第73話 氷湖でキュウリュウウオ釣り①
見渡す限り一面の雪景色。白銀の世界。
西に見えるどこまでも続くような峻峰も、すぐそばに広がる樹林も小さく見える湖面も、その先の地平線も、全てが同じ色をしていた。視界を覆い尽くす白一色の眺めに、アイラとルインは思わずテンションが上がって叫んだ。
「雪だーっ!!」
「雪だな!!」
二人は降り積もったまっさらな雪の上にダイブして、人型と狐型の跡をつけ、その上をゴロゴロと転がった。膝頭まで届く雪は柔らかくサラサラしていて、アイラとルインを優しく受け止めてくれる。そしてひんやりしていて心地よい。おまけに天気が良かった。雪の上に反射する太陽の光が眩しいほどだ。ギリワディ大森林のように林立する巨木で陽光が遮られているわけでも、ヴェルーナ湿地帯のように瘴気で澱んだ空気なわけでもなく、降り注ぐ日の光を浴び、キンと冷たく澄んだ空気を思いっきり吸い込むのは気持ちがよかった。アイラは雪の上に大の字に寝そべったまま深呼吸をした。
「わぁー、あたし雪久しぶりだよ」
「オレもだ」
「ねえ、ルインがいるところの雪、どんどん溶けていってるよ!」
「ん? 本当だな」
ルインは転がるのをやめ、すっくと四本足で立った。荷物がガチャガチャ音を立てている。ルインの寝転んでいた場所だけ、雪の溶け方が激しい。アイラは上半身を起こしてまじまじ見つめた。
「ルインの体温、高いもんね」
「もしやオレが凍った湖の上でじっとしていたら、熱で湖面が溶けるんじゃないか?」
ハッと二人は顔を見合わせた。
「えっ、それ、やばくない?」
「……オレは……釣りが、できない?」
ルインは絶望に満ちた顔をした。尖っている耳と髭が垂れ、目尻が下がり、なんとも情けない表情になる。アイラは意味もなく両手を上下に動かした。
「落ち着いて、ルイン! そもそもルインは釣り出来ない……ってそうじゃなくて、地面に近いとこで釣りすれば大丈夫だよ。もしくは、あたしが湖上で釣ってきた魚を、ルインのとこまで運ぶから!」
「うぬぬ……」
目を細めたルインが、プルプル震え出した。
「気を遣わせて悪いな、アイラ……そうだ。どうせならアイラが釣りをしている間、オレは別の食べられそうな魔物を狩って来ることにしよう。ここらの魔物については全く知らないが、まあ、何かしら肉になりそうな魔物はいるだろう」
「あ、ほんとに? それならそれで助かるけど。あんまり離れないようにね」
「天気も良いし視界も良好だ。アイラのニオイを辿れる場所で狩りをする」
「じゃあとりあえず、ピエネ湖まで行ってみようか」
「うむ、そうだな」
二人は遠くにポツンと見えている凍った湖面を目指して足を進めた。
ピエネ湖までの道は迷わずに済んだ。天気のいい現在、湖は遠くとはいえはっきりと視認できているし、それに湖までの道は雪が小脇にかき分けられていてちょっとした道になっていた。アイラたちはその道を進めばいいだけだ。地面は見えないが踏み固められた雪がは固く、滑って転ばないように慎重にザクザクと歩く。ルインが荷物をガチャガチャ言わせながら、アイラの後ろから声をかけてきた。
「道があってよかったな」
「そだね。多分、行き来する冒険者たちがかき分けてるんだろうねー」
一本道のそこを通っていく途中、樹林が見えた。木々は全て雪を被っており、葉先から氷柱が下がっている木もある。
「ボニーさんに、白樺の冬芽を取ってきてって言われてるんだよね。あの木かな」
アイラは釣り竿を担いでいない方の手をマントの内側に突っ込んで、胸元をゴソゴソしてから真新しい鑑定魔導具をひっぱり出し、右目のまぶたにはめ込んだ。
レンズ越しに雪と氷に覆われた樹の情報が入ってくる。
【白樺の木】
