第63話 沼地の浄化作業④
翌日は全員で地下に降りることになった。
ルインとヘルドラドは大きすぎて行けないので留守番だ。最近なにやら打ち解けた様子の二頭は、並んでくつろぐ様子が見られた。世紀末的な場所だというのに、二頭を見ているとなんだか心が和む。二頭を残し、アイラたち人間は石室を通り抜けて地下空洞に向かった。
イリアスとパシィは、なんだか大荷物を背負っていた。小さなパシィの体に不釣り合いな大きいリュックから飛び出した分厚い羊皮紙の巻紙を見て、アイラが首を傾げる。
「この荷物、なにに使うの?」
「魔法陣を描くための道具。パシィが持っていたのは古すぎたから、バベルから新しいのを取り寄せてもらったの」
「オデュッセイア兄上に依頼して、手紙通りの道具を運んで頂いたんだ」
イリアスの言葉に、アイラは一つの可能性に思い至る。
「も、もしかして、お兄様の魔法って、一方的に送るだけじゃなくって、バベルから沼地までものを取り寄せたりも出来る……? そしたらわざわざここで料理しなくっても、作られた料理を運んでもらったりもできた?」
「可能だが、面白みがないので私はあまりやらないな。その場その場でどうにかしたほうが、冒険者っぽくってずっと楽しいだろう? それに、私はアイラ殿が作る料理が好きだから、バベルから送ってもらう気はなかったよ。空を飛んできた料理はどうしても時間が経っている分風味が落ちるからね。もし必要な食材や調味料があれば取り寄せも可能だったが、それも必要なさそうだったし」
「そっかぁ、そうだったんだぁ」
「便利さに慣れてしまうと、それがなくなった時に感じる絶望が強くなる。どうしても必要な時以外、あまり外部からものを取り寄せてどうにかするべきではないと私は考えている。魔法陣製作に道具は必須だから、それは取り寄せたというわけだ」
「兄上のおかげで、最新で至高の道具が揃いました」
「パシィがバベルにいた時より、道具が進歩してた……これなら、最高の魔法陣が描ける」
イリアスとパシィを先頭として、瘴気溜まりの前まで行くと、立ち止まる。もわっとする濃紫色の瘴気の塊を前にしてアイラが鼻をうごめかせた。
「なんか久々に来たけど……やっぱりここ、空気が一段と悪いね。そういえばずっと疑問だったんだけど、なんで小屋の方には瘴気が流れ込んで来ないんだろ?」
イリアスが見えぬ洞窟の天井を指差した。
「空気の流れの問題だ。岩の亀裂から外の空気が入り込んでいるから、そちらに向かってしまう。それに、ここから小屋までは結構な距離がある上に道が細かったりするから、いずれにせよ小屋までは到達できないだろう。この大きな空間から外に向かうのは、むしろ自然なことだ」
「そうなんだ……さっぱりわかんないや」
ひとつにくくった赤毛をかきむしり、あははと笑うアイラ。まあ、アイラがわからなくても、別に問題ない。ここにはイリアスとパシィという心強い味方がいる。
「瘴気溜まりの中心まで行き、そこに魔法陣を描く必要がある。大型で時間がかかるから、一帯に結界を張って欲しい」
「時間はどれくれいかかりそうだ?」
オデュッセイアの問いかけにパシィが答えた。
「……たぶん、丸三日……もう少しかかるかも」
「なるほどな」
オデュッセイアがアイラをちらりと見た。
「この中で結界魔法が使えるのは、私とイリアス、アイラ殿とパシィ殿だが、イリアスとパシィ殿には魔法陣を描く作業に集中してもらわなければならない。属性的に協力して結界を張り続けるのは不可能だ。長丁場になりそうだし、君さえ良ければ私が請け負うが?」
世界には風火水土雷光闇という、いわゆる七大属性魔法が存在している。異なる属性を持つ者同士が協力して、同系統の魔法を行使するというのは不可能だった。
つまり、アイラの水属性の結界魔法とオデュッセイアの風属性の結界魔法を同時に発動した場合、二つの魔法はせめぎ合い、縄張り争いをした挙句、魔力の弱い方が消えてしまうということだ。これが同属性同士ならば何の問題もないのだが、こればかりはどうしようもない。
アイラは少し考えた。
「たしかに、三日もかかるなら合間にごはんの差し入れとかも必要になってくるし、あたしの手が空いていた方がいいね。わかった、結界魔法はお兄様にお任せするよ」
