第94話 光明①

 アイラが湖に消えた後、地上にはルインと灰色の男が残されていた。目の前にいる首長竜なる魔物は既にルインの一撃を食らっており怒り心頭の様子だ。ルインは油断なく首長竜を見据えたまま、じりじりと距離を保つ。

 そこで、未だルインの上に乗ったままの灰色の男が声を上げた。


「おいっ、あいつ、もう潜って行ったが大丈夫なのか!? というか、俺たちはどうする?」

「やかましい。何の問題もないに決まっているだろう。問題があるとすれば……どうやってこの魔物を、あまり傷つけずに倒すのかという部分だけだ」


 ルインの攻撃手段は基本的に火球をぶつけるか、足の爪で引き裂くか、さもなければ噛み砕くかのいずれかだ。どれも損傷は避けられない。アイラのように綺麗な状態で仕留めるのは不可能である。


「首を狙うか。お前、邪魔だから降りていろ」

「うぉっ」


 ルインは灰色の男を振り落とすと、首長竜との戦闘に集中した。この男はまあ、逃げ隠れするのは上手そうだし、勝手にどうにかするだろう。戦力としてははじめから期待していない。そもそもこの程度の魔物ごときルインの敵ではないため、協力して仕留めるという頭は最初からない。

 ルインは肺一杯に空気を吸い込んで、胸を膨らませた。火狐族であるルインには、体内に「火嚢かのう」と呼ばれる魔力溜まりがあり、これのおかげで人間のように魔力を練ったり操作したり呪文を唱えたりしなくとも、高熱の炎の球が瞬時に吐き出せる。

 短く連続して息を吐き出すと、ルインの口から紅蓮の炎が連なって飛び出した。先ほどよりも一つ一つは小さいが、数が多い。まだ初撃の衝撃から立ち直っていない首長竜相手に、一気にたたみかける作戦だ。

 しかし敵もそう馬鹿ではないらしく、湖にザブッと潜ってしまった。灰色の男が背後から叫ぶ。


「やばい、あいつの狙いが水中のアイラに向いたら……! 俺も潜って引き付ける!」

「いや、そうはならないだろう」


 ルインは、今にも湖に飛び込もうとする男のフードを齧って引き止めた。

 この手の魔物の知能はさほど高くない。攻撃された相手に怒りの矛先が向くはずだ。ルインが湖岸で次の攻撃に備えていると、案の定首長竜が再び湖から姿を現した。今度は顔ではなく、尾の方だ。首同様に長い尾が凍れる湖の中から伸びてきて、氷の塊を巻き上げる。ルインはまたしても火嚢から火を吹いて氷塊を溶かし尽くした。

 首長竜の追撃が迫る。巨大で獰猛な生物が水中をすごい勢いで進みながら、首をくねらせ歯を剥き出しにして襲いかかってくる様は、大抵の生物が尻尾を巻いて逃げるほど恐ろしい光景だろう。しかしルインはこうした修羅場に慣れきっているため、全く怯まなかった。

 雪を蹴って宙に飛ぶ。

 ルインにとって幸いだったのは、首長竜が長距離攻撃手段を持っていないということだ。広い湖の真ん中からブレスを吐きまくるタイプの相手であれば、さしものルインでも苦戦を強いられる。湖は足場が壊れた氷の塊しかない上、ルインの体温だと長時間氷に乗っていると溶けてしまう。距離が縮められるというのはありがたい相手だった。

 ルインの跳躍力は並ではない。

 ひとっ飛びで首長竜の真上まで躍り出たルインは、口を開いて待ち構える首長竜に特大の火球をお見舞いした。炎が爆ぜ、直撃する。かつてゴア砂漠に棲む魔物、デザートワームグロウ相手にアイラが見舞った火魔法の如く、口内に火球が吸い込まれ内側から爆発した。仕留めたかと思ったが、首長竜は黒煙を吐き出しながらもまだ生きていて、狂ったように暴れ出した。


「む、なかなかしぶといな」


 ルインは痛みにのたうつ首長竜の蛇のように長い首に降り立つと、焼け焦げた首に歯を立てた。ルインの長い牙が首長竜のなめらかな灰青色の鱗をいとも容易く食い破り、四肢の爪が肉に食い込む。首長竜は全身をひねって派手に暴れ、青い血が大量に飛び散り、湖面が荒波で泡立ち、湖岸に氷塊が撒き散らされた。

 しかしどれほど首長竜が暴れようとルインからは逃れられない。勝敗は既に明らかだ。

 首の半分ほどまで食い破ったところでとうとう力尽きた首長竜は、ふっつりと糸が切れたかのように抵抗を見せなくなり、体を傾がせ、湖に向かって倒れていく。


「おっと」


 ルインは口から青い血を滴らせつつ、首長竜の首を滑り降り、ヒレを噛んで顎で掴むと、湖岸に引き寄せた。

 絶命した首長竜がヒクヒク体を痙攣させ、青い血を滴らせる様を見つめつつ、ルインは唸り声をあげた。


「うーむ……派手にやりすぎたな。胴体部分は食えそうだから、これで良しとしよう」


 邪魔にならない場所に避難していた灰色の男が出てきて、恐々と首長竜の死体を見つめた。


「……あっという間に、しかも無傷で倒した……」


 畏怖の目がルインに注がれるが、ルインとしては心外だった。


「驚くほどのことではなかろう。この程度の魔物、倒せて当然だ。アイラも無傷で、しかももっと綺麗に倒せる」

「倒せて当然!? おそらく二級冒険者がようやく討伐できるレベルの魔物だぞ!」

「そうなのか? なら、やはり倒せて当然だろう。アイラはその二級冒険者とやらだ」


 灰色の男は口をパクパクさせていた。


「あの女、そんなに高レベルの冒険者だったのか……」

「まあ、本職は料理人だがな」

「本職が料理人の高レベルの冒険者……?」


 男は混乱しているようだったが、ルインは気にせず湖岸まで歩くと、しゃがみこんで湖の底をじっと見つめる。

 戦闘の余波で未だ揺れる水面を透かすように眺めても、アイラの姿は全く見えない。おそらくかなり深いところまで潜っているのだろう。

 灰色の男も隣に来て、膝をついて湖面を凝視した。


「大丈夫なのか。やはり俺も行くべきじゃあ」

「水中で呼吸する手段も攻撃する手段も持たないお前が行ったところで、邪魔にしかならんと何度言わせる」

「ぐっ」


 図星を指された男は顔を歪めた。


「だがやはり、心配だ……見ず知らずの人間に頼むには、あまりにも重荷だろう」

「覚悟が決まらんやつだな。アイラが引き受けたんだから、好きにさせればいい。やるといったら必ずやる奴だ」


 男は湖面とルインの顔とを交互に見比べた。


「信頼、し合っているんだな」

「当然だ。もう何年一緒にいると思っている」

「何年なんだ?」

「えーっと……知らん。わからん。だがアイラがまだほんの小さい頃から知っている」


 ルインがしゃがんだ部分は、みるみるうちに雪が溶けて茶色い地面が剥き出しになった。


「オレたちはただ、待っていればいいんだ」


 納得したのかどうかはわからないが、男もその場に座り込み、ただひたすら氷が浮かぶ湖面を見つめていた。

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