落葉広葉樹。冬芽は錬金術や魔導具の材料に使われる。またその樹液は甘味になる。
「やっぱあれが白樺だって」
「荷物が増えるから、採取は最後でいいな」
「うん。樹液が甘味になるらしいから、ついでに取って行きたいな」
まぶたから魔導具を外し、アイラはウキウキしながら言った。さっそく鑑定魔導具が役に立って何よりだ。この調子で、目に映るもの全てを鑑定しまくろう。
一時間ほど進むと、ピエネ湖が近づいた。巨大な湖は氷で覆い尽くされており、ちらほらと他の冒険者の姿が見える。皆、湖面に空けた穴から釣り糸を垂らし、釣りを楽しんでいるようだった。
「よし、あたしも早速!」
「オレは樹林で狩りをする」
「わかった。今荷物ほどくね」
ルインが狩りをしやすいように、荷物を全て解いた。敷物、油が入った大瓶やアル粉が詰まっているルペナ袋、チーズの塊、それに揚げ物用の鍋などがどさどさと雪の上に落とされる。身軽になったルインは、大きな顔を巡らせて、樹林を見た。
「じゃ、行ってくる」
短く告げるとさっと飛び跳ね、道なき雪の上を踏みしめて樹林へと消えていく。アイラはその後ろ姿を見送ると、荷物を持ち上げて湖面の上に一歩足を踏み出した。分厚い氷はアイラの体重を軽く受け止め、支え、びくともしない。
「わっ、ととと。滑るー」
湖の上はうっすらと霜が降りていて、そして何よりツルツルした。雪の上とは比較にならない。つるるるーっと滑りながら進んでいると、周囲の冒険者が笑いかけてきた。
「嬢ちゃん、ルーメンガルドは初めてか? 靴底にスパイクをつけないとダメだろう!」
そう言いながら湖面に釣り糸を垂らし、小さな椅子に腰掛けていた男が自分の靴裏を見せびらかしてきた。そこには小さな釘がびっしりと打ち付けられている。
「普段の靴に釘を打ちつけた板をバンドで固定するんだ。そうすれば、氷の上でも行きたい方角にちゃんと行ける」
「なるほどね……勉強不足!」
アイラは湖面を滑りながら、どうにかこうにか進み、そして止まった。
「この辺でいいや」
どのあたりに魚がいるのかさっぱりだったが、自分の意思で行きたい方向に思うように行けない以上、あまり岸辺から離れない方がいいだろう。
アイラは荷物をどさどさ置くと、敷物を広げてその上に座った。こうすれば氷の上に直接座らなくて済むし、座り心地もいい。結界魔法を張っているので気温は問題にならないが、座り心地は自分で改善するしかない。
地面に手をつくと、火魔法を発動し、釣りをしたい箇所の氷を溶かす。やってみてわかったのだが、氷がかなり分厚い。溶かしても溶かしても水に行き当たらない。両手をつけたままどんどん前屈みになっていき、しまいには前につんのめって転んででんぐり返ししそうになったので、方法を変えた。腰からファントムクリーバーを引き抜いて火魔法を付与し、炎の剣を作り上げる。刀身を伸ばしたファントムクリーバーを氷に突き立てると、シューシューと水蒸気を発しながら氷がどんどん溶けていった。円形にくり抜くと、氷は厚さが一メートルほどもあった。あのまま手で溶かしていたら時間がかかって仕方なかっただろう。
早速、餌を括り付けた釣り糸を垂らす。キュルキュルキュルと持ち手付近についたハンドルを回すと、糸がどんどん水中深くに潜っていく。
釣り竿は木ではなく、何かの金属で出来ていた。銀色だ。細く、よくしなり、かといって丈夫で折れそうにない。アイラが経験したことのある釣りでは、そこら辺に落ちているいい感じの枝に紐を括り付け、先端に餌を刺したフックを取り付けて水中に垂らすというものなので、あまり大物がかかると枝がボキッと折れてしまうのだが、この釣竿ならばその心配はなさそうだった。さすがは魔導具店の店主が作ったもの、普通の釣り竿ではない。借りられてラッキーと思った。
