第89話 探し物③

 アイラと、ルインという名前らしい従魔はしばらくの間、黙って食事を続けていた。それにしてもこの女、随分美味しそうに食べるなとフレデリックは思った。基本的に雪原の魔物は寒さに対抗するために皮下に脂肪を蓄えていて、ともすれば脂っこくなりすぎたりもする。アルミラージの肉はさほど美味ではないが、この雪原においては貴重なタンパク源だ。フレデリックも捕らえた際にはありがたく食料にしている。生きる糧を冒険者から略奪するのみでは足りなくなるため、当然だ。だがフレデリックはここ数年の間、食事に対して何か特別な思いなどなかった。腹が満たされれば良いし、飢えなければいいし、生きるために必要だから食べているという、それだけだ。


「…………」


 ずきずき痛む左足に気づかれないよう、精一杯虚勢を張ってアイラを睨み続ける。やがて食事を終えたらしいアイラは再びフレデリックを向いた。前髪がかかっていない右目の水色の瞳が、驚くほど澄んでいる。


「食べないの?」

「…………」

「こんなおいしいのにもったいな」

「なんでここにいる」


 フレデリックは同じ質問を繰り返した。女は空になった皿を置くと、真っ直ぐにフレデリックを見た。


「手伝おうかと思って」

「……手伝う? 何をだ?」

「あのさー、君、誰か探してるでしょ?」

「!!」


 放たれた一言に、フレデリックは驚愕で限界まで目を見開いた。意味がわからない。考える間も無く、言葉を発していた。


「なぜそれを……それを知っている」

「寝てる間に誰かの名前を呟きながらうなされてたし。それにバベルで聞いた話だと、ずっとここにいて冒険者たちからものを奪ってるらしいじゃん。まあ、二つを繋ぎ合わせたら、誰かを探すためにここにとどまってて、そんで物資が必要になって盗賊やってるのかなって思ったわけだよ」

「……随分と頭が回るな。ただの盗賊だとは思わないのか」

「ただの盗賊なら、そんな綺麗な目してないでしょ」


 女はじっとフレデリックの目を見つめた。澄み渡った快晴の空のような瞳は前髪に隠れて片方しか見えないが、それでも力強さを感じる。あまりにも見つめられ、居心地が悪くなって思わず目を背けた。


「『銀の瞳は聖職者の証』……子供でも知ってるよ。多分、髪の色も前は銀色だったんでしょ。盗みを繰り返しているうちに色褪せたわけだ。それでも目がそんなに綺麗なら、まだ信仰心は捨ててないわけで、つまりあんたは完全な悪人に『堕ちた』わけじゃない」

「…………っ」


 女の鋭い指摘にたまらず唇を噛んだ。所々強調される言葉が、女がフレデリックに関する情報を掴んでいることを示唆している。

 そうだ。フレデリックは『堕ちた者』と呼ばれている。ルーメンガルドを訪れる冒険者への襲撃を繰り返しているうちに、いつしかそんな不名誉な二つ名がつくようになった。

 自らの職務を放棄し、罪に手を染めた己にふさわしい呼び名。

 そう呼ばれてもなお、ここを離れようとしない理由は、女が推測している通りである。

 フレデリックは女の申し出を二つ返事で引き受ける気などさらさらない。何を考えているかわからない、しかも自分が襲った人間にそんなことを言われても信じるものか。慎重に、しかし真意を引き出せはしないかと、フレデリックは質問を重ねる。


「どうして手伝おうなどと思った?」


 女の顔を伺い見る。相変わらずフレデリックを見続けており、視線を合わせるのは落ち着かないのだが、意図を読み取るためには仕方がない。その顔は真剣だった。意外に整った顔をしている、と思った。誰かの顔をこんなにも間近で観察するのは久しぶりだった。フレデリックは常に、過去に囚われ思考の闇の中を彷徨っていたから、今を生きる人に向き合ったことはない。


「あたしはさ、街が魔物に焼かれて住むとこがなくなった」


 女はおもむろに話し始める。


「それから住む場所を探して旅してる途中、お父さんが魔物に食い殺されて、弔う暇がなかった。お母さんは病気で死んだから、一応供養はできたんだけど」

「…………」


 過酷な体験を感情を交えるわけではなく淡々と語る。その様から、過去の辛い出来事を自分の中で整理できているのだとわかった。


「だからさ、誰か大切な人をなくして、探す気持ちはわかるから」


 どこまでも真っ直ぐで飾らない言葉が胸に響く。

 たまらず両手で顔を覆った。

 記憶が押し寄せる。楽しい記憶も、笑顔も、最後に交わした会話も、全部覚えている。繰り返し夢に見た光景、そして目覚めた時の絶望と悔恨。

 誰かに話したことはない。誰かに理解してもらおうと思ったこともない。

 同情も表面的な慰めの言葉も、もしくは「自己責任」と突き放される言葉も聞きたくなかった。

 いつしかルーメンガルドの氷のように固く閉ざされていたフレデリックの心が、今こうしてかけられた言葉によって、溶けていくかのようだった。

 フレデリックの体から、ひたすら気を張って全身に込められていた力が抜けるのがわかった。

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