第59話 沼地で快適生活④
何度かの魔物との遭遇を経て、無事に沼地の小屋までたどり着いた時には、すでに日没が近かった。ただでさえ暗い沼地に、一切の陽の光が届かなくなると、周囲は死の匂いが色濃くなる。
瘴気にあてられアンデット化した魔物の活動時間だ。
沼地から腐った手がゆらりと現れ、ぬかるみに生える葦を掴んだ。腐敗した体を持ち上げて、こわれた泥人形のように脆い体を懸命に動かし、生きとし生けるものへの憎悪を露わにし、命の匂いを敏感に嗅ぎ取って歩き出す。
「アァ」「ア゛ー」と意味のない言葉を発しながら、オデュッセイアが作り上げたばかりの小屋めがけて殺到してきた。
アイラは小屋の周囲に張り巡らせた結界にびったんびったん張り付いて意味不明な声を上げるアンデットたちを見ながら呑気な声をあげた。
「わぁ、パシィ、毎晩こんな連中が出るところで五十年も暮らしてるの?」
「結界の中には入って来られないから、家から出なければ安全だから……ヘルには怖がってみんな近づかないし」
「シャア」
「それにしても、タフな精神してるよ」
「それはアイラも同じだと思う」
「そうかな? 色んな目にあってるから、慣れちゃったのかも」
アイラはあははと笑いながら、今しがた切り出したばかりのクレソンマイルの肉に、クレソンマイルの体から生えていたハーブをすり込んでいた。
小屋が二軒に増えた上、魔物の解体などは外でする必要があるので結界の範囲は広くなっていた。これはイリアスが作り上げた結界で、丈夫で瘴気はもちろん魔物の侵入も許さない。魔石はクレソンマイルの体内にあったものを使った。
そんなわけでアイラは、アンデットの怨嗟の声をBGMに、のんびりと調理に励んでいた。今日はシングスとオデュッセイアのおかげでごちそうを作れる。
爆裂キノコをバターソテーとスープにし、ハーブをまぶしたクレソンマイルの肉をステーキに焼き上げ、リンゴはシルフィウムの蜂蜜と一緒に煮込んだ。
真新しい家の中、テーブルに並んだピカピカのご馳走を目にしたパシィは、感動のあまり料理を見つめたまま動かなくなってしまった。
「ふわぁ……美味しそうな料理がたくさん……!」
「いっぱい食べて太ってね!」
アイラはパシィのお皿に、山のように料理を盛り付け、目の前に置いてあげた。たくさん食べて太るといい。自身の幼少期の経験から、アイラは飢えている人間を放っておけない。痩せた人を見ると、無条件に食べさせたくなる。
「では、自然の恵みに感謝しつつ、食事をいただくとしよう」
「ごはん! いただきまーす!」
「うむ!」
「アイラのごはん!」
オデュッセイアの貴族然とした厳かな食事前の言葉を掻き消し、ナイフとフォームを両手に握りしめたアイラの声が家の中に響き、それに呼応するようにルインとパシィの元気な声が続く。オデュッセイアはそんな無礼とも思えるアイラを別段気にした様子もなく、ナイフとフォークを手に取り、なぜかいきなりデザートであるリンゴのシルフィウム蜂蜜煮込みから食べようとしていた。シングスはすでに爆裂キノコを一口大に切って頬張っていたし、イリアスは背筋を定規をあてたかのようにまっすぐに伸ばしながらステーキを口に運んでいた。
スープをすくってキノコと一緒に口にしたパシィの目の奥で稲妻が弾けた。
「お、お、お、美味しい……!」
「でしょ?」
「世の中に、こんなに美味しいスープがあるなんて。イモリを沼の水で煮込んで作ったパシィの料理と全然違う……!!」
夢中で食べ進めるパシィを、アイラは自分でも食事をしながらニコニコと見守った。
爆裂キノコはプリプリしたキノコ特有の食感もさることながら、旨味がすごかった。スープに溶け出すその味わい。それにクレソンマイルのステーキも、下味にすり込んだ植物との相性がよく、さすがハーブ系魔物といったところだ。
極め付けはデザートだろう。オデュッセイアが豪語していた通り、シルフィウムの蜂蜜は、ココラータを含めてもこれまでアイラが口にしたどんな甘味よりも濃厚な甘みがあり、幸せな味がした。とろりとした粘度の高い黄金色の蜂蜜が、煮込んだリンゴにより一層の甘みを与える。全員で夢中になって、貴重であるというシルフィウムをつかったリンゴの蜂蜜煮込みを食べた。
全ての皿が空になった時、全員の顔には満ち足りた表情が浮かんでいた。
「パシィ、もう食べられない。こんな美味しい料理、五十年前でも食べたことなかった」
「いつもバベルで食べてる料理長が作った料理より美味しかったかも! ね、お兄?」
「確かに、素朴な料理な分、素材の味が生かされている気がした。兄上はどうでしたか?」
イリアスの言葉を受け、食後に白湯を飲んでいたオデュッセイアが、コップ越しに貴族然とした顔を和らげて向かいに座るアイラへと視線を投げかけた。
「沼地の真ん中でこんなにも美味な料理を食べられると思わなかった。特にリンゴのシルフィウム蜂蜜煮込みは最高だったね」
「やぁー、素材がいいせいだと思うよ! いい食材を見つける手伝いをしてくれて、ありがとね!」
口々に料理を褒めちぎられたアイラは頭に片手をやりながら、にぱっと笑った。
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