第74話 氷湖でキュウリュウウオ釣り②

 キュウリュウウオは入れ食い状態だった。おおよそ十分おきくらいに針にかかり、釣り糸を食べて這い上がってこようとするので、その度にアイラは綺麗に三枚におろした。おろされた身と骨がアイラの周囲に積み上げられている。氷上に保管されていて腐る心配がないのがありがたい。

 その他の魔物も針にかかることがあった。

 鯉のような見た目をしている金色の魚系魔物もかかった。ヒレが鋭利な刃物のような形をしていて、目がギラついていて恐ろしい。この魔物は釣り糸を食い進む真似はしなかったが、水面に上がった途端、ヒレを飛ばして攻撃してきた。アイラはひょいと避けてから、魚に向かって氷魔法を発動し、氷漬けにしてから鑑定してみた。


【ドスカルパラ】

 ヒレを飛ばして攻撃してくる。この攻撃さえ避けられれば、簡単に捕獲可能。胆嚢に毒があるが、取り除けば身は食用可。苦玉を潰すと苦くなるので注意。時間が経つと生臭くなる。


「この魔物、ボニーさんがヒレと胆嚢欲しいって言ったやつじゃん。へえ、食べられるんだぁ」


 アイラは興味津々でドスカルパラなる魔物を観察した。氷漬けにされた魔物は静かにアイラを見つめ返している。仮死状態にしてあるので、美味しく食べられるはずだ。

 平べったい布のような魔物も釣り針にかかった。これは水の上に出た瞬間、超音波のような音を発し、アイラだけでなく周辺の冒険者の鼓膜を破ろうとした。鷲掴みにしてカッチカチに凍らせてから鑑定したところ、湯通ししてから食べるといいらしい。食用可能ならば取っておく。

 そんな感じでアイラは釣りを存分に楽しんでから、次は貝を捕ろうとマントとベスト、ブーツを脱いだ。


「おいおい、嬢ちゃん。まさか寒中水泳でもするつもりか?」

「そのまさか」


 アイラが軽く準備運動をしていると、周囲がざわめいた。


「何を獲って来ようってんだ」

「アリリイル貝」

「そいつはやめた方がいいぞ」

「なんで?」


 アイラが屈伸運動をしながら首を傾げると、もっさりした毛皮のコートを着込んだ冒険者がワケ知り顔で人差し指を立てる。


「アリリイル貝はことさら凶暴だ。水の中でじっと潜み、獲物が来るのを待ち、いざ近寄ると恐ろしい速さで動いてこちらを飲み込もうとする。貝の中に飲まれたら最後、あっという間に消化されちまって骨しか残らねえぞ。逃げようにも水面はほぼ凍りついてるから、水上に逃げるのも一苦労だ。水中だと剣を振るのも一苦労だし、魔法だって上手く発動できねえだろ」

「んー、確かに。でも獲ってくるって約束してるし、取り合えず一回潜ってみるよ」

「おい、俺は忠告したからな。知らねえからな」

「うん、ありがと。気を付ける」


 アドバイスをくれた冒険者に礼を言うと、魚釣り用に開けた穴をもう少し広げようと、火魔法を付与したファントムクリーバーを氷に突き立てた。火魔法によって氷が溶け、アイラの体が通るのに十分な大きさになると、アイラは何のためらいもなく頭から水の中に飛び込んだ。

 表面が分厚い氷に覆われた水中は、澄んだ水を湛えていた。おそらく肌に突き刺さる冷たさなのだろうが、常時火属性の結界魔法で全身を覆っているアイラにとっては心地よい温度である。足で水を蹴ってまっすぐ潜っていく。

 ボニーに貸してもらったチョーカー型魔導具のおかげで、アイラは水中でも息ができるようになっていた。口から水を吸い込むと、チョーカーが反応して魔石部分から泡が出て、空気が肺に満たされる。まるで魚になった気分だった。

 酸素量を気にしなくていいというのは助かる。なにしろ表面は厚さ一メートルの氷で覆われているので、どこでも浮上できるわけではない。いざとなれば割るという手段もあるが、それでは冒険者たちの迷惑になってしまうだろう。湖上でのんびりと釣りを楽しんでいたら、突然氷にヒビが入り、冷たい水の中に叩き落とされたとあってはひんしゅくを買う。そんな事態は避けたい。

