第85話 二日目③
果たしてアイラの予想は当たった。
そこにいたのは、アイラがこれまで見たこともないほど巨躯の魔物だった。
暗闇を背負い、吹雪と氷を巻き上げて登場した『雪原の覇者』マンムートはーー四つ足歩行する、鼻の長い化け物だった。その大きさはおそらくジャイアントドラゴンを超えている。鼻の両側には輝くように白い牙を生やしており、長すぎるそれは途中でカーブしていても尚地面に擦りそうだった。
黒い瞳は虚ろで、何者をも映していない。そこにあるのはただひたすら破壊と殺戮のみを繰り返す無慈悲な魔物の姿で、あまりにも小さすぎるアイラたちの姿など気に留めてもいなさそうだった。
魔物が咆哮を上げた。大地を震わせ鼓膜を揺るがし、聞くものの原始的恐怖を呼び起こし、強制的に足をすくませるその声は、物理的な威力を伴っていた。
その声により雪山の斜面が揺れ、雪崩が起こったのだ。
山の上方の雪がバックリと割れ、津波のように押し寄せてくる。男が焦った。
「ヤベッ……! おいお前ら、さっさと逃げろ!」
「!?」
直後にアイラとルインを縛り付けていた魔法陣が消え、体が自由に動くようになった。速攻で結界魔法を張り直し、逃げ出そうとする男の後をアイラとルインは追いかける。
「ちょい待て! 盗んだもの返してよ!! 最悪、食料はあげるから調理道具だけでも返せ!」
風がびゅうびゅう吹き荒れる。男の逃げ足は早かった。雪が迫る轟音がし、耳がおかしくなりそうだった。
マンムートの長い鼻が、突然横なぎに振るわれた。その攻撃は、アイラでさえ見切るのが精一杯で、対処のしようがなかった。避けなければと思い体を動かす前にもう鼻先が数センチのところにあった。直撃必死のコースである。アイラはなんの構えもする時間もなかったが、先に背中に衝撃があって前方に吹っ飛ばされたーールインだ。ルインがアイラを助けるために体当たりをしていた。かろうじて攻撃を回避したアイラは、雪の中に両足を埋めて着地する。結界魔法のおかげで今、寒さや冷たさは感じない。ルインがマンムートに特大の火球を放った。
マンムートはなまじ図体がでかいだけあって、攻撃を当てやすい。しかしルインの火球を右の牙の付け根に受けても、ちょっと煙を上げただけだった。左右に軽く頭を振ると、炎が容易く消えてしまう。ルインの悔しそうな声がした。
「魔法耐性がかなりあるな」
「ドラゴンだって焼き尽くす威力があるのに……」
ぐずぐずしている暇はない。アイラたちがマンムートと戦っているのをいいことに、男が逃げようとしている。このまま逃してなるものか。
「ルイン、隙を作ろう」
「おう。どこを狙う?」
「鼻」
今のアイラは武器がない。が、アイラは肉弾戦も割と得意だ。
まだダストクレストに到達する前、そしてその都市で料理の楽しさに目覚める前のアイラの戦闘スタイルは魔法と拳とで相手を叩きのめす方法をとっていた。
魔法で相手を弱らせて、拳を叩き込んで昏倒させる。
その後ファントムクリーバーを手に入れたアイラは、切った方が肉が綺麗に残って処理が楽になることに気が付き、もっぱら得物と魔法を併用した戦い方に切り替えたのだが。
ともあれ素手でも戦える。アイラは軽く腰を落としてファイティングポーズをとった後、敵に向かって突っ込んでいった。
この怪物、皮膚はどう考えても頑強だ。赤茶けたそれは厚い毛が覆っているのだが、ルインと異なりもふもふしておらず、ごわごわしていてさぞかし触り心地が悪そうだった。十中八九、魔法耐性がある。ならば狙うべきは目、鼻先、牙などの狙いやすい箇所に限定される。一番有効な傷を与えられるのは目だが、遠すぎておそらく攻撃が通らない。アイラとルインが目玉に到達する前に、ブレスや先ほどの鼻での一振りで吹っ飛ばされてしまうに違いない。ならば、その眼前にぶら下がっている鼻を狙うべきだ。ルインが一歩前に出る。
「オレが攻撃を見切る。アイラは動きを合わせろ」
「うん、よろしく」
鼻が振り上げられ、振り下ろされて再びアイラ達に襲い掛かる。振り上げられた所までは確認できたのだが、その後の動きがアイラには読みきれない。故にルインに従う。
