第87話 探し物

 バベルの40階の食堂で、フレデリックは背もたれすらついていない、粗末な木の丸椅子に腰掛けていた。後ろでは同じく座っている妹のジーナがフレデリックの髪を三つ編みにして遊んでいる。


「お兄ちゃん、髪の色も目の色もだいぶ変わってきたね。綺麗な銀色! すごいね!」


 生まれた時から銀の色をしていたが、ジーナの言う通り、フレデリックの髪と瞳の色は今や光がなくとも煌めく、まるで鏡のように見事な銀色になっている。ジーナはそんなフレデリックの髪の触り心地が好きなのか、会うとこうして髪をいじるのだ。


「お祈りをたくさん捧げて、いっぱい奉仕活動してるんだねえ」

「たいしたことはしていないよ。ジーナが斥候として探索活動をしているのと変わらない」


 フレデリックは妹の髪を梳く手の心地よさに目を瞑ると穏やかに言う。


「お兄ちゃん、私ちゃんと知ってるんだよ。みんなが話してくれるんだ。お兄ちゃんは『助祭』になったんでしょ?」

「耳が早いな」

「私だっていろんな人の話を聞くもん。こないだ怪我して治療所に行った人から聞いたんだよ。ほら、マークさん」

「あぁ、彼か」

「そう! お兄ちゃんが担当したって聞いたよ」

「気はいいが落ち着きがなくて、じっとしているのが苦手なせいで病室をしょっちゅう抜け出そうとしていた」

「うん。『寝てるだけなんて性に合わねえ』って言ってた。それで、マークさんが言ってたんだ。『お前の兄貴は出世して、しかも歴代教導様の苗字を賜ることになったそうだぞ』って!」


 フレデリックは妹の情報通具合に苦笑を漏らした。

 フレデリック自身がマークという名前の冒険者にそんな話をした覚えはない。おおかた、口の軽い神僕の誰かが漏らしたのだろう。別に内密にしておくようなことでもないし、すでに聖職者エリアに住む人々にとっては周知の事実なので咎めることでもなかった。

 この世界には聖職者という特殊な職業が存在している。

 それは、光属性魔法の使い手のみがなれるもので、女神ユグドラシルへの忠誠と生涯にわたる奉仕とが義務付けられる。

 聖職者の世界には絶対的な階級が存在している。

 世界樹の根元に広がる人間国家、神都ガルズに住まう教皇をトップとし、ガルズの教会に五人いる枢機卿、世界樹周辺のいわゆる『聖十大国せいてんたいこく』とよばれる国に一人ずついる大司教、世界各国に数十人ずついる司教、各都市の教会に一人いて、一般信徒に向けての説法を説く司祭、神徒のアシスタントである助祭、それから見習い修行中の神僕しんぼくだ。

 フレデリックのように光魔法の素質がある子供はまず神僕として見習い雑務をこなす。見込みのある者は助祭となり、その後司祭に抜擢される。普通の都市であれば出世はここまでだが、バベルにはさらに上の位階である司祭も存在する。

 今回フレデリックは、神僕から助祭になる予定だった。これは現在のフレデリックの十五歳という年齢を考えると異例の昇進だ。

 普通は年齢と実績を考慮して決められる昇進だが、並いる神僕たちを押し退けてフレデリックの昇進が決まった。中には三十四十になっても神僕のまま、中には一生涯神僕で終わる人も少なくない。

 それほどまでにフレデリックの素質と功績は飛び抜けていた。

 神僕になるとまず、毎日101階にある祭壇で祈りを捧げ、聖職と呼ばれる掃除、洗濯、料理などのもろもろの雑事の他、病床人の介抱や治癒などの仕事をすることになる。フレデリックは特に治癒の分野で他の追随を許さぬ才能を発揮した。

