第88話 探し物②

「っ!!」


 フレデリックは目を見開き、息を荒げながら上体を起こした。まるで全力疾走した後のように息切れ、体が震えている。ぶるぶるする右手でくしゃりと髪をかきむしった。長年整えていない髪は無駄に長く、ろくに洗ってもいないためバサバサしている。あの時の輝くような銀色とは程遠い、灰色だ。

 繰り返し見る夢の世界から逃げ出そうと、頭を左右に振った。

 そうしてふと、なぜ自分は寝ていたのだろうかと考えた。

 ここはねぐらだ。自分が、五年前からずっと使い続けている、暗く冷たいルーメンガルドにそびえる銀雪山脈にある無数の岩窟の中の、ひとつ。

 しかし、能動的に寝床に入った記憶がない。

 一体、何があった? フレデリックは状況を把握しようと頭を働かせる。

 昨日フレデリックは、いつものようにルーメンガルドを訪れた冒険者から物資を巻き上げようと張り込んでいた。

 聖職者たるフレデリックは基本的に攻撃魔法が使えない。そもそも光魔法というのは、攻撃に向いてない魔法だった。怪我を癒し病を治し呪いを解いて毒を除去する治癒に特化した属性。例外としてこの世の理から外れた存在であるアンデットに治癒魔法をかけると攻撃になるが、ほぼ全ての生物にフレデリックは攻撃ができない。

 なのでフレデリックは、ルーメンガルドの雪原にいくつかの魔法陣を仕込んでいた。

 フレデリックが描いた捕縛魔法陣は強力だ。そこに足を踏み入れたものを確実に捕らえ、逃がさない。いかなる人でも魔物でも、この魔法陣を破れる存在はいない。

 本日フレデリックは、一人の女冒険者とその従魔とを捕縛魔法陣で捕らえた。

 いつものように、マンムートが動いているタイミングで、吹雪と雪原最強の魔物に遭遇した衝撃で冒険者の意識が逸れている時に魔法陣を発動する。

 そうすれば冒険者は、魔法陣解除後もフレデリックの跡を追おうなどと考えず一目散に逃げ出すからだ。

 聖職者たるフレデリックは、この過酷な場所で生きていくためにやむなく略奪を繰り返しているが、殺人を犯すまで身を落としたくはないと考えている。

 なので盗るものを奪ったら素早く魔法陣の効果を解除して冒険者たちを逃していた。そうすれば、万が一冒険者がマンムートに殺されたとしても、それはその冒険者の運が悪いか実力が無さすぎたせいで、フレデリックのせいではないと考えられるからだ。こじつけだろうとなんだろうと、そう考えることでフレデリックは己を苛む罪悪感から逃れようとしていた。

 今日もいつもと同じになるはずだった。

 フレデリックはマンムートの行動をおおよそ把握している。吹雪と共に現れる雪原の覇者は生息域が決まっており、餌を探して徘徊する。膨大すぎる魔力が雲を生み出して雪と氷の礫を天から降らせ、一歩歩くごとに地震を引き起こした。分厚い皮膚はいかなる魔法攻撃も物理攻撃も通さず、並の人間であれば突然天候が荒れたらその時点でマンムートの出現を連想し、即座に撤退を選ぶ。

 覇者の名を冠する魔物は、そう言う類の魔物だ。

 しかしマンムートにも弱点はある。かの魔物は、あまりにも大きすぎるので、雪原をちょこまかと動く人間の居場所を正確に把握できないのだ。そのことに気づいたフレデリックは雪に埋もれて身を隠し、マンムートを利用した。逃げおおせるのは、コツさえ掴めば難しくない。攻撃しなければ矮小すぎる存在の人間など、マンムートにとっては蟻にも等しい存在だ。

 ただ今日は、想定外の出来事が重なった。

 マンムートの動きがいつもよりも早く、フレデリックが予想していた以上に接近されてしまったこと。

 そしてそのマンムートに向かって、あろうことか女冒険者とその従魔とが攻撃を仕掛けたこと。

 そうだった。思い出した。

 フレデリックは女冒険者の無謀な特攻に巻き込まれ、気を失ったのだ。

 ならばなぜ自分はこうして寝床にいるんだ? 動こうとしたが、左足に激痛が走った。どうやら挫いているらしい。


「動かぬ方がいいぞ」

「っ!?」


 完全に一人だと思い込んでいたので、突然声をかけられて心底驚いた。弾かれたように顔を上げ、声の主を確かめると、燃えるような赤毛の獣がじっとフレデリックを見つめている。


「お前は……さっき女冒険者と一緒にいた従魔か」

「敵意はない。そろそろアイラが帰ってくるから、それまで大人しくしていろ」


 警戒心をあらわにしているフレデリックとは対照的に、従魔はかなりリラックスした様子だった。前足に頭を乗せ、後ろ足を投げ出している。視線はフレデリックに向いたままだったが、どうこうしようという意思は感じられない。

 ふとフレデリックは、従魔と会話をしているという異常性に気がついた。

 魔物の中には高度な知能を持つ者もいるが、それにしても獣型の魔物が人語を発するという話は聞いたことがない。


「お前、なんなんだ。どうして魔物が喋れる」

「その手の質問は聞き飽きたな」


 狐のような魔物は答える気がないのか、それきり黙ってしまった。

 こんなよくわからない生き物と一緒にいては、命が危険だ。左足を庇い、どうにか動こうとしていたフレデリックだが、今度は人の気配を感じて岩窟の出入り口に目を向ける。


「あ、起きた?」


 そこには両手いっぱいに獲物をぶら下げた、件の女冒険者が立っていた。

 フレデリックはますます警戒を強め、距離を置こうと立ち上がる。左足の痛みに顔を顰めたが、そんなことに気を取られている場合ではない。


「お前ら、何をしている。どうしてこの場所がわかった」


 敵意剥き出しのフレデリックに対し、女はどこまでも気負わない様子だった。


「戻ったか、アイラ。随分な収獲だな」

「うん。アルミラージってウサギ型の魔物がいっぱいいたよ」


 女は狐型の魔物に挨拶をしながら岩窟内に入って来ると、焚き火の前に陣取って獲ってきたばかりの獲物の解体処理を始める。アルミラージの見た目はツノの生えたウサギだが、獰猛な性質を持ち、雪に隠れて敵を串刺しにしようとする。

 そもそもルーメンガルドに出没する魔物は、探索拠点を境に数段階強くなる。雪原の奥に行くほど、魔物はどんどん強力になるのだ。

 一体どれほどフレデリックが気絶していたのかわからないが、少なくとも数分で屠れるような魔物は存在していない。マンムートにダメージを与えた時といい、この女の実力の高さが窺える。得体の知れない従魔も連れていることだし、正面切って戦ってフレデリックが勝てるような相手ではないだろう。

 女は鮮やかな手捌きでアルミラージの毛を剥ぎ血を抜いて肉塊を作り出していく。その手に持っているのは、フレデリックが奪ったはずの女の武器だ。それを見たフレデリックは訝しんだ。


「……武器を取り戻したなら、なぜまだここにいる? 雪崩で向こう側に戻れなくなったのか?」

「あー、まあそれもあるね」


 女はアルミラージの肉を鍋に入れて煮込み出した。

 なぜ略奪者として現れた相手の前で普通に料理をしているのか。意味がわからない。女の真意を図りあぐね、フレデリックはその動作を注意深く見守る。

 女の料理の手際はかなり手慣れていた。一口大に切ったアルミラージの肉の煮込みに塩を加えてぐつぐつ煮込む。焦げ付かないよう、かつ火が弱すぎないよう絶妙な火力を維持し続け、時折鉄鍋の中を掻き回している。鉄鍋も掻き回しているフォークも見覚えがないものなので、女の私物なのだろう。

 狐型の魔物が鼻をヒクヒク動かして「いい匂いだな」と言った。


「でしょ? 調味料の持ち合わせがないから塩だけの味付けになっちゃうんだけど、でもなんと言ってもお肉だからね! お肉が食べられるっていうだけで幸せだよね」

「うむ。肉はいくら食べても食べ飽きない」


 女は従魔と会話をしながら、フレデリックのことを全く気にせずに料理を続けた。ここが自宅であるかのような自然な振る舞いに、フレデリックの方がたまらず声を掛ける。


「おい」

「もうちょい待って。今ごはん出来るから」

「違う。食事の催促じゃない。なんでここにいるのか聞いてるんだ」


 しかし女はこの質問に答えなかった。スプーンですくってスープを飲み、「ん、おいし!」と勝手に満足そうに言ってから、中身をすくって深めの皿へとうつす。そしてそれを、なぜかフレデリックへと差し出してきた。フレデリックは皿と女の顔を交互に見る。


「……なんだ、これは」

「アルミラージの塩煮込み。美味しいよ」

「そうじゃない。なんで俺にくれようとする」

「え? あたしたちから食糧奪ったし、お腹空いてるかなと思って」


 女は「何言ってんの?」みたいな顔をして答えたが、それはこちらの心境だ。


「……お前は、略奪者を助けた挙句に食事まで振る舞うのか。大馬鹿だな」

「そんなんじゃないよ。あ、あたしの名前はアイラ。こっちは火狐族のルイン。そっちは?」

「名乗る必要はない」


 煩わしくなってきて手を振って拒絶すると、アイラと名乗った女は差し出した皿を引っ込めて自分で食べ始めた。「おいしいのに」などと言っている。頭おかしいんじゃないか。それとも何かの罠なのか。アイラの真意がわからずに、フレデリックは眉間に深い皺を刻みながら睨み続ける。

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