第67話 バベルの塔でパン祭り①

 バベルの塔の41階。低家賃向けの共同キッチンに本日、人が常になく群れていた。いつもは三々五々に集い、適当に料理をし、適当に長テーブルの空いている椅子に腰掛けている彼らは、ひと塊になってキッチンを見つめていた。

 その中央にいるのは、癖のある赤毛をポニーテールにし、左目を前髪で厚く覆い隠している一人の年頃の女だった。革のベストの下ではち切れそうな胸。程よく肉がついたふとももをショートパンツから惜しげもなく晒し、腰には調理道具がジャラジャラぶら下がっている。そんな出立ちの彼女は本日、いつもつけている指先が空いた革のグローブを外し、代わりにミトンをはめていた。前髪で隠れていない水色の右目は、何かを期待して爛々と輝いている。

 アイラは今、冒険者たちの注目を一心に浴びながら、真新しい魔導具の前にうずくまっていた。

 黒い四角い物体がピーピーと音を鳴らす。待ちかねていたアイラは即座に取ってを掴んで扉を開いた。

 途端に香ばしい匂いが箱の中から周囲に漂った。

 一言で表現できる香りではない。

 焼きたての小麦。ベーコンやソーセージといった肉が、肉汁を滴らせて立ち昇らせる湯気とともに放つ香り。ハンバーグの上にかかった濃厚なソースの食欲をそそる香り。溶ろけたチーズのなんとも言えない幸せな香ばしさ。火を通した木の実とドライフルーツの甘やかな香り。

 これら全てが渾然一体となり、共同キッチン中に漂い、複雑な香りで満たしていた。

「うわぁ」「うぉぉ」という声と共に、集った冒険者たちが鼻をうごめかせる。まだ一口も食べていないというのに、その表情は恍惚としていて、至福に満ちていた。

 オーブンから天板を取り出したアイラは、出来上がったばかりの料理を見て、本能のままに叫んだ。


「出来た……パン!!」


 ルインが「パァン!!」と遠吠えをし、冒険者たちが「パン!」「パン!!」「パァァン!!」と雄叫びを上げた。


「すげぇ、まさか激安家賃の低層階で、出来立てのパンの香りが嗅げるなんて!」

「匂いだけでいいから! この匂いをおかずに俺は自前のカビの生えたパンを食う!」

「俺もだ!」

「俺も!!」


 集った冒険者たちは、別にタカろうなどという気はこれっぽっちもなく、ただただ焼きたてパンの匂いを深呼吸して胸いっぱいに吸い込み、持参していた食事をいつもの数十倍美味しそうな顔で食べていた。平和な空間である。

 アイラは今しがた焼き上がったパンをルインと自分の皿に山分けにした。


「角切りにしたチーズを入れたパン、ベーコンエピ、ソーセージドッグ、パンを器に見立てたグラタン風、ボリュームたっぷりハンバーグパン、それから木の実とドライフルーツのパン……! どれも全部美味しそうで、やっぱりあたしって料理の天才かも!!」

「オレはもう食べるぞ!」

「あっ、ルイン待ってよ!」


 ルインは皿に巨大な鼻面を押し付けてフガフガとパンを食べ出した。アイラも負けじとパンに手を伸ばす。どれを食べようかと少し考えた後、やっぱりここはお肉からでしょ、と一番ボリュームがあるものに決めた。

 アイラ特製ハンバーグパンは、パン生地の上に焼いたハンバーグを丸ごと載せ、その上から煮詰めたソースをたっぷりとかけた豪快な逸品だった。このソースもこだわって作っている。みじん切りにしたタマネギを飴色になるまでバターで炒め、そこにトマト、リンゴ、ワインビネガー、糖蜜などを加え、煮詰めていく。粗ごし糖ではなく糖蜜を入れるのは、ソースにとろみをつけたいからだ。焦がさないよう気をつけながらグツグツブクブクジュージューと煮込んでいき、黒に近い茶色になったら完成だ。バベルは物価が高いので、このソースを作るにもぶっ飛んだ金額が消えていってしまったが、ハンバーグパンにはこのソースが不可欠なので仕方がない。お金に多少の余裕があることだし、何より食に関して妥協したり折れたりするのは我慢がならないため、ここはお金のかけどころだ。

 そんな風にして作り上げたハンバーグパンは、至高の味わいだった。

 パンとハンバーグが同時に味わえる贅沢。なんて素敵なのだろう。焼きたてパンはふっくらもちもち、焼きたてハンバーグはジューシー、そしてブラウンソースはコッテリだ。美味しい。美味しすぎる。我ながら天才だと思う。

 アイラとルインの二人は、焼き上げたパンを夢中で食べた。

 他のパンも当然のように美味しい。

 アイラはわざわざ、具材によってパンを変えていた。

 ベーコンの入ったパンは硬めで噛みごたえのある食感だし、ソーセージドッグは細長い形状にしてソーセージを丸ごと一本挟めるようにしていたし、グラタンやハンバーグを載せるパンは窪みをつけて具材を載せやすいようにしてあった。木の実とドライフルーツは生地に練り込んでからちぎって丸めている。チーズパンは焼いてる最中にチーズが溶ろけて外に流出するのを防ぐため、真ん中に角切りにしたチーズを詰め込み、包み込んであった。

 全ては、完成したばかりのオーブンで、美味しくパンを食べるための執念に他ならない。

 アイラとルインが無心でパンを貪っていると、「なあ」という控えめな声がかけられた。グラタン風のパンをムグムグ食べながら振り向くと、屈強な風貌の冒険者が、物欲しそうな顔でアイラの食べているパンを見つめていた。


「そのパン、俺に売ってくれないか」

「売り物じゃないよ?」 


 アイラがグラタンの上に乗っているチーズをびよーんとさせながら答えると、男は胸を抑えて「グハッ」と吐血するような声を出した。


「なんだそのチーズの量は……視覚の暴力じゃねえか! 売り物じゃないのはわかってる。だが! どうしても! 俺はそのパンを食べたいんだ!! 売ってくれお嬢ちゃん、パン一個につき金貨一枚出してもいい! ほら!」


 男はアイラの目の前で、一枚の金貨を取り出し、眼前に掲げて見せた。するとそれを皮切りに、他の冒険者も手に手に金貨を持ってアイラに迫ってくる。


「俺も、さっきのハンバーグパンが食べたい!」

「俺はベーコンが入ったやつ!」

「私は木の実とドライフルーツ!」


 目を血走らせて金貨をアイラの手に押し付けようとする冒険者の群れに、さしものアイラも顔を引き攣らせた。


「そ、そんな高額払ってもらわなくてもいいけど……」

「いーや、そのパンには金貨一枚分くらいの価値はある!」

「そうかな……まあ、とりあえず、自分達の食べ終わったら次に焼いてあげるから、ちょっと待ってて」


 アイラは冒険者たちをなだめすかせ、ルインと共に自分の分のパンを堪能し、まだ材料あったっけと脳内で必要な食材の勘定を始めた。

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