第75話 氷湖でキュウリュウウオ釣り③

 いつの間にかアイラの周囲に人だかりができている。バベルに来てから何度目の光景だろう。元々人の目をあまり気にしないタチであり、そして人に囲まれるのにすっかり慣れてしまっているアイラは、ひたすら釣りに没頭していた。

 釣り竿がガクンとなり、しなっている。周囲の冒険者たちは、一体何がかかったのだろうと固唾を飲んで見守っていた。

 アイラが釣り竿のハンドルを操作して素早く釣り糸を巻き上げ、同時に立ち上がってふんばりをきかせた。ここは人類にとっての脅威の土地。何が釣れようとも魔物に変わりはなく、非常に危険なため、のんびり腰を落ち着けたまま引き上げるというのがいかに愚かなことなのか、アイラはこの数時間のうちによく思い知っていた。


「次に釣れるのは何だ……!」

「何だろうがオレァ驚かねえぞ」

「ふんっ……ぎぎぎぃ!」


 アイラは一際力を入れて釣り竿を引っ張った。


「だあああーっ!」


 軋みを上げた釣り竿の先にかかっていたのは、なんだか、人間に若干似た魚だった。水掻きのついた手のようなヒレでしっかりと釣り針をつかみ、左手には杖のようなものを持っている。顔は、おっさんの顔に見えた。冒険者たちが叫んだ。


「ビショップ・フィッシュだ!」

「ビショップ・フィッシュだぞ!」

「気をつけろ、雷魔法を使ってくる!!」


 どうするか、考えるのではなく本能で動いた。アイラは釣り竿から手を離し、ファントムクリーバーを抜き放つと、トビウオのように宙を高々と飛ぶビショップ・フィッシュなるおっさんに似た魚に突進した。魔法は使わない。水魔法は雷魔法と相性が悪く、火魔法を過剰に使うと湖が溶けてしまうからだ。

 己の培った、包丁さばきのみで戦うしかない。

 アイラはファントムクリーバーの付け根の穴に人差し指を引っ掛けて固定し、残る四本指で柄を握りしめ、おっさんフィッシュが魔法を放つ前に仕留めようと走る。しかし敵の方が早かった。二本足でしっかりと氷の上に降り立ったおっさん魚の持つ杖の先から、雷魔法が迸る。拡散した稲妻は、アイラだけを狙ったわけではなく、周囲にいた冒険者たちをも巻き込んだ。あちこちから悲鳴が聞こえるが、構ってなどいられない。彼らも冒険者である以上、身を守る術くらい身につけているだろう。少なくとも今の雷魔法で即死するような人間はいないと信じたい。音と光は派手だったが、そんなに威力なかったし。ちょっとビリッとしただけだ。

 怯まずに突っ込んでいくアイラに、ビショップ・フィッシュは追加の魔法を仕掛けようとしたが、呪文が終わるより前にアイラが間合いに入る方が早かった。

 シュッとファントムクリーバーを目にも止まらぬ速さでふるう。まさに神速。誰の目にも追えぬ速度で振り抜かれたファントムクリーバー。そしてアイラが駆け抜けた後、おっさんフィッシュの細切れが宙を飛び、陽光に煌めいた。

 アイラが腰に下げていた皿を取り出すと、見事に均一の取れた魚肉の薄切りが皿の上に綺麗に載った。アイラは得意満面で一括りにした癖のある赤毛をなびかせながら冒険者たちを振り向いた。彼らは近づいてくるや否や、感嘆の声を漏らした。


「おぉ……なんて美しい、刺身……!」

「刺身は魚醤を垂らして食べるとうまいんだろ? 知ってるぜ!」

「だが、ビショップ・フィッシュの肉は舌がビリビリするから食えたもんじゃないぜ」 

「えっ」


 一人の冒険者の言葉に、アイラは慌てて鑑定魔導具を装着し、今や魚肉の薄切りと化したビショップ・フィッシュを鑑定した。


【ビショップ・フィッシュ】

 二足歩行する人面魚。雷魔法を使う。肉には雷が浸透しており、食べると舌が麻痺を起こす。食用不可。


「……食用不可……せっかくこんなに綺麗に削ぎ切りにできたのに……」

「あの見た目を見た後でよく食おうという気になるな」

「だって、見た目から味は判断できないじゃん? もしかしたらすっごい美味しいかもしれないじゃん」

「食に貪欲だな。こんだけ食材集まってるんだから、満足しておけよ」


 そう。アイラの周りには、冒険者たちだけでなく、綺麗に三枚におろされたキュウリュウウオと、氷づけにされているドスカルパラ、そして深いところに棲んでいるので釣り糸にかかることはないとされるアリリイル貝が大量に積み重なって置かれていた。その脇には、バケツの中にキュウリュウウオの幼魚が生きたまま泳いでいる。


「キュウリュウウオの幼魚は丸ごと食えるぜ! 油で揚げると最高にウマイ! 生捕りにしてバケツの中で泳がせて、泥とか吐き出させてから食うのがいい!」という冒険者の言葉に従った結果だ。

 ちなみに幼魚は群れで釣り針に食らいつき、重みでこちらを湖の中へと引きずり込もうとしてきた。まだ戦闘力がないので数で勝負しようとしているのだろう。小さいのにたくましい限りだ。まあアイラには効かなかったが。一本釣りで一網打尽だった。

「確かにそうだね」


 アイラは冒険者の言葉に頷き、ビショップ・フィッシュの薄切りは湖の中へと返した。このまま皿に盛り付けておけば、きっと誰かが食べてしまうだろう。ぷかぷか浮いていた魚の薄切りが静かに沈んでいったのを確認した後、アイラは気を取り直した。


「そろそろルインも戻ってくるかな」


 お腹がぐーと鳴る頃合いなので、ルインも戻ってくるだろう。アイラもルインも大体、腹時計で行動している。お腹が空けばごはんを食べに戻ってくるし、そうでなければ戻ってこない。

 アイラはルインがいつ戻ってきてもいいように、食事の準備をすることにした。

 湖のど真ん中にいるとルインの体温で氷がどんどん溶けてしまうので、敷物に捕獲した食材を全部載せ、ずるずると引きずって沿岸に行く。岸辺に陣取り、そこで調理道具一式を引っ張り出した。

 アイラは今回、主目的を料理と決めているので、色々持ち込んでいる。

 まずは三脚。鉄の棒三つを組み合わせて上部を固定し真ん中にフックを垂らすだけの簡単なものなのだが、これがあると料理がしやすい。前回沼地でやったようにルインに鍋を持っていてもらうという方法もあるにはあるが、それだとルインの食事が後回しになってしまうので申し訳ない。あと、油が跳ねてルインの毛に付着すると発火する危険性がある。ルインの体内は炎が渦巻いているようなものなので、危険は減らすべきだろう。

 アイラは三脚を組み立て、フックに鍋を吊るし、その下に魔石が入った空き瓶を置いた。釣り竿と共にボニーから借りたものだ。ルーメンガルドは一面が雪に覆われていて乾いた枝などを入手できないため、焚き火の代用品として使う魔導具だった。アイラが人差し指の先で魔石に火を灯すと、勢いよく燃え上がり、鍋底を炎が舐めた。何の調節をしなくても火は一定の温度で燃え続け、安定している。


「すごい、これは便利!」


 アイラは鍋の中に油をたっぷり注ぎ込み、温度が十分に上がるのを待ちつつ、食材の下ごしらえに入る。


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