 垂直に潜っていくと、湖面からの光がだんだん届かなくなったが、代わりに水中で水草が発光していることに気がついた。ギリワディ大森林の光苔や燐光スズランのように魔力を蓄えている類の植物なのだろう。ゆっくりユラユラ揺れながら光る様は幻想的で、そして便利だ。アイラは胸元で浮いている鑑定魔導具を手にし、光る水草を鑑定した。


寒光草カンコウソウ

 寒い気候の淡水で育つ水草。魔力を内包して光を蓄え、淡く発光する性質がある。食用不可。


 食べられないと知ったアイラは少々ガッカリしながらも、まあ明かりになるからいいかと思い直す。

 氷虹石とアリリイル貝を探してより深く潜っていった。

 かすかに明るい湖の中でも、貝を探すのは一苦労だ。水草の中や岩の影などに隠れてじっとしていれば、素人のアイラになどわかるはずがない。ただしそれは、あくまで普通の貝の話だ。探しているのが魔物である場合、向こうから寄ってくる。

 アイラが潜水している真下で、何かがうごめいた。綺麗だった水中に泥砂が巻き上げられ、視界が悪くなる。と思ったら、突如真っ暗になった。

 暗い中でアイラに向かって触手のようなものが伸びてきて、結界に阻まれてジュウッと音を立てて焼かれ、慌てて引っ込むのがわかった。

 どうやら貝に食べられたようだ。そう結論づけたアイラは、右手に火魔法を収束させて、暗闇に向かって拳を叩き込んだ。

 振り上げた拳から火柱が立ち上り、冷水を熱湯に変えた。熱さにやられた貝の中身がボイルされる。火柱が突き抜けた先から光が差し込んだので、アイラは水を蹴り上昇した。ついでに今しがた倒した貝をつかみ、空気を求めて浮上する。

 湖面で一際明るい箇所を目指した。丸い穴から光が差し込んでいるのを見つけ、そこまで泳いだ。


「っぷはぁ!」


 水上に顔を出し、思いっきり空気を吸い込んだ。張り付いた前髪をどかし、左手で湖面に肘をつくと、片手で体重を支え上げ、氷上に膝をついた。


「おう……お嬢ちゃん、大丈夫か」

「うん」

「全く無茶しやがるぜ」


 どうやら心配して様子を伺っていたらしい冒険者がほっと一息つく。アイラは右手を引き上げた。ザブッと水飛沫を跳ね飛ばしながら、水中から貝の死骸が姿を現す。貝は、光を受けて鮮やかな紫と黄色のマーブル状に輝く、綺麗な色をしていた。平たく、扇のような形をしている。ぱっかり空いた貝の端からは、アイラに触手のようなものを伸ばしてきた、ぶよぶよした中身がでろんと飛び出していて、完全に死んでいるのがわかった。冒険者が喜びの声を上げた。


「おぉ、これは上物だ」

「でも大穴開けちゃった」


 アイラが脱出する際に開けた穴の周囲は黒く焼け焦げている。


「確かにそうだが……どうせそのまま使うわけじゃなく、切り出して加工して使うんだ。穴が空いてたってかまいやしねえだろ。アリリイル貝は貴重だぜ! なにしろ、こんな極寒の中、湖底まで潜る冒険者は少ないからな。ギルドに持っていけば高値で引き取ってもらえる」

「そうなの? あたしに依頼した人は、キュウリュウウオを釣っていれば出会える、くらいの気軽な言い方してたけど」

「そりゃ、水中深くに糸を垂らせば食いついてくるかもしれんが。そんなに深くまで糸を伸ばせんだろ、普通」


 アイラは置いておいた釣り竿を見た。これは普通の釣り竿、釣り糸ではない。何せ、普通じゃあり得ない刃物みたいな歯を持つ魔物が糸に食らいついてよじ登ってきても、びくともしない釣り竿なのだ。糸も相当深いところまで伸ばせる。


「あと、氷虹石って石を頼まれてたんだけど、どこ探してもそれっぽいのがなかったんだよね。もう一回潜って探そうかな」

「あー、お嬢ちゃん、そりゃ無駄骨ってもんだ。ピエネ湖に氷虹石はねえ。ありゃもっと奥地の湖で産出される」

「なんだ……じゃあピエネ湖に潜る必要なかったんだ」


 アイラは気を取り直して敷物の上に座り直し、ハンドルを回して糸を限界まで水中に垂らしてみた。

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