第60話 沼地の浄化作業①

 ひょんなことから始まった沼地での共同生活は続く。

 イリアスとパシィの研究は順調に進んでいるようだった。二人で地下に潜っては瘴気を試験管に採取し、成分を分析し、どのような魔法陣を描けばいいのかを話し合っている。内容については、アイラにはさっぱりわからない。なのでアイラはその話し合いを邪魔しないよう、今日も今日とてルイン、シングス、オデュッセイアとともに外へと繰り出していた。

 今日はヴェルーナ湿地帯での鑑定魔導具用とギルドに依頼されていた素材採取だ。パシィがいないと沼地の魔物の位置特定が難しいのだが、お兄様の高精度な探索魔法でどうにかなった。

 そして今現在、アイラたちが沼の中で対峙しているのはーー。


「ちょっと、無理! この魔物ほんとに無理!」

「わたしもあんま好きじゃないかなぁ……」


 アイラとシングスの女子二人があとずさりをした。

 ちなみに一行は、沼地に足を沈めることなく、泥のように濁った水面の上で、滞空していた。オデュッセイアの風魔法の一種らしい。おかげさまで泥水に足を突っ込むことがないので、とても快適だった。自分の足で空中を移動するというのは初めての経験だったが、慣れると楽しい。最初は両手をぴんと伸ばしてバランスをとりつつの飛行だったが、今や行きたい方向に体重を少し乗せるだけで移動ができていた。もし機会があるならば、こんな瘴気の漂う場所ではなく、よく晴れた青空の中を思いっきり飛び回りたいなぁとアイラは思った。

 魔物相手に珍しく尻込みするアイラの代わりに、ルインとオデュッセイアの二人がずいと前に進み出る。


「なら、オレが相手をしてやろう」

「私も微力ながら力になる」


 目の前にいるのは、沼地から生えているうごめく巨大な植物だった。

 アイラが冒険者ギルドの図鑑で確認した、ハスハスという魔物である。

 ハスハスは図鑑で見た通りの見た目をしていた。

 ひょろ長い茎が沼から伸びて、先端には花が咲いておらず、かわりに大きな花托かたくが存在していた。薄緑色の花托にはびっしりと丸い真っ黒な種が収まっている。見た目には先日収穫したシルフィウムの蜂蜜を蓄えていた魔蜂の巣に似ていなくもないが、なんだかそれよりも数段気持ち悪い。花托の丸い部分が、まるで息をするかのようにうごめいているせいだろうか。一本でも気味の悪いそれが、百本近く集まっているのだから、まさに地獄のような光景であった。アイラは思わず剥き出しになっている自分の腕をさすった。ボツボツと鳥肌が立っている。


「私とルイン殿で魔物を挑発するから、二人は飛んできた種を拾ってくれ」

「うん」

「わかった」


 アイラとシングスは、なるべくハスハス本体を視界に入れないように目線を逸らしつつ、しっかりと頷いた。

 ルインとオデュッセイアが空中を静かに移動してさらに距離を詰めると、ハスハスが攻撃の準備をした。後ろに茎をのけぞらせ、勢いをつけると、花托から種を弾き飛ばす。

 パパパパパッ! と目玉のほど大きさの種が銃弾のように雨あられと飛んできた。ルインとオデュッセイアはそれらを器用に避けつつ、絶妙に魔物との距離をはかっている。近すぎず遠すぎず、適度な距離を保たなければ種を飛ばす攻撃をしてこないのだ。


「ルイン殿、あまり近くに行くと、こいつらは自爆攻撃をしてしまうので、気をつけたほうがいい」

「了解だ」


 短いやりとりを二人がしている間に、アイラとシングスは飛んできた実をルペナ袋に詰め込むという作業に従事した。魔物が飛ばす実なので速度は尋常ではなく、ぶつかれば痛いどころかおそらく人体を貫通するほどの威力がありそうだったが、そこは沼地で常時張り続けている結界のおかげでどうにでもなっている。結界にぶつかった実は威力を削がれて沼地に落ちそうになるので、そこを慌ててキャッチして袋に詰めていた。

 沼地は大混乱状態だ。ハスハスは根を張っていて動くことができない魔物のため、倒されないように必死で攻撃をしかけてくる。ルインとオデュッセイアが適度な距離を保ちつつ魔物を挑発しているので、バンバン種が飛んでくる。百体の魔物が一斉に射撃をしてくるものだから、その数は並ではない。そしてアイラはとある事実に気がついた。


