第90話 探し物④


 アイラの目の前で、男の考えが変わっていく。敵対心と警戒心が解けてこわばっていた体がほぐれていき、深く吐いた息と共に毒が抜けていくようにさえ見えた。やがて顔を覆う両手の隙間から、くぐもった声が漏れ出した。


「……ジーナは……妹は斥候だったんだ」

「うん」

「いつものように、パーティで探索に出かけたらしい。その日は天気が良かった。だが、突然の吹雪と共にあいつが、『雪原の覇者』が現れて……それで、撤退したと……ジーナを残して。よくある話だと、わかってる。斥候は先行して危険を察知する役割だから、危険性も他の冒険者より多い。だが、いざ妹が戻ってこないと聞かされて、いてもたってもいられなくなった。……たった一人の妹なんだ……見つけてやりたい……他に何もいらないから、俺のところに帰ってきてほしい」


 震える声で男が語った内容は、男が自覚している通りにありふれた悲劇だ。

 この世は悲劇で溢れている。特にこの女神ユグドラシル様の加護さえ及ばない、危険極まりない場所で生きている人間にとって、誰かが行方不明になったなど日常的に耳にする話だろう。

 だからといって、自らの身にそのような事態が降りかかった時、素直に受け入れられるかと言われればそれは別だ。

 大切な人であればあるほど、失った時の悲しみは大きい。

 ある日突然帰ってこなくなった妹を、フレデリックはずっと探し続けていたのだ。それまで培ってきた居場所と地位を捨て去って、この雪と氷で閉ざされた寂しい大地で、聖職者の禁忌である罪を犯し、盗みを働いてまで。


「信仰心を捨てたわけじゃない。毎日、今でも祈っている。……どうか妹が見つかりますようにと。それで五年、ここにいる。捜索をバベルのギルドに依頼したこともあった。だが、行方不明者などごまんといる。いちいち全員を探していたら、ギルドは人手不足でとんでもないことになる。冒険者の行動は常に自己責任だ。……だから俺は、一人で探すことにした」

「気持ちはわかるよ」


 アイラは心の底から言った。

 アイラだって、できることなら父の遺体もきちんと弔いたかった。母の遺体も、もっときちんとしてあげたかった。街の端で焼かれる母を見ているしかなかったのだーー聖職者からの聖句もなく、ただただ焼かれて灰になり、吹き抜ける風に舞いあげられて空へと上る母を。

 縁もゆかりもない、略奪者として現れたこの男の気持ちに共感してしまったのは、悪夢にうなされるその声が、その表情が、あまりにも切ないものだったからだ。自分の中で眠っていた記憶が呼び起こされ、柄にもなくアイラを感傷的な気分にさせてしまったからだ。

 ーーまだ輝きを失っていないその瞳が、あまりにも綺麗だったせいだ。

 アイラはまだ温かい鍋の中身を皿に移すと、もう一度男に差し出す。


「だからさ、一緒に探すから。とりあえず食べて落ち着いたら?」


 一度は拒否した男の手が迷いながらも伸びてきて、今度はしっかりと皿を握る。スプーンも受け取るとおそるおそるアルミラージの煮込みを口にした。


「……美味いな……」


 そう一言呟くと、まるでもう何年も味わって食事をしたことがないかのように、夢中になって食べ進める。アイラは持ち物をごそごそとして、パンを取り出すとそれも手渡した。


「どうぞ」

「ありがとう」


 ふがふがしながら男はパンを素直に手に取ると、ムシャムシャ食べ始めた。アイラはかねてより疑問に思っていたことを口にした。


「ところで名前は?」

「フレデリック・ローウェル」

「シーカーじゃないんだ、珍しいね」

「俺は聖職者だったから、教皇様にちなんだ名字を頂いた」


 そう言った男は、まるで刺された痛みに耐えるかのように顔を歪めた。何かが過去の傷に触れたらしいが、自ら持ち直し、再び手と口を動かす。


「お前の名前は、アイラだったな」

「うん、それとルインね」


 アイラはルインの首周りをポンポン叩く。ルインは会話に差して興味がなかったのか、半分うつらうつらしていた。


「そうか。……さっきは道具を取ろうとしてすまなかった」

「取り返したからいいよ。切れたベルトは、この岩窟の中にあった針金で直したし。がらくたみたいなものまで取っといてあるんだね」

「こんな生活をしていると、何が役に立つかわからないからな」


 男はさすが元聖職者をしていただけあって、口調が丁寧だった。ダストクレストの犯罪者やバベルにいる冒険者の方が荒っぽい喋り方をする。

 やがてアルミラージの煮込み肉を食べ終えたフレデリックは立ちあがろうとして顔を歪めた。


「善は急げだ。早速行くぞ……っ」

「どうしたの?」

「なんでもない」

「どう見てもなんでもなさそうに見えないけど。どっか痛めてんの?」

「大したことない」


 かたくなに口を割らないフレデリックが額に脂汗を浮かばせながら立ち上がったが、左足に体重をかけた瞬間ぐにゃりと崩れ落ちた。


「あれ、足も痛かったんだ?」

「おい、やめろ……っ」


 嫌がるフレデリックに近づくと、アイラは容赦無くフレデリックのズボンの裾をめくりあげた。左足の付け根が紫色に変色してパンパンに腫れ上がっている。


「これは痛いね。気づかなかった。額の傷は治したんだけど……」


 アイラは食事には敏感だが治療関係には疎いので、この岩窟に彼を運んだ時も全身を検分しなかった。ただ目に見えて大怪我をしていた額の傷だけを治した状態だ。額の傷を治したときに使ったのと同じ魔法薬を荷物の中から取り出して、気前よく足の傷にかけた。みるみるうちに怪我が治っていくのを見て、フレデリックが目を剥く。


「それはかなり貴重な魔法薬じゃないか?」

「そうだよ。もうこれで最後の一本なんだから、ありがたく思ってよね」


 そんなに長く探索する気がなかったので、手持ちはあまり豊富ではない。一本使って怪我を治したアイラは、はっとしてフレデリックを見た。


「っていうか聖職者なら、これくらいの怪我自分で治癒できるんじゃない?」


 これを聞いたフレデリックは、なぜかバツが悪そうな顔をして視線を岩窟の床に向けた。


「……バベルを出てから治癒魔法は使ってない。もう、使えるかわからない。実を言うと……もし発動しなかったら、と思うと怖くて試せないんだ」

「……そっか」

「役に立たない聖職者ですまない」


 癒えてゆく傷を見ながらフレデリックがそう言うが、アイラは特になんとも思っていない。


「別にいいよ。はい、これで治癒完了」


 外見上すっかり治っている左足。フレデリックはそうっと足首を回してから立ち上がり、恐る恐る体重をかけた。


「……痛くない」

「完治だね」

「恩に着る」

「いいよ。盗賊なのに律儀じゃん」


 アイラもフレデリックの隣に立つと、視線を岩窟の外に向けた。


「じゃ、行く?」


 先ほど食料を探すために軽く外に出てみたが、まだまだ元気は残っている。行くと言うのならば付き合うつもりだった。フレデリックが小さく頷く。


「ああ、行こう」


 そうしてアイラとルインは、ルーメンガルドの奥に広がる地へと足を踏み入れた。

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