獲物はすぐに食いついた。アイラの釣り竿が大きくしなる。
「お、おぉ!? はやっ! おもっ!」
釣り竿がたわみ、軋んだが、予想通り折れはしなかった。ハンドルを回して釣り糸を縮めるのさえ苦労するほどの力で引っ張られる。油断していると、水底に釣り竿が引きずり込まれてしまうだろう。この釣り竿は借り物なのでそれは困る。両手両足に力を入れてふんばりながら、釣り竿を持っていかれないように気合を入れた。
今や釣り竿は、限界までその細い金属の竿をしならせている。糸が左右にブレ、すごい勢いで水底に引きずり込もうとしている。
十分に釣り糸を短くし、立ち上がったアイラは、全身の力を込めて糸を引いた。
「せぇぇぇい!!」
気合を込めた声を出して腕を振り抜くと、氷上に開けた穴から釣り糸と共にスポーン! と魚が現れた。高く舞い上がったその魚は、話に聞いていたのと違わない特徴をしている。
九つに分たれた尾ひれを持ち、白く美しい鱗を持ち、異常に発達した顎と歯を持つ魔物ーーキュウリュウウオだ。
リュウと名前がついているので、てっきりドラゴンのような見た目をしているのかと思っていたが、細長い胴体はむしろ蛇を彷彿とさせる。
キュウリュウウオは氷の上に打ち上げられたが、全く弱っている様子は見せない。九つの尾ひれを使い、氷の上をシャーッと滑りながら突き進み、口に刺さったままの釣り針すら意に介さず、釣り糸をバリバリ食べながらアイラに向かって突き進んできた。想定外にパワフルなキュウリュウウオの動きにアイラが驚いていると、近くで同じように釣りを楽しんでいる冒険者が叫んだ。
「気をつけろ。キュウリュウウオの本当の狙いは、釣り糸を垂らした人間を食べることだ! ぼーっとしてると食い殺されるぞ!」
アイラは釣竿から手を離し、マントの奥に手を突っ込んでファントムクリーバーを抜いた。今やキュウリュウウオは釣り糸を喰らい尽くし、アイラの間近に迫っている。ぱっくり空いた口には、魚とは思えない鋭いギザギザした歯が生えていた。
「魚は……三枚おろし!」
アイラは右手に持ったファントムクリーバーを構え、魚に突っ込んだ。
餌の方から飛び込んできたと勘違いしたキュウリュウウオが歓喜に尾をばたつかせた。しかしアイラは魔物の餌になる気などさらさらない。
刃を眼前に構え、両手で固定して突進し、魚の口元から背骨に添わせるように切り裂いた。この魚、さすが魔物なだけあって、表面が硬い。しかし一旦刃が通ればどうということもなかった。アイラはズンズン前進した。
魚をおろす時のコツは、背骨から身を綺麗に剥がすことだ。背骨に身が残らないようにすれば、可食部が増える。せっかくの貴重な食材なので、いっぺん残らず美味しく食べたい。
はたしてキュウリュウウオは、アイラの持つファントムクリーバーの前になす術なく、頭から尾ひれまで綺麗に真っ二つに切り裂かれた。
ビクビクしているキュウリュウウオをつかみ、アイラは容赦無く反対側の身も背骨から引き剥がす作業をした。
「キュウリュウウオの三枚おろし、完成!」
「おぉ……随分綺麗に身が剥がされてるな」
「こりゃ職人技だ」
他の冒険者がわらわら寄ってきて、身と背骨とに分かれたキュウリュウウオを見下ろしながら感心した。
ボニーに聞いた通り、キュウリュウウオの身はうっすらと透き通っており、白く美しい。早く食べたいところだが、ルインが帰ってくるまで我慢だ。
「コツは掴んだから、次々に釣っちゃうよ!」
アイラはキュウリュウウオに飲み込まれた釣り糸を手繰り寄せ、新たな干し肉の欠片を釣り針に差し込みながらはりきった。
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