第96話 光明③

 妹の亡骸を大切に抱いたまま、フレデリックがアイラとジーナを見上げる。


「何と礼を言ったらいいのか……」

「いいよ別に」


 アイラは肩をすくめる。


「見つかってよかったね」

「ああ。こんなにあっさり見つかるとは思ってもいなかった」


 少し戸惑っている様子のフレデリックが立ち上がる。


「じゃあ、帰るか?」


 ルインの言葉に、フレデリックは意外にも素直に頷いた。


「そうだな。ジーナをちゃんと弔ってやりたいし」

「そういえばバベルでは、人が亡くなった時にどうしてるの?」

「百一階にある女神の祭壇で燃やすんだ。生前に大切にしていたものを添えて、骨身の一片たりとも残さずに灰にして……女神ユグドラシル様の下へと還す。その時に聖職者が立ち会って聖句を唱え、死者が間違いなく世界樹までの道をたどり、女神様の所へと行けるように誘導する」

「なら、フレイがその役目をするんだ?」


 これを聞いたフレデリックの顔が少し曇った。


「そうだな。できれば、そうしてやりたいが……俺は犯罪者だから、どこまでのことが許されるか……バベルに戻ったらまず間違いなく牢獄行きだろうし」

「死者の弔いをするくらいは許されるんじゃない?」


 フレデリックは静かに首を横に振る。


「わからない。逃げるつもりも言い訳をするつもりもない。俺はもう……ジーナが見つかったからそれで満足だ。ただ、もう一つだけ、図々しいのは承知で頼みがある」

「何? ここまできたんだから、言ってみなよ」

「バベルに戻って、俺が捕らえられたら……俺の代わりに、妹を見送ってくれないか」


 わずかに迷いが残る目で、それでも縋るようにフレデリックがアイラを見てきた。アイラは返答に窮した。フレデリックは自分の罪深さを知っていて、それでもなお、妹のためにバベルに戻ろうとしている。こうまでして見つけ出した彼女が心安らかに眠りについてユグドラシル様の下へと還ることを望んでいるのだろう。たとえ自分が捕まったとしてもいいのだと思って。

 なんて答えればいいのだろうか。アイラが口をつぐんでいると、事態が急変した。

 冴え渡るような青い空に突如として厚い雲がかかり、突風が吹いた。風には雪と氷が混じっており、礫が頬を撫で、アイラの結界魔法によって弾かれる。


「!!」


 急な天候変化をもたらすもの。

 それは、ルーメンガルドの雪原の奥地に足を踏み入れた者ならば誰しもが知っていることだーーすなわち、「雪原の覇者」マンムートの出現である。

 地響きが聞こえた。続いて身の毛もよだつような咆哮も。吹雪はあっという間にひどくなり、視界が遮られる。

 真っ黒い空に暗雲が渦巻く。雷光が迸る。凍てつく冷気が吹き荒ぶ。

 それはアイラをしても立っていられないほどの豪風で、しかも雪に混じって巨大な雹が叩きつけられていた。この雹、驚くべきことに、常時アイラが張っている火属性の結界魔法を貫通してくる。つまり当たるとダメージを喰らい、痛い。アイラの羽織っていた雰囲気づくりの外套など容易く破り、肌に食い込む氷の塊にさしものアイラも辟易とした。


「…………っ!!」


 どうにか吹雪からのダメージを軽減しようと片手で頭を庇うアイラのすぐそばで、くすんだ灰色の髪を暴風で乱しながら、フレデリックが叫んだ。左手でしっかりとジーナを抱き止め、右手にはメイスを握っている。


「……あれは……『雪原の覇者』マンムート! この短期間に二回も遭うなんて、クソッ、ついてねぇ!! おい、逃げるぞ!!」

「はぁ?」


 アイラは男の言葉にキレ気味に返事をした。イライラしていた。いや、つい先ほどまではいい気分だった。胸に一抹の切なさがよぎりつつも、達成感があった。

 今まで築き上げてきたものの全てを打ち捨てて、フレデリックが長年探していた肉親をついに見つけたのだ。その再会は感動的でもあり、同時に切なくもあった。もう二度と目を開けることのない妹の、五年経ったとは思えないほど綺麗な亡骸をしっかりと腕に抱き止めたフレデリックの姿は、アイラの脳裏に自分が両親を見送った時のことを思い起こさせた。

 しかし雪原の覇者との二度目の邂逅は歓迎できるものではない。台無しだ。ぶち壊しだ。片手で頭をかばいつつ、結界魔法に流す魔力量を増やす。天候如きに肌を傷つけられるなど、アイラのプライドが許さない。

