第83話 二日目①

「本日も晴天なり!」

「素材採取がはかどるな」


 アイラとルインは雪原を元気に闊歩していた。

 ルーメンガルド、二日目。

 アイラとルインは探索拠点を出て意気揚々と雪原に繰り出している。

 見渡す限りの銀世界は、本日も雲一つない青空の下で平和そのものだった。空気は澄みきっており、静かで、魔物の姿も見えない。とはいえ、何の前触れもなく急に雪の中から飛び出してきて襲いかかってくる可能性もあるので、油断はするべきじゃないけれど。


「今日は何を取るんだ?」

「今日はどっかの湖で氷虹石ひょうこうせきって石を採取するよ」


 アイラは羊皮紙を取り出して、ボニーが書きつけた依頼一覧を眺めた。

 必要のない荷物は探索拠点で預かってもらっている。追加で金貨二枚取られたが、未知の場所で不要な大荷物を持って歩くよりいい。今から行くのはルーメンガルドのさらに奥地。どんな魔物が出るかわからないので、ルインの負担は減らしておくべきだ。荷物があると動きが制限され、それが命取りになりかねない。

 アイラとルインは雪原を北に向かって歩いていく。


「今朝、ギルド職員さんに聞いた話だと、氷虹石は探索拠点を過ぎたところにある湖にあるらしいよ」

「なるほど。詳しい場所はわかるか?」

「うん。探索拠点から北東に進んだところだって。山なりにしばらく進むと樹氷林があるから、その中に入って、樹氷林を抜ける手前で東に折れると辿り着きやすいって」


 ルインがまだ部屋で寝ている時にアイラが探索拠点のギルド職員に聞いた情報を伝えると、ルインがうむうむと頷いた。


「うまい魚がいるといいな。……ところで山が妙に険しくなったな」

「そうなんだよね」


 アイラはちらりと、そびえる山脈を見上げた。山は探索拠点を区切りとして、まるで別の場所に来たかのように険しく切り立った岩山へと変貌していた。ほぼ垂直にのびる岩壁に氷が張り付いており、とてもではないが登れそうにない。


「あ、樹氷林見えてきたよ」


 アイラは視線を前方に向ける。そこにある樹氷林は、昨日行った樹氷林とは全く趣を異にしている。

 鬱蒼と繁る木に分厚く覆いかぶさった雪のせいで、木そのものが魔物であるかのように不気味な形をしていた。木々が密集し、おまけに雪をこんもりと積もらせているので、全く隙間がない。おそらくこの輝くような陽光も遮ってしまうだろう。あの中に飛び込んで行ったら、視界確保に苦労すること請け合いだ。


「なんで手前の樹氷林より雪が厚く積もってるんだろ?」


 アイラは首を傾げて疑問の声を上げた。


「一帯で吹雪でも起こったんじゃないか? 山の天気は変わりやすいだろう」


 ルインの言葉は至極最もだ。山の天気は変わりやすい。あちらが晴天でもこちらは荒天なんてこと、しょっちゅうだ。それはシーカーと旅していた時に嫌と言うほど経験している。


「そうかもね」


 アイラは言いながら、樹氷林にまっすぐ向かっていた。森は確かに不気味な雰囲気で、どんな魔物が出現するのかわからない。が、過剰に恐れる必要はない。

 アイラとルインが揃って踏破できない場所というのは少ない。それはうぬぼれなどではなく、今までの経験からくる確固たる自信だった。過酷な砂漠も未知の森林も瘴気漂う湿地帯も、何なく切り抜けてきた。だからちょっと雪が多いだけの樹林など何の問題もないだろう。林は通り抜けるだけだ。そんな感じでアイラはごくごく気軽に林の中に入って行った。

