第68話 バベルの塔でパン祭り②
41階の共同キッチンの噂は瞬く間に塔内に広がった。
何やらオーブンをわざわざ作ってもらい、それでパンを作っている冒険者がいるらしい。しかもそのパンはなかなかバラエティに富んでいて、おまけに楽しそうに作るものだから、調理過程を見ているだけでお腹が空いてくる。
その冒険者というのは、ギリワディ大森林で従魔と共に単身でジャイアントドラゴンを討伐した二級冒険者だとか。先だってはバベルの統治者フィルムディア一族とヴェルーナ湿地帯で瘴気問題を解決し、噂によると沼地の魔女と大蛇ヘルドラドを懐柔したらしい。
そんな凄腕の冒険者が作る世にも美味しいパンが、金貨一枚で食べられるという。
きっとそのパンは味だけでなく、食べた人間に幸運をもたらすに違いない。
よし、食べに行こう。
そんなすごい人が作ったすごいパンがたったの金貨一枚で食べられるなら、行かないという選択肢はない。
こうして共同キッチンの中には次々と人が入って来た。低層階に住んでいる冒険者だけでなく、高位の冒険者の姿もちらほら見える。どやどやと足音を響かせ、パンを食べたいとせまる冒険者の数は増え続ける一方だった。
「いい匂いが上の階にも下の階にも広がってるぞ!」
「珍しいパンがあると聞いた!」
「パンに肉の塊が載ってるんだって!? 是非とも食わせてくれ!」
「食べると幸運になるパンをぜひ買わせてほしい!」
冒険者が焼きたてパンを食べたいと、我も我もと金貨を手にこぞって押し寄せてくる。一体何事だ。アイラには状況を正確には把握できなかった。しかし食べたいと言われれば、作るのが料理人の役目だろう。アイラはがぜん張り切った。
「よぉーし、いっぱい作っちゃおうかな!!」
とはいえ材料に限りがあるし、一から作るので時間がかかる。押し寄せる冒険者たちをなだめすかし、アイラの手元を興味津々で見つめる彼らの前でパンを捏ね、あまりにも前に来すぎないようルインがアイラの周囲をうろついて牽制しつつ、パン作りを続行した。
「アイラ、人混みの中で子供の声がする」
「え? 子供の姿なんて見えないけど?」
「いや、確かに聞いた。あれはおそらく、酒場にいた給仕の子供の声だ」
ルインにそう言われても、アイラの視界に入るのは屈強な冒険者たちのみだ。
「人混みに負けているのかもな……どれ、助けに行くか」
ルインが軽く床を蹴り、天井スレスレまで跳躍する。大型の従魔であるルインに押し潰されてはたまらないと、冒険者たちは押し合って場所を開けた。
ルインがすたっと降りた場所には、オレンジ色のおさげ髪に赤いエプロンワンピースの女の子、モカがうずくまっていた。
「やはり」
「あっ、アイラさんの従魔さん! よかったぁ……!」
くしゃくしゃで半泣きのモカがルインにとびつく。ルインはそのままモカを連れ、アイラのところまで戻った。アイラはパン生地を捏ねる手を休めず、目を丸くしてモカを見た。
「モカちゃん、どうしたの?」
「あのね、アイラさんがパンを作ってるって噂が酒場まで流れてきて、お客さんが全員そっちに行っちゃって……お父さんが、きっとアイラさん一人じゃ大変だろうから呼んできなさいって。酒場の人手とオーブン使っていいからって」
「ほんとに? 実は作っても作っても追いつかないし、材料もなくなりかけてたからすごい助かる!」
アイラの返事を聞いてモカがホッとした顔をした。
「じゃあ、酒場に行こうよ、アイラお姉ちゃん」
「そうだね、行こう行こう」
アイラは今しがた捏ねていた、木の実とドライフルーツがたっぷり入った巨大なパン生地を抱えて声を張り上げる。
「みんなーっ、人が多くなってきたから移動するよ! 22階の酒場でパン祭り!!」
バベルの22階。冒険者酒場のある階で、本日はパンを食べる冒険者の姿が多く目についた。
というより、パン以外のものを注文している人がいない。
どこのテーブルを見てもパン尽くしである。
ベーコンが入ったハードタイプのパンは顎が疲れるくらいの硬さだが、噛めば噛むほどデル粉の素朴な味わいとブロック状に切ったベーコンの旨味が味わえる。
一見ごく普通の丸いパンに見えて、実は真ん中にたっぷりのチーズが入ったパン。
食べ応えのあるソーセージが丸ごと一本挟まったパンには、付け合わせとして酢漬けのキャベツが挟んである。
パンを器に見立て、肉とマカロニがバターソースと共に入っているグラタン風のパンは表面のチーズがこんがりブクブクと泡立っている。
同じくパンを器に見立て、ハンバーグが載っているパンは上にかかったブラウンソースの複雑な甘味と旨味が絶妙で、いくらでも食べられる。
