第66話 バベルに戻って
帰り道はあっという間だった。ルインはアイラを乗せたまま鼻を使って方向を確かめつつ、飛ぶような速さでバベルまでの道を駆けていく。途中何度か魔物に遭遇し、その度に逃げたり狩ったり食べたりしたが、まあまあ平和で安全な旅だった。
湿地帯を過ぎ去り、鬱蒼とした森を抜け、わずかに開けた土地にそびえ立つバベルの塔の一端を見上げたら、なんだか懐かしい気持ちになった。
「わー、なんか久しぶり。一ヶ月ぶりくらい? もっとかな? 日にちの感覚が全然ないからわかんないや」
「そういえば、ダストクレストからバベルに行くまでの道中では一日一日を数えていたが、今回はしていなかったな」
「あの時は、お肉食べたさにずーっと指折りバベルにつく日を心待ちにしてたけど、今回は快適だったから数える必要なかったからね!」
ルインから降りてバベルの東門に近づくと、門番が出てきたので冒険者証書を見せて内部に入る。
黄土色の煉瓦を積み重ねて出来上がった塔内も、なんだかアイラたちを歓迎しているような気がした。アイラは隣をのしのし歩くルインを見た。ここまでずっと荷物と共にアイラを乗せてきてくれたので、もしかしたら疲れているかもしれない。ルインの赤橙色の毛並みをもふもふ撫でた。
「ルイン、疲れてる? 部屋でちょっと休む? それとも何か食べる?」
「さっき森で少し休憩したから大丈夫だ。腹も空いてない。強いて言うなら、荷物を下ろしたいからさっさと魔導具屋に行こう」
「魔導具作ってもらうには、お金もないといけないんだよね。じゃあ、ギルドに行ってお金受け取って、それから魔導具屋のボニーさんとこ行こうか。んしょ」
ルインにくくりつけてあった魔導具用の素材が入ったルペナ袋を半分引き取って持ちながら、21階の冒険者ギルドに行くべく転移魔法陣に乗った。
ギルド内は相変わらず雑多な賑わいに満ちている。カウンターに近づくと、小麦色の髪に眼鏡をかけたギルド職員のブレッドがアイラの姿を目に留めて一礼を送ってくれた。アイラは右手を上げて軽く振る。
「やほ、ブレッドさん。久しぶり。何ヶ月ぶり?」
「約一ヶ月半ぶりです。ヴェルーナ湿地帯での活躍は聞き及んでおりますよ。フィルムディアの方々との共同作戦とは、アイラさんは本当にすごいですね。しかも話によると、沼地の魔女とヘルドラドを懐柔したのはアイラさんであるとか。お疲れ様です」
「懐柔はしてないけどね。仲良くなっただけ。いい子だったよ。ところでここに、オデュッセイアお兄様から素材がじゃかじゃか送られてきてたでしょ? そのお金を取りに来たんだけど」
「はい、もちろん用意してあります」
ブレッドはいつものごとくに一度奥へと引っ込むと、長い巻物と金貨が詰まった袋を持ってくる。
「内訳はここに記載してあります。随分たくさん良いものが手に入ったと、素材の選別を請け負っている職員も、買い付けに来た錬金術師や薬師たちも喜んでいました」
「あ、そうなんだ。実際魔物を見つけたのはシングスで、無限に素材をバベルまで運んでくれたのはお兄様なんだけど、喜んでもらえたんなら良かった」
「オデュッセイア様とシングス様にも職員一同からの喜びの声を改めて伝えるとギルドマスターが言っていました」
アイラは巻物をほどいてざっと目を通す。ずらずら並ぶ項目別の金額は、目には入れたけど脳内には入ってこなかった。多すぎていちいち記憶していられない。
項目としては、クレソンマイルの牙と鉤爪と骨と毛皮、ハスハスの実、キラーアーマーの鎧、ポイズンスネークの皮と血と牙、ブラッドフロッグの目玉と体液、あとはそれらの魔物から産出した二級、三級魔石。一級魔石は全部アイラたちで使うためこの項目内には存在しない。
アイラは一番重要な最終項目に目を走らせた。
「締めて……金貨千二百枚! やったね!!」
大金だった。これでボニーに鑑定魔導具とオーブンを作ってもらえる。くるくると巻物を巻き取って、満足げな表情を浮かべた。
「全額持って行きますか?」
「そんなにいらないかな。七百六十枚、もらえる? あとは預金で」
「かしこまりました」
魔導具作成に必要な金貨七百五十枚プラス、生活費用に金貨十枚で七百六十枚だけ引き取ることにした。それにしても大金で、ずっしりくる。重い。袋に詰まった金貨と魔導具作成用の素材を手に、ギルドを後にして今度は20階を目指した。
武器屋防具屋などを通り過ぎ、立派な構えの店の前を素通りし、どん詰まりにある店を視界に入れた時、アイラはルインから全ての荷物を外して一人で店内に入った。両手が塞がって、口にも袋の紐を加えている状態だったので、体当たりして扉を押し開けた。年季が入った扉はギイギイ音を立てて内側に開くとアイラを埃っぽい店内へと誘う。
魔導具店の女店主、ボニーが、頬杖をついてうつらうつらしていた顔を持ち上げた。
「おや。久しぶり」
「ひひゃしふり!」
「はは、何言ってるかわかんないね」
口に紐を加えたままふがふが喋るアイラを見て、女店主は愉快そうに笑った。そんな店主の前にアイラは袋を全て置く。素材と金貨の重みで、古ぼけた木製のカウンターが唸りを上げた。