 この時アイラは、重要な情報が頭から抜けていたのだ。

 ルーメンガルドに現れる最強の魔物、『雪原の覇者』が吹雪を連れてやってくること。

 そしてこの雪が深く積もった樹林は、不幸にも『雪原の覇者』の生息域だった。


 森に入った途端、空気が変わった。

 視界は薄暗く遮られ、張り詰めた雰囲気が漂っている。森の木陰に紛れて魔物が潜んでいるだろうと思っていたのだが、不自然なほどに何者の気配もない。

 嫌な予感がしているのは、アイラだけではない。前を歩いて道を確保してくれているルインもまた、いつも以上に警戒を強めていた。


「この森……何かいるな」

「そうだね」


 短く答え、アイラは武器を抜いていた。右手に握りしめ、何が来ても即座に対応できるようにする。

 森の中は奇妙だった。倒木が多い。明らかに何者かによってへし折られた木も少なくない。抉られたようなものもある。まだ傷跡が新しく、中身が剥き出しになり、ささくれだっている一本の木に目を止めたアイラは、一体何に攻撃されたのだろうかと考える。

 昨日アイラたちが樹氷林で出会った魔物は、中型から小型が多かった。しかしこの木を傷つけた魔物は、明らかに大型の魔物だろう。できた傷の大きさが段違いだ。木の幹の一部がまるで大砲でもぶつかったかのようにえぐり取られ、見るも無惨な状態だった。


「早いところ出た方がよさそう」


 これが世にもまれなる絶品食材を探しているのだとすれば命をかけてもいいのだが、頼まれているのは石だ。アイラは石に命はかけられない。最悪、引き返して万年氷と雪華を採取しバベルに戻ろう。一つくらい素材がなくても仕方ないだろう。

 樹林は雪原に歪な形で広がっており、直線に進むとあっさりと抜けることができた。青空の下に再び出たことで、先ほどまでの張り詰めていた緊張感が少し緩み、開けた視界の先をアイラが見渡した時だった。

 不意に、吹雪が吹き荒れた。

 それはアイラが今まで経験したことのない荒々しいものだった。

 風が吹き抜け、背後の樹林で不穏な風の唸り声が響く。先ほどまでの晴天とは一転し、瞬時に雲が厚く空を覆った。その雲から叩きつけるように降り注ぐ雪の粒は大きく、雪だけでなく氷の礫が混じっている。

 雷も鳴り響いていた。悪天候どころの話ではない。周囲の気温が五度は下がり、凍てつく空気が結界越しにも伝わってきた。

 一体、なぜ。何が起こったのか。遠くで獣の鳴き声が聞こえた。威嚇するような声とともに、地響きも感じる。これは魔物の足音だ。それも、かなりの大きさの。ジャイアントドラゴンよりも大きいかもしれない。

 アイラが状況を把握する前に、今度は足元に光が広がった。


「!?」


 銀色の光が描いているのはーー魔法陣。これは今の吹雪や、魔物のものとは別だ。人間が生み出したものだと直感する。逃げようとしたが遅かった。アイラが常時展開している火属性の結界魔法が破れた。途端、荒れ狂う天候が数十倍もひどく感じる。ダイレクトに肌に触れる大粒の雪と攻撃魔法のような氷の礫が、肌に痛い。

 足が動かない。魔法陣の効果は、捕縛に限定した物らしい。光が体に絡みつき、身動きが取れない。首の筋すら動かせず、隣にいたルインにどうにかこうにか視線だけを送る。

 ルインはルインでがんじがらめにされており、全く動けそうになかった。

 油断なんてしていなかった。森で異変に気付いてから、アイラもルインもいつもより気を張っていた。それでも捕縛されたのは、吹雪と唸り声に気を取られていたからだ。それが油断だと、敵が一体とは限らないと、そう言われてしまえばそれまでだけれども。

 完全に動けない。光はどう力をいれてもちぎれず、むしろこちらの力を吸い取っているようだった。魔力が抜けていくのがわかる。アイラは魔力量が多いので大したことないが、あまり長時間捕まっていれば抜け切ってしまう。こんな雪の中、しかも魔物が間近に迫っているのに魔力切れとか冗談じゃない。死んでしまう。

 アイラは死ぬ時は、お腹いっぱいで幸せに死にたいと決めている。

 なんとか逃げられないかと全身に力を入れていると、山の方、崖の上に人の姿が現れた。

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