「右だ! その後攻撃タイミングを合わせろ!」
ルインの指示に従って、アイラは右に跳躍した。鞭のようにしなりながら振り下ろされたマンムートの鼻は、雪原に大穴を開け、大地をえぐった音がする。
「鼻腔を狙う!」
アイラは両手に魔法を込めた。マンムートは鼻を引き抜き、くねらせながらこちらに突っ込んできた。どうやら主戦法は鼻による殴打攻撃らしい。迫り来る巨大な鼻の穴の、アイラは右、ルインは左に魔法を叩き込む。
渾身の火魔法と火球を吸い込んだマンムートの鼻は、中程までぼこぼこっと膨らみ、皮膚が奇妙に歪んだ。いくら魔法耐性が強くとも内部から攻撃されれば弱いというのはどの生物でも共通の事柄だ。ゴア砂漠で出会ったデザートワームグロウの時と同じ戦法である。
あの時よりも強力な魔法を使用した。おまけにルインの火球もある。その爆発力は、並大抵の魔物であればあっという間に体内から焼けて骨すらも炭になる威力がある。
しかしさすが『雪原の覇者』という二つ名を冠するだけあって、そんじょそこらの魔物とは一線を画していた。
アイラは一瞬できた隙を狙い、ルインとともにその長い鼻を駆け登った。疾走する二つの影。アイラは右足に魔法を込め、爆発が起こった鼻の中ほどで跳んだ。空中で半転し、勢いを保ったまま、火魔法を纏い燃える左足をピンと伸ばして万力の力で鼻に踵落としを食らわせ、勢いそのまま体を捻らせ右足も叩き込み、振りかぶった右の拳で思いっきり殴りつけた。
衝撃で吹き飛ぶ鼻に、さらにルインの火球が飛ぶ。長い鼻は中ほどから先端まで焼け焦げ、爆炎をあげていた。アイラたちはマンムートから距離を取るべく空中へと逃げる。
「ここまでやってまだもげ落ちないなんて……っ!」
「頑丈だな」
雪原の覇者は怒りの咆哮をあげた。怒りと痛みにうめく声が再び破壊を呼び寄せる。
雪が瀑布のように襲いかかってきた。先ほどの雪崩と合わさり、尋常ではない量の雪が押し寄せる。斜面を滑りくる雪から逃げようとアイラもルインも空中で身を捻って着地場所を見定める。
そしてふと、アイラの視界に、先ほどの男の姿がよぎった。探索拠点とは反対側、さらに雪原の奥に行こうとしている。大急ぎでこの場所を離れようとする男を逃してはなるまいとアイラの本能が警鐘を告げる。アイラの決意は〇.五秒で定まった。
「待て! あたしの調理道具を返せ!!」
「おい、アイラ!!」
ルインの声が聞こえた。
「あの男を追う!!」
「…………っ、仕方ないな!」
ボォン、と音がして雪が爆ぜ、ドドドドッと雪崩れが起きる。これに飲み込まれたら命が危ない。いくら結界魔法を使っていても、数十メートルの雪に埋もれたら出るのは困難だろう。
ルインは探索拠点側に跳んでいた。もうすでに、引き返してアイラのそばにくるのは不可能なほどの距離が開いている。
アイラは猛り狂う天候のなか、正確に氷の礫につま先をのせ、その僅かな足場のみを使ってジャンプを繰り返して男を追いかけた。ルインも空中で体を捻って追随する。
マンムートは痛みが酷いのか、直接攻撃を仕掛けてこず、ただひたすら鳴きわめいている。しかし雄叫びが雪崩を次々に引き起こすので物理攻撃よりもタチが悪かった。範囲が広いので尚更だ。そんな中でも結界魔法によって猛吹雪の影響をほぼ受けていないアイラは、神がかった身体能力を駆使して男との距離をぐんぐん縮めていった。背後からルインもついて来ている気配がする。
「捕まえたっーー!!」
「っ!!」
アイラが男の外套のフード部分に手を伸ばし、しっかり掴む。男は振り向くと銀の瞳を驚愕に見開き、アイラの姿をその目にうつした。
ボォン、ボォンという音が断続的に鳴り響く。
ーー崖の上、ちょうどアイラたちの真上から、雪のみならず岩石が降り注いだ。
「あぶなっーー!」
「ーーっ!!」
土砂の嵐はアイラと男を即座に包み、飲み込む。視界はあっという間に真っ暗になった。
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