女店主は少し驚いたように、笑みをひっこめて袋の山を見つめた。アイラは腰に手を当てて胸を張る。
「素材もお金も全部持ってきたよ」
「へぇ」
ボニーは唇に弧を描き、続いて袋の口を開けて中身を確かめ始めた。
「鑑定魔導具用に、ゲイザーの水晶体を二つ、キラーアーマーの鎧の銅部分を二つ、一級魔石を一つ。オーブン用にアイアンクロコダイルの皮を二匹分、三級魔石を一つ。魔導具製作料金として、金貨七百五十枚。全部揃ってるね、うん」
それから常に浮かべている眠そうな表情を引っ込めて、金髪混じりの黒髪ボブカットの下、金の右目と黒の左目を子供のように輝かせた。
「こうしちゃいらんない。早速ウチは魔導具を作るとしよう。店はしばらく休業だね。鑑定魔導具は完成までに約ひと月、オーブンは十日くらいで出来上がるけど、先にどっち作って欲しい?」
「じゃ、オーブン」
「わかった。出来たら取りに来て」
「うん」
ボニーはカーキ色のつなぎの首元にぶら下がっているゴーグルに手をかけ、引き上げた。
「こんないい素材見せられたら、ウチの血が騒ぐってもんだよ……やっぱ店番より、作ってる方が百倍も楽しいからね」
根っからの職人気質らしいボニーには、もうアイラの姿は見えていないようだった。店での用事が済んだアイラは、踵を返して店を出る。外に寝そべっていたルインが眼球をくるりと回してアイラを見た。
「終わったか?」
「うん」
ゆっくり四肢を持ち上げたルインが、その場で大きく伸びをした。
「オーブンは十日、鑑定魔導具は一ヶ月かかるって。オーブンから作ってもらうことにした」
「なら、十日後にはアイラが焼いた美味いパンが食えるな」
「それまでにデル粉をたっぷり仕入れておかないとね! しばらくの間はバベルを拠点に、森に入って、パンに合いそうな食材を探すんだ。何が食べられるのか、また聞き込みしなくちゃ」
「楽しみだな……パン!」
狐のとんがった耳をピクピクさせ、具現化した炎のような尻尾を振りながらルインが上機嫌に言った。
「ひとまず今日はもう、部屋に戻って寝るか?」
「その前にもう一つ、やることがあるよ」
アイラが右目でルインを見ると、何かを察したらしいルインがぎくりと身をこわばらせ、おずおすと後退した。
「……何だ、何を考えている」
「たぶん、ルインと同じこと」
アイラがそう言った途端、ルインは身を翻してどこかへ逃げようとした。しかしそれを予測していたアイラは、ルインに括り付けてある鞍を鷲掴みにして逃亡を阻止する。ルインはその場で床を引っ掻き、四つ足を動かし続けていた。
「やめろ! どうせまた洗うとか言い出すんだろう!!」
「だって沼地にずっといたから、臭いよ! 泥と瘴気で大変なことになってるよ!?」
「そんなことはない。毎日毛づくろいしていた!」
「毛づくろいには限界があるってば!」
綺麗さっぱり洗いたいアイラと、逃げたいルイン。両者は足を踏ん張って、ギギギギ、と真逆の方向に体重をかけていた。
「行こうよ、いいじゃん、湯船に入れるわけじゃないんだし!」
「イヤだ!」
アイラとルインの戦いはしばらくの間続いたが、「酒場で大盛り食べていいよ」という誘惑に負けたルインが折れてくれた。
ギルド奥の従魔を洗うスペースに行き、阿鼻叫喚のそこでルインは非常に分別のある様子で大人しく洗われ、けれどやはりちょっと恨みがましそうな目でアイラを見つめながら毛をブルブルさせて水滴を跳ね飛ばし、アイラを水浸しにした。
アイラもシャワーを済ませると酒場に行き、給仕係の女の子モカに大量の注文をすると、お腹がはち切れそうになるまで食べた。
満腹になったルインはすっかり機嫌が治っており、部屋でごろごろしている。アイラも久々の自室ベッドを堪能していた。
「セイアお兄様の作ってくれた家もよかったけど、やっぱ自分の部屋って落ち着くよねー」
「そうだな。気兼ねなくゴロゴロできる」
「ルインがもっと過ごしやすいように、床に絨毯敷こっか?」
「それはいいな。よりくつろぎやすい」
「だよね。すぐに気づかなくてゴメンね」
「問題ない。バタバタしてたからな」
アイラは仰向けにベッドに寝転がり、無機質な黄土色の天井を見上げた。視界の端には、洗濯紐に吊るされたアイラの服が見える。
ヴェルーナ湿地帯では色々あったが、魔導具用の素材もお金も手に入ったし、なりゆきでパシィの誤解を解き、瘴気問題も解決したしで、なかなか実りある日々を過ごせたのではないだろうか。
魔導具が出来上がるまではのんびりゆっくり過ごそう。
「パン! どんなパン作ろうかな。あっ、そうだ、時間が余ってるから、干し肉とか燻製肉とか作って待ってようかな! ドライフルーツも作れちゃうね」
「それらが入ったパン……うまそうだな」
ルインの巨大な喉元がごくりと生唾を飲み込む音とともに動いた。
「よし、じゃあ、明日は一日、干し肉作りだね」
やることも決まった。しばらくは狩りに行かず、バベル内で料理をしながら暮らそう。
明日からの生活に思いを馳せて笑みを浮かべる。
心地よい疲労感と達成感に包まれながら、アイラとルインは眠りに落ちた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます