第93話 探し物⑦
その日の夜、フレデリックは寝床に横たわりながらまんじりともせず時間を過ごしていた。
なぜこのようなことになったのかーーさっぱり理解がおいつかない。
手持ちの食料が少なくなったので物品を強奪しようと襲いかかったアイラという名前の冒険者にして料理人は、寝言からフレデリックの状況と心境を推測し、ジーナを探すのを手伝うと言い、喋る不思議な従魔とともに本当に捜索に手を貸してくれた。
明日は、フレデリックが気になりつつも手を出せなかった場所である湖の探索をしてくれるという。素材が必要だと言っていたが、それはもののついでのような言い方だったし、ジーナを探すことを主眼としてくれているのだろう。
妙な奴だと思う。しかし不思議と信用できる。
フレデリックに語った言葉が嘘偽りないことはすぐにわかった。嘘をつく人間があんなにまっすぐな瞳をしているはずはない。それに、その後の行動からも、アイラが本気であることがわかった。
雪原の覇者の生息域であり、凶悪な魔物が棲んでいる湖の中に飛び込むなど正気とは思えない発言だ。お人好しにもほどがある。もしくはよほど自分の腕に自信があるのか。
フレデリックはルーメンガルドで生きるために略奪者に身を落としてしまっていたが、心まで腐り切っているわけではない。できればそんな危険な真似を、出会ったばかりの見ず知らずの人にさせたくはなかった。
ただ、アイラが言った通り、水中で呼吸する手段もたいした戦闘力も持っていないフレデリックが湖の中に入ってもできることはほとんどない。足手まといになる可能性の方が高い。
任せるしかないのだ。
できることがあるとすればそれは……回復魔法を使うことだ。
(…………)
フレデリックは何十にも重ねてある外套の中からそっと手を伸ばし、己の掌を見つめる。この五年の間にすっかりあかぎれてひびだらけになってしまった手は、かつてのように回復魔法を使えるのだろうか。
回復魔法は聖職者にのみ行使できる奇跡の力。傷ついた体を治し、病み衰えた体から病魔を取り除き、毒を除去する。日々の修行と絶対的な信仰心とが求められるその魔法を使える自信がまるでない。
祈りは毎日欠かさず行っている。女神に祈りを捧げることはフレデリックの日課であり、心の拠り所だ。祈っていれば、いつかはジーナが見つかる気がするから、だからフレデリックは祈り続ける。
しかし罪を犯したこの体では、聖なる力を使えないような気がして、フレデリックはバベルを出て銀雪山脈の岩窟に住まい、冒険者から物品を奪うようになってからはどんな怪我をしても回復魔法を使ったことはなかった。
使えないという事実を目の当たりにした時、自分が受ける衝撃に耐えられる自信がなかった。
冒険者は魔法薬を持ち歩いているので、怪我を負った時にはそれを使って傷を癒していた。
だから、アイラとルインに何かがあった時、フレデリックが治せるかどうかはわからない。
(本当に役立たずだな)
自分にできることの少なさに、フレデリックは外套に包まれながら自嘲した。
岩窟内には、二人分の寝息が響いていた。
五年、一人で暮らしていた場所に、今は奇妙な同居人がいる。他人の気配があるというのはなんとも不思議な感覚だ。
明日はアイラが湖で何の障害もなく捜索をできるよう、せめて主を倒す手伝いをしよう、とフレデリックは心に決め、掌を外套の中に引っ込めると目をつむった。
◇
翌日、アルミラージのスペアリブを朝からたっぷり食べてお腹を膨らませたアイラとルインとフレデリックは、湖を探索するために岩窟を出発した。
「ルインに乗ってるとあっという間だね」
「これは反則じゃないか?」
二人でルインにまたがっているのだが、アイラの背後でフレデリックがひきつった声を出す。ルインは雪をかき分け、そこらに隠れている魔物をものともせず、倒木した木々を飛び越えながらどんどん進んでいく。
「満腹だからいくらでも走れるぞ」
「一晩たったアルミラージのスペアリブ、絶品だったね!」
「うむ! 骨から肉がほろっと剥がれて、トマトの味が染み込んでいて……あぁ、もう十羽ほど狩っておけばよかったな」
「わかる。もうちょい食べたいよね」
「朝からあんなに食べたのに、まだ食べる気なのか!?」
フレデリックは我が耳を疑うかのようにそう叫び返してきたが、アイラとルインとしてはまだまだ食べ足りない。
「お肉はさ、いくら食べてもいいと思わない?」
「そうだ。肉はいいぞ」
「限度があるだろう!」
「?」
「??」
肉を食べるということに関して底なしの胃袋を持つ二人は揃って首を傾げ、それを見たフレデリックはもはや何も言わなくなった。