 折れた骨をくっつけ、欠損した部位を再生し、死に瀕している患者の病を癒す。

 祈りを捧げる年月が経つほどにフレデリックの神聖力はいや増していき、バベルに五十人はいる神僕の中でトップクラスの治癒力を誇っていた。

 フレデリックは才能に溺れることなく、常に謙虚で、飽くなき研鑽を積んでいた。

 朝は誰よりも早く起き聖職に従事し、祭壇では誰よりも熱心に祈りを捧げ、また夜は遅くまで聖典を読み耽った。

 努力の成果がフレデリックを助祭にしたのだ。

 ジーナはフレデリックの髪をなおも編みながら質問を重ねる。


「ねえお兄ちゃん。お兄ちゃんの苗字は何になるの?」

「ローウェルだ。五代目教皇セロニアス・ローウェル様から頂く」

「へえー、すごいね!」

「ジーナの苗字はシーカーだろう?」

「うん、そう。やっぱり『無冠』の冒険者がつける苗字といったらシーカーだよね。お守りにもなるし」 


 バベルに住む大半の者が初めからファミリーネームを持っているわけではない。むしろファミリーネームありの人の方が珍しい。大抵の冒険者はふらりとバベルにやってきて、そこで出会い意気投合した者と子を成し、そして子をバベルに残したまま探索途中にどこかで死ぬ。元々薬師だった者が引退して薬草店を営んだり、少々頭脳がある者がギルド職員に転職することもあるが、ほとんどの冒険者は長生きできずに怪我や病気で死んでしまう。聖職者の力を持ってしても手の施しようのない者が運ばれてきて息を引き取るのを、フレデリックは神僕になってからの十年で幾度となく見てきた。

 フレデリックはおもむろに、ジーナを振り返る。

 フレデリックと違い浅葱色の美しい髪と瞳を持つ妹。水魔法を駆使し、小さな身体を活かして斥候として活躍している妹。

 ジーナは見つめる兄の視線に構わず、未だフレデリックの髪を熱心に編み込んでいた。フレデリックが振り向いたので髪の位置もずれ、それに合わせてジーナの体も少し斜めに傾いでいた。そこまでして髪を編みたいのかと少し呆れる。そんなフレデリックの心情を察したのかどうか、ジーナがポツリとこぼした。


「私もお兄ちゃんみたいに、いつか髪を伸ばしたいな」


 ジーナの髪は短い。顎下で切り揃えられていて、邪魔にならないようにしている。

 聖職者は髪を媒介に魔法を使うこともあるので原則長髪だが、普通の冒険者は手入れも面倒だし探索の邪魔になるので女性でも短髪が多い。


「凄腕の冒険者になればね、長い髪の人もいるんだよ」

「じゃあジーナもすぐに髪を伸ばせるようになるな」


 ジーナはキョトンとした顔で兄の顔を見つめたあと、パッと花が開くように笑った。


「うん!」


 そしてテーブルに置いてあった赤いリボンを手に取ると、それでフレデリックの三つ編みの先端を丁寧に結える。フレデリックは髪を前に垂らすと、自分の毛先に結ばれたリボンを見つめた。


「これ、どうしたんだ?」

「この間の探索で結構稼げたから、雑貨屋さんで買ったの。お兄ちゃんの髪に合うかなと思って」


 そうしてふと、ジーナは寂しげな表情を見せた。


「……お兄ちゃんはきっとこれから先、もっと偉くなって、もっと会いにくくなるかもしれないでしょ? そんな時、私を忘れないでいてほしいなって……」


 フレデリックは理解した。ジーナは不安なのだ。歴代教皇の苗字さえ賜ったフレデリックは、将来が保証されているようなものだった。事実、フレデリックが助祭になるのは単なる足がかりに過ぎない。ここから司祭、司教になり、もしかしたらその先も狙えるかもしれない。ジーナはそこまで見越しているのだろうか。あるいは、マークという冒険者に吹聴されたのかもしれない。

 置き去りにされて忘れられるかもしれないと、漠然とした気持ちを抱いている。そんな気持ちにさせてしまったことが申し訳なくなり、フレデリックは体ごと振り向いてジーナの手を握る。ジーナの浅葱色の瞳に、自分の顔が映っているのが見えた。


「何があっても俺がジーナを忘れることはない」

「……ほんと?」

「ああ、ほんとだよ。そうだ、今度ジーナにもリボンを買ってあげるよ」

「でも私、結ぶところないよ」

「バレッタタイプなら今の長さでも留められるだろ? 助神徒の中でも、そういう髪留めを使っている人がいるんだ。次に竜商隊が来たら、いいものがないか聞いてみよう」


 バベルで売っている商品はどうしても実用性重視になってしまうのでシンプルなものが多い。しかしバベルに定期的にやって来る竜商隊は、外国の珍しい品を積んでくることがあった。値段は張るが、どうせ清貧を旨とするフレデリックに金の使い所などほとんど存在しない。


「ジーナになら、レース飾りがついたリボンが似合うな」

「レースは高いよ」

「いいんだよ。お前以外に使うところなんてないんだから」


 フレデリックにはこれといった物欲がない。最低限の生活でいい。だからお金が貯まったら、それでジーナのためにリボンを買おうと決めた。


「ありがと、お兄ちゃん」


 ジーナは嬉しそうに笑っていた。

 その顔を思い浮かべながら、フレデリックは竜商隊が来た時に装飾品を選びに行き、並んだバレッタの中の一つを選んだ。

 約束通り、レース編みのリボンのものだ。

 次に会えた時、どんな顔をしてくれるだろうかと想像する。

 約束通りに。

 約束通りに……。

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