 マンムートは吹雪と共にやってくる。しかしその吹雪とは、アイラの予想をはるかに超える暴力的なものだった。この吹雪はもはや、攻撃だ。アイラは、もうすでに目の前に迫っていた巨体をしっかりと右目で見据えた。

 先ほどまでは影も形も気配もなかったのに、接近速度が異常に速い。


「逃げる? 無理でしょ。前回起こったこと、忘れたの?」

「逃げるんだよ! 全力で走れば、撒ける! 俺は何度もそうやってコイツから逃げてきた!」

「無理だよ」


 アイラにはわかっていた。この魔物はアイラたちを逃す気はない。こちらがどれほど走っても、地獄の果てまでも追いかけて来るだろう。

 なぜそんなことになったのかは、わかっている。

 マンムートはその特徴的な、異様に長い鼻の半ばから先までが奇妙に黒焦げになっていた。あれではもはやまともに機能しないだろう。

 マンムートは怒り狂っているのだーー自身の体に傷をつけて、まんまと逃げおおせたアイラとルインに対して。

 マンムートは遥か高みから、闇夜のような黒い瞳でアイラを見下ろしていた。両目にははっきりと怒りと憎しみが宿っている。


「たとえばこのままバベルまで逃げ帰ったとして……こいつは追いかけてくる。そしたら犠牲者はもっと増える。だからあたしは、逃げない」


 アイラの脳裏によぎるのは、バベルに来てから出会った人々の顔。もしもアイラがここで逃げ出せば、マンムートはそこに住む人々を蹂躙する。

 そもそももっと手前のピエネ湖でのんびり釣りを楽しむ人々を巻き込んでしまう。


「あたしとルインが引きつけるから、あんたは先に逃げてていいよ。目当てはたぶん、あたし達だろうし」


 この言葉を聞いたフレデリックは、わずかに顔を歪めたが、やがて覚悟を決めたように言った。


「……わかった。俺もお前には大きな借りがある。お前が倒すと言うなら、力になろう」


 意外に思ったアイラは右目を大きく開いてから口元に微かな笑みを浮かべた。


「へえ、『堕ちた者』とか呼ばれてるのに……やっぱ情に厚いんだね。あたしの思った通りじゃん」

「うるさい」


 フレデリックはメイスを握りしめ、ありったけの勇気を振り絞り、巨大な魔物を見上げる。輝く夜空の星を閉じ込めたかのような銀色の瞳は決意にみなぎっていた。

 アイラは腰から愛刀のファントムクリーバーを抜き、全く怯まずにマンムートを見据え、左手の人差し指を突きつけて叫んだ。


「ーーよぉし、せっかく会えたことだし……前回みたいにはいかないからね! その巨体をおろしてさばいて美味しく味付けしてやるから覚悟しなっ!!」


 それはアイラの、心の底からの本音であった。ルインがアイラの横に並ぶ。


「どうやって倒す? 敵は損傷しているとはいえ、まともにぶつかっても勝ち目はないぞ」

「あたしに考えがある。フレイ、このあたりに捕縛魔法陣は仕込んである?」

「え? ああ、樹氷林の中に隠してあるが……」

「正確な場所を教えて。そこまであたしが誘導するから、フレイはルインと先回りして魔法陣の起動をお願い」

「……! ……ここから北西、そう遠くない場所に樹氷林の中に開けた土地がある。岩で囲まれた場所だ。そこに捕縛魔法陣を描いている。だが……危険だぞ! 誘導途中に死ぬ可能性が高い」

「どのみち危険には変わりないでしょ。それに、『俺の魔法陣は雪原の覇者さえ足止めできる特別製だ』って言ったのフレイだよ」

「確かにそうだが……」

「じゃあ、決まりだね。動きさえ止めれば、あたしとルインの二人がかりでとどめ刺せるから。しっかりよろしく!」

「おい!」


 アイラはフレデリックの返事を待たず、マンムートに突撃した。視界の端で、ルインがフレデリックを掬い上げ、背中に乗せるのが見えた。あっちは二人に任せておけば大丈夫だろう。あとはアイラ次第だ。

 右手にファントムクリーバーを握りしめ、火属性魔法を流し込む。刀身を赤い炎が纏った。

 紅蓮の焔がクリーバーを数倍もの長さにし、周囲に熱を発散する。高熱を発するクリーバーを、咆哮を上げるマンムートめがけて振るった。

 果たしてアイラのクリーバーは、怒かれるマンムートの右足を直撃し、分厚い皮膚を抉って焦げ目を残した。

 マンムートの怒りがさらに募り、鼓膜が破けそうになる程の雄叫びをあげるのを聞きつつ、 フレデリックの言う捕縛魔法陣のある場所までの誘導を開始した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る