「じゃあわたしも、アイラちゃんの手伝いをしようかな」
シングスがそう言ってくれたので、その場で役割分担が決まった。アイラが納得したのを確認し、イリアスが言う。
「よし、じゃあ、始めよう」
空洞を進んで瘴気溜まりの中心部まで行き、そこでお兄様が風属性の結界魔法を張る。個々人にかけられていた結界魔法は解除した。半球体のドームのような結界だが、きっちりと地面までも薄い結界が覆っていた。結界内の瘴気は外へと弾き出され、中は清涼な空気で満ちていて視界も良好だ。
イリアスとパシィは背負っていた荷物を下ろし、中から必要な道具を取り出し始めた。イリアスは何種類ものインクと羽根ペンを地面に並べ、パシィは身の丈よりも大きな羊皮紙の巻物を開いていた。
「あっ」
四つん這いになって巻物を開いていたパシィだったが、固く巻かれていた羊皮紙は開く側から端がくるくるっと丸まってしまい、困り顔になっていた。
「あたし、伸ばすの手伝うよ」
「わたしも」
アイラとシングスも伸ばすのを手伝う。アイラとシングスで角を押さえ、パシィが巻かれている部分を持ち、四つん這いで這い進んで開いていく。開いた羊皮紙は、全長一メートルを超える大物だった。羊皮紙には大小様々な円が組み合わされ、円の中にはアイラには一文字たりともわからない古代言語やありとあらゆる記号が描かれていた。複雑精緻な魔法陣である。
「これを床に描きうつすの? このまま床に貼り付けて終わりじゃダメなの?」
「羊皮紙だとどうしても劣化しちゃうから……特にここは湿気も多いし、稼働させる期間が半永久的にってなると、床に直接描いちゃった方が後々楽なの。小屋の結界魔法も、壁とか石に直接描かれてたでしょ?」
「そっか、確かにね」
道具の準備を終えたらしいイリアスが近づいてきてしゃがみこみ、羊皮紙に描かれた魔法陣に人差し指を這わせる。
「まずは基礎となる図形から描き始めよう」
「うん、わかった。アイラ、シングス。悪いんだけど、そのまま紙を押さえててもらえる?」
パシィに尋ねられ、アイラとシングスは了承した。
「私も手伝おう。結界魔法は発動さえしてしまえば後は魔力がじわじわ消費されるだけで、内部では自由に動けるからね」
近づいてきたオデュッセイアが片膝を突き、パシィがぺたんと座って体全体で押さえていた羊皮紙の端を掌で押さえてくれた。
パシィとイリアスの二人が魔法陣を描いている間、アイラたちにできることは少ない。集中力を乱すわけにはいかないのでおしゃべりをするわけにもいかず、羊皮紙が丸まらないように端を押さえ、じっとしているだけだった。数時間経った頃、アイラとシングスはその場をお兄様に任せ、食事の準備をするために小屋へと戻った。道すがらアイラが凝り固まった肩をほぐすために大きく伸びをする。
「あぁ〜っ、じっとしすぎて石像になるかと思った!」
「そんなに? アイラちゃん、大袈裟じゃない?」
「動いてる方が性に合ってるからさぁ。シングスも目立つことする方が好きそうに見えるけど?」
「確かにわたしは目立つけど、お兄と一緒にバベル周辺の魔物とか生態系を調べて回ってることも多いから、静かにじっとしてるのも得意だよ。臆病で警戒心の強い魔物を観察するために丸一日茂みに座り続けたりもするし」
「……シングスも思ったより色々なことしてるんだね」
華やかな見た目と行使する魔法とは裏腹な地道な活動内容にアイラは舌を巻いた。
アイラとシングスが石室から顔を覗かせると、部屋の床で寝そべっていたルインが顔を上げ、燃える炎が閉じ込められているかのような赤い瞳でアイラを見た。
「む、戻ってきたのか、アイラ」
「うん。まだまだ時間がかかりそうだから、ごはんの用意をしに」
「どのくらいかかりそうなんだ?」
「三日位だって」
「そうか。ならその間、オレは外で狩りでもしていようか」
「ほんと? 助かる! そろそろお肉が尽きかけてきたから、何でもいいから狩ってきて欲しい」
「わかった」
肉はいくらあってもいい。体の大きいルインとヘルドラドが大量に食べるので、どれだけあっても足りなくなる。ルインが狩ってきてくれるなら、それに越したことはない。
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