フレデリックがねぐらにしている銀雪山脈の岩窟から湖までは一日半という話だったが、ルインに乗って移動しているため、そんなにはかからないだろう。疾走するルインの速さは尋常ではない。ひゅうひゅうと風を切って樹氷林の中を突き進む。方角に関しては逐一フレデリックが指示してくれていた。
「ところでっ、魔物っ、一匹も出てこないねっ」
「ルーメンガルドの奥地の魔物はっ、『雪原の覇者』が出る影響でっ、危機察知能力が高いんだっ。だからっ、こんな高速で走るっ、得体の知れない火の玉みたいな存在にはっ、近づいてこないっ!」
「なるほどねっ、こっちからしてもっ、大助かりだねっ!」
「ああっ!」
跳躍と着地を繰り返すルインの背中に乗っているので、アイラもフレデリックも体が上下し、言葉もバウンドしていた。弾むように走るルインに振り落とされないよう、上体を軽く曲げてしっかりとルインの体にしがみつきながら進むこと、おおよそ半日。出発した時にはまだ日が明け切っていなかったが、すっかり太陽が真上に昇り、そしてやや傾き始めている。フレデリックが声をかけた。
「もうそろそろっ、湖が見えてくる頃だっ。湖の主はっ、近づくものに敏感だからっ、スピードを落としてゆっくりと近づいた方がいいっ」
「うむ」
フレデリックの言葉を聞いたルインは、さらにスピードアップした。ぐんっと速度を増したルインについていけず、アイラの背後でフレデリックの体がガクッと後ろに引っ張られるのを感じた。
「大丈夫っ? 振り落とされないようにねっ」
「おいっ!? 俺はゆっくりにしろと言ったんだがっ、なぜ速くなっているっ!」
「どうせ討伐するんだ。ならば奇襲を仕掛けた方がよいだろう」
「奇襲……! 相手の姿すら見たことがないのにっ、無謀すぎるっ!」
「大丈夫大丈夫っ、いつもこんな感じだしっ」
「いつもこんな感じなのかっ!?」
「アイラ、湖が見えてきたぞ!」
「よし、そのまま突っ込もうっ!」
「ゆくぞ!」
「行くなっ、おいっ!」
背後のフレデリックの叫びを無視して、ルインは雪の上をひた走り、木々の間から垣間見える湖に一直線に向かった。
「おいっ、静かに近づくべきだっ!」
「でもフレイが一番うるさいよね」
「うむ。灰色のはやかましいな」
「お前たち……! くそっ、もうどうにでもなれだっ」
「あ、覚悟決まったっ? じゃあ、湖の魔物は二人に任せるからっ、どうぞよろしくっ! あたしはっ、湖の中にっ、ジーナちゃん探しに行くからさっ!」
「すまんが頼むっ」
「うむ、まかせたぞアイラ」
「まかされたっ!」
「アイラ、どうやら相手はもうこちらに気がついているようだ」
「え? ほんとだ」
ルインの言葉に従って前方を見れば、湖で派手な水飛沫が上がった。分厚い氷をぶち破る轟音と、それに負けないくらい大きな鳴き声。この声は魚が発するものではない。獣の声に似ている。湖の魔物は、口を水面から突き出して、ギャアギャアと凄まじい声をあげていた。声だけで怯んだらしいフレデリックがのけぞったが、アイラは彼の腕を握りしめ、逃げられないようにする。
「おいっ、出直すべきだっ。おいっ!」
「どーせ倒さなきゃいけないんだから、今行ったって出直したって一緒だよ。ほらっ、覚悟を決めてっ、行くよっ!」
フレデリックの「おいいいいいっ!」という声を無視してルインが一際高く跳躍する。湖の魔物が姿を現した。
それは、魚ではなかった。
強いて言うならばーー竜に近いだろう。首が一際長い竜だ。
竜種というのは普通、ゴツゴツした鱗に全身が覆われているのだが、この魔物は水棲のせいなのか表面はヌメヌメした感じだ。灰色の体に、目は白く濁っている。アイラは鑑定魔導具をさっと右目に当てた。
【首長竜】
主に雪国の水辺に棲む魔物。以上に発達した筋肉により、その長い首から繰り出される一撃は分厚い氷を割り、ひと噛みで人間の頭を容易く砕く。食用可。
「どんな魔物だ?」
「首を振り回して攻撃してくるって。あと食べられるみたい」
「ならなるべく食えるところを残しておかないとな」
「うん。じゃあ、行ってきまーす!!」
「こちらは任せておけ」
「任せたーっ!!」
馬跳びの要領でルインから飛び降りたアイラは、迫る首長竜を気にせず、湖にダイブしようと身構える。その視界には割れた氷がプカプカ浮かぶ水面のみが映っており、首長竜に対する警戒や恐れは微塵もない。ルインに任せているのだから、魔物を気にする必要などなかった。
ルインの火球が横切って首長竜の長い首に直撃し、煙を上げるのが見えた。怒りの声を上げる首長竜のターゲットがルインに絞られるのを感じつつ、アイラは綺麗なフォームを描いて湖へ飛び込む。ひやりとした心地よい冷水が全身を包み込んだ。水中特有のわずかな抵抗感を感じつつ、アイラは足で水を蹴り、潜っていったーー深く深く、暗い湖の奥底へと。
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