「なんか、魔物……増えてない!?」


 オデュッセイアが敵との距離を慎重にはかりつつ声を張り上げる。


「落ちた種は沼底に接地した瞬間に殻を破って芽を出し、成長する! 魔物が増えているなら、それは実が落ちた証拠だ!」

「えぇ!? いくらなんでも成長速すぎない!?」

「魔物だから、常識など通用しないぞ」

「…………!」


 オデュッセイアの言葉に、アイラは歯噛みした。油断して種を取りこぼすと、あっという間に敵が増えてしまうのか。焼き払ってしまえば全滅させるのは簡単だが、それだと実を取るという目標が達成できなくなってしまうし、何よりパシィの話では瘴気は引火すると爆発する性質があるらしいので、大規模な炎系魔法はご法度だろう。

 アイラは袋をしっかりと持ち、種を落とすまいと必死で回収した。シングスも似たようなものだった。この種が一体何の役に立つのかアイラにはわからない。確かブレッドは、錬金術の材料になると言っていたか。沼地の毒を吸って成長する魔物である以上、食用には向かないだろう。聖職者が仲間にいれば、食べても解毒してくれるのに。いや、食材の毒そのものを抜いてもらえればいいんじゃないか。そうすれば何の心配もなく、美味しく食べられる。聖職者を仲間にしたいなぁと考えつつ、飛んでくる種をひたすら回収した。

 ルインとオデュッセイアの挑発の仕方は見事だった。絶妙な距離を保っているものだから、ハスハスの攻撃の手が全く緩まない。倒されてはなるものかと、命の危機を感じたハスハスが、とにかくひたすら種を飛ばしまくってくる。

 前方にだけいたはずのハスハスが、いつの間にか増えに増え、アイラたちはぐるりとハスハスに四方を包囲されていた。オデュッセイアの言った通り、沼地に落ちた実はにょきにょきと茎を伸ばし、毒々しい鮮やかな紫色の花を咲かせ、枯れ、花托だけになり、そして種を飛ばしてきた。まるで早送りのようだった。

 アイラはパンパンに詰まったルペナ袋を握りしめ、叫ぶ。


「もう袋いっぱいだよ!」

「よし、撤退だ!」


 オデュッセイアの言葉を聞き、一同は上空に逃げた。射程距離を抜けたところでハスハスは大人しくなり、動かぬ植物と化した。周辺はハスハスだらけで、アイラたちが来た時より確実に倍以上に増えている。アイラは息をついた。


「ふぅ。あぶな……すごい数に囲まれてたね。飛べなかったら、逃げ場ないじゃん」

 オデュッセイアが下を見つめながらあぁ、と言う。

「それがあの魔物の恐ろしいところだ。さほど強くはないが、どんどん数を増やしていき、数の暴力で押し勝とうとする。勝てないと知るや自爆攻撃をしかけた挙句、種子を飛ばすものだから始末に負えない。茎の部分を切り落として滞空させておくか、イリアスがいれば花托を氷漬けにして一網打尽、もしくはシングスの魅了魔法で動きを止めてしまうのもアリだな。火魔法はこの場所ではあまり好ましくないし」

「そういえばシングスの魅了魔法は植物にも効くの?」

「うん。大抵の魔物に有効だよ」

「万能でいいね」


 にこっと笑うシングスを見て、アイラはちょっと羨ましくなる。


「傷つけないで魔物を狩るのに便利そうだし、あたしも魅了魔法、覚えようかな。無傷で倒した方が解体の時楽だし、美味しく食べられるから」

「あとで教えてあげよっか?」

「うん、教えて教えて」

「ひとまずこの種を小屋に送ってしまおう」


 オデュッセイアが言うと、アイラとシングスがかき集めた種の詰まったルペナ袋を沼地の小屋まで輸送した。


「次は何の魔物だ?」

「えーっとね……アイアンクロコダイルとポイズンスネークとブラッドフロッグ。アイアンクロコダイルの皮がオーブンを作る時に必要で、ポイズンスネークとブラッドフロッグはギルドに依頼された魔物」

「よし、探そう」


 オデュッセイアはそう言うと、三種類の魔物を探すべく、探索魔法を発動した。

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