をキョロキョロ見回して、揺れる水草に目を止めた。引っ張ってみると、なかなかちぎれず、かなり丈夫であることがわかる。

 これだ、と思った。

 小ぶりの果物ナイフを引き抜いて水草を根本から切断し、何本かの水草を繋ぎ合わせる。これを二本作った。二本とも長さが十分になったところで、水草の端を氷塊に突き刺さったままのファントムクリーバーと包丁の柄に一本ずつ巻きつけ、もう片方の端を持って水面に向かって泳いだ。


「ぷはっ」


 浮上したアイラに、「アイラ!」と呼ぶ声がかかった。ルインが湖の端からこちらを見ている。隣にはフレデリックもいて、さらに背後には首長竜の死体が転がっていた。アイラは水草の端をしっかり握りしめたままルインたちの方へ泳いでいく。ルインより早く、フレデリックが駆けて来た。


「いたか!?」

「うん。でも、凍っちゃっててあたし一人の力じゃ持ち上げられないから、これ持って引っ張って欲しい。あたしは水の中で、引き上げる補助するから」

「何……わ、わかった」

「うむ」


 フレデリックとルインに水草の端を手渡すと、アイラは水中に引き返した。今度は水草を辿れば氷漬けになったジーナの元にたどり着けるので簡単だ。水草が引っ張られていて、早速ルインとフレデリックの二人が引き上げようとしているようだった。アイラは急いで氷塊の元に行くと、不安定にぐらぐらしている氷塊の底に両手を当て、確実に引っ張り上げられるように配慮した。

 氷の塊がゆっくりと浮上していく。アイラは水を足で蹴って進みながら、それを支えた。

 湖面の光が目に映る。氷塊が水の上に出て、続いてアイラも湖面に顔を出した。


「ジーナ……ジーナ!」


 フレデリックが遮二無二水草を引っ張りながら、ひたすら妹の名前を呼んでいる。アイラとともに氷塊が接岸すると、三人は全力で氷の塊を雪原に引き上げた。


「ジーナ!」


 フレデリックは目に涙を浮かべ掠れた声で妹を呼びながら、冷たい氷の表面を引っ掻いていた。一方のルインは感心した目をアイラに送っていた。


「本当に湖の中にいたとはな。溶かすか?」


 フレデリックは氷を引っ掻くのをやめてルインを見る。


「中にいるジーナまで燃えないか?」

「温度の調整は容易い。そのくらいの配慮はできる」

「なら、頼む」


 ルインは前足を氷塊に乗せると、自身の体温を上げてジリジリと氷を溶かし出した。やがて氷が全て溶け、中の人物が出てくる。


「ジーナ!」


 五年の歳月を経ても驚くほど生前のままの状態を保っている妹の亡骸を、フレデリックはその腕に抱き止めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る