ギリワディ大森林で採れる木の実と乾燥させたカラフルベリーが生地に練り込まれているパンもデザートとして秀逸だ。
アイラの指揮の下、酒場で働く料理人たちがパンを捏ねまくり、大量のパンが酒場で焼き上げられていた。酒場の厨房の隅では、休憩中の子供たちが幸せそうな顔でパンを食べていた。
「アイラお姉ちゃん、このパン美味しいね」
「でしょ? さすがあたしでしょ?」
「うん、さすがアイラお姉ちゃん!」
「やあ、おかげで酒場が大盛況だよ」
「ロッツさん」
話しかけてきたのは、酒場の厨房を取り仕切っている、通称「みんなのお父さん」ロッツだ。ひょろっと長い手で首にかけたタオルを使い額の汗を拭いつつ、パンを食べる冒険者たちに視線を送る。
「いくら物価の高いバベルだといっても、パン一つに金貨一枚の値打ちはそうそうつかないからね」
「あたしも謎なんだけど、なんでみんな金貨投げて寄越すの?」
「君が値段をつけたんじゃないのか?」
「つけてないよ」
アイラが首を横に振ると、ロッツが不思議そうな顔をして首を傾げた。
そんなやりとりをしていたら、酒場の階段にまたしても集団が現れる。冒険者ではなかった。皆同じ制服を着込んだ彼らは、21階にある冒険者ギルドの職員たちだ。ロッツが少し意外な顔をする。
「職員がこぞってくるのは珍しいな」
「あ、ブレッドさんだ」
アイラが顔馴染みの職員を見つけて手を振ると、小麦色の髪をした彼も手を振り返し、他の職員が座ったテーブルから立ち上がり、厨房の方へと近づいてきた。
「こんばんは、アイラさんが作ったパンがとんでもない評判になっていると聞いて職員一同で来ました。冒険者の話によると、食べると身体が強化し気力がみなぎり幸運が続く大変ありがたいパンだとか」
「えぇ!? ナイナイ! ただのパンだよ。何その話!? だから皆、惜しげもなく金貨支払ってたんだ!?」
とんでもない噂が広がっている。アイラは目の前で手を振って慌てて否定した。
「違いましたか」
「違う違う! 何でそんなことになってんの!?」
ブレッドが顎に手を当て思案する。
「アイラさんの噂はかなり広がっているから、そのせいかもしれないですね。来て早々にジャイアントドラゴンを単身で討伐し、五十年間悩みの種だった湿地帯の瘴気問題を解決し、沼地の魔女と大蛇ヘルドラドも懐柔。そんなすごい人が作ったパンを食べて恩恵に預かりたいと考えている冒険者が多いのかもしれません。もちろん、大前提として、パン自体がとてつもなくいい匂いがして美味しそうだからという理由もあります」
「えええ……そんな風にあたしの話広がってるの? ジャイアントドラゴンはルインも一緒に倒してくれたし、湿地帯の瘴気問題を解決したのはイリアスとパシィ……沼地の魔女だよ。あたしは食料と素材確保してただけ」
「オデュッセイア様の話によると、アイラさんはとても活躍して、むしろアイラさんがいなければこんなにスムーズに瘴気問題は解決しなかったと聞き及んでおりますが」
「そんなことないって……褒めすぎ。ね、ルイン」
話を振られたルインは、興味なさそうに床の上で眠っていた。脱力した。
「ともあれ、アイラさんに注目が集まっているのは間違いありません」
「そっかなー。まあ、あたしとしてはいい食材が採れて美味しい料理が作れればなんでもいいや」
「おぉい、パンのおかわり!」
という声が酒場の方々から上がり、アイラは我に返った。
「あ、やばい。追加でパン焼かないと」
「では、僕はこれで。パンの味、期待しています」
にこやかに笑ってブレッドは職員が座るテーブルに戻って行った。
次に行く場所が決まったが、ひとまず目先のパン作りだ。
アイラは他の料理人と一緒に、せっせと追加のパンを作る。
酒場ではくるくると子供たちが給仕をし、冒険者たちが束の間の休息を得て飲み、食べ、語らう。
賑わうバベルの夜は更けて、そして明くる日も、そのまた明くる日も、パンを求める冒険者の声は鳴り止まない。
おおよそ一ヶ月、鑑定魔導具が出来上がるまでの間、アイラは酒場でパンを作り続ける羽目になった。
ーーこれがのちに語り継がれる、「バベルの塔のパン祭り」である。
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お読みいただきありがとうございます。
これで第二章終わりです。次から第三章にはいります。
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