第58話 沼地で快適生活③

「シルフィウムは幻の花と呼ばれていて、薬効があり、持ち帰れば錬金術師に喜ばれる代物なんだが、特筆すべきは蜜の甘さだろう。かのココラータに負けずとも劣らない美味な甘味で、一度食べれば虜になること請け合いだ。しかし何せ幻なだけあって、かなり貴重でね。かくいう私も三度しか口にしたことがない」


 先を歩くオデュッセイアはかなり饒舌だった。心なしか足取りもウキウキしていて、鼻歌でも歌い出すのではないかというほどの機嫌の良さだ。背中に流した緑色の長い髪が左右に揺れ、それがまるで可視化した風のように見える。

 アイラは伸び放題の草むらをかき分けながら、自分のテンションも上がっていくのを感じた。


「へえ、ココラータと同じくらい甘い蜂蜜かぁ! しかもほとんど手に入らないものなら、たまたま見つかってラッキーだね」

「ああ、本当に幸運だよ。本来ならば料理や飲み物に混ぜて使うのだろうが、今は探索中の身だ。そうそう贅沢など言っていられない。そのまま舐めても十分美味しいだろう」

「お菓子とか、飲み物に使っても良さそうだよね」


 アイラが相槌を打つと、シングスがピンク色の瞳をぱっと輝かせた。


「だったら、この後リンゴも採りにいこうよ! 蜂蜜リンゴ美味しいよねー!」

「リンゴあるの?」

「あるある! わたし、ここ最近はお兄と一緒にギリワディ大森林の調査ばっかりしてたから詳しいんだ。案内するから!」

「じゃあ、シルフィウムの蜂蜜を収穫したら、行こう!」

「見えたぞ。あれば魔蜂だ」


 オデュッセイアの指し示す方角には、辺り一面に黄色い花が咲き乱れていた。一本の茎から放射状に伸びた小さな花がたくさんついている。花の大きさは小指の爪ほどしかない。そしてその花に群がる魔蜂は、体の色が黒く、かなり毒々しい色をしていた。大方の昆虫系魔物同様、普通の虫よりも大きい。魔蜂は赤子の頭部ほどの大きさだった。そんなものがブンブン飛び回っているのだから、虫嫌いの人からすれば恐怖の光景だろう。アイラは虫が好きではないが、その主な理由は「食べられないから」であり、見た目云々の話ではない。オデュッセイアとシングスも、別段虫の外見を忌避してはいないようだった。


「目当ては蜂蜜だ。穏便に巣だけを持ち帰ろう」


 オデュッセイアの提案にシングスがツインテールをかすかに揺らしながらコクリと首を縦に振る。


「そうだね。この数の魔蜂を相手にしたらキリがないし、暴れたら貴重なシルフィウムがダメになっちゃうもんね」

「どうやって蜂蜜だけ持って帰るの? 無理じゃない?」


 アイラはシルフィウムが咲き乱れる花畑の周囲に生えている木に目をやった。頑丈な太い木の枝にぶら下がるようにして魔蜂の巣があるのだが、そこには隙間なくびっしりと、魔蜂が群がっていた。収穫した花の蜜を蓄えているのだろう。蜜を手に入れるためにはまず、あの魔蜂をどうにかしなければならないのだが、戦闘なしで穏便に持ち帰るのは不可能な気がした。

 アイラの思考を読んだのか、シングスが人差し指を左右に振る。


「アイラちゃん、このわたしの魔法を忘れちゃった? 所詮、魔蜂は魔蜂。さっきのクレソンマイルに比べたら、全然強敵じゃないわ……見ててね」


 シングスはどうどうと足を前に踏み出し、魔蜂の領域内に入った。穏やかに蜜を採取していた魔蜂の動きが止まり、昆虫独特の目をシングスに向け、威嚇するように一際高い羽音を響かせる。

 シングスは右手の人差し指と親指をぴんと伸ばし、指でピストルを作った。


魅了魔法チャーム・マジック洗脳ブレインウォッシュ!」


 爆裂キノコにしたのと同様、ピンク色の風が吹き荒び、満開の黄色いシルフィウムの花々を揺らした。異なるのは、爆裂キノコのように動きが固まりその場に横倒れにならないことだった。周囲に見える魔蜂たちは、まるで急に用事でも思い出したかのように、一斉に西の方角へと飛び去ってしまった。

 残ったのはアイラたちとシルフィウムの花畑、それに木の枝にぶら下がって揺れている、剥き出しになった魔蜂の巣だけである。アイラは感嘆の息を漏らした。


「わ、すご……!」


 シングスが得意そうに胸を張った。


「魅了魔法の『洗脳』で、ちょっと遠くまで行ってもらったんだ。じゃ、今のうちに蜂の巣を回収しちゃおう」

「近づくにはシルフィウムの花畑を通っていく必要がある。花を傷つけてしまうかもしれないから、ここから回収しよう」


 オデュッセイアは言うが早いが、風魔法を遠隔で発生させ、蜂の巣の根本からスパッと切り、落ちないように浮かせたまま手元まで運ばせた。魔蜂自体は赤子の頭ほどの大きさだったが、蜂の巣は子供の身長ほどはあった。一メートルはある。アイラは蜂の巣を、涎を垂らさんばかりの表情で見つめた。


「この中に、とびきりおいしい蜂蜜が詰まってるんだね……!」

「私はシルフィウムの蜂蜜が、世界一美味しい甘味料だと思っている」


 オデュッセイアの厳かな言葉にアイラの期待はいやが応にも高まった。貴族でありバベルの統治者の一族である彼にそこまで言わせるとなれば、それはもう相当美味しい蜂蜜に違いない。アイラは腰のベルトからスプーンを引き抜いた。


「一口だけ舐めてみない?」


 オデュッセイアはアイラの悪魔の如き誘惑の言葉を聞き、眉間に皺を寄せて耐え、

苦渋の表情で首を横に振った。


「気持ちはよくわかるが、ダメだ。一口食べたが最後、もう一口、あと一口と止まらなくなる。シングスのかけた魅了魔法は永続的ではないから、魔蜂が戻ってくる前に早くこの場所を離れなければ」

「そっかぁ……」


 アイラはスプーンを持ったままわかりやすくガクリとした。


「魔蜂に襲われたら本末転倒だもんね、言う通りにするよ」


 腰のベルトにスプーンをしまう。

 オデュッセイアは魔蜂の巣を飛ばして沼地の小屋まで風魔法で飛ばし、ついでにシルフィウムを何本か引き抜いて、バベルに送った。


「執事が気づいて受け取り、ギルドに持っていくだろう。よし、行こう」


 オデュッセイアに促され、その場を素早く離れた。森の中を、今度はリンゴを収穫するために移動する。


「フィルムディアの一族は、バベルの冒険者ギルド使うの?」


 アイラの素朴な疑問をオデュッセイアは肯定した。


「もちろん、使っている。バベルは冒険者ギルドを中心として機能している都市だから。ただ我々の場合、わざわざギルドまで行くことは少ない。独自に依頼を受け、探索をこなしている。もっともシングスは酒場でステージを開くことも多いが」


 兄の視線を受けたシングスは屈託のない笑みを浮かべた。


「だって、アイドルってファンとの距離の近さが大事でしょ? 定期的に顔を出さないと」

「ステージって具体的になにしてるの?」

「歌ったり踊ったり握手したり、魅了魔法の使い方を教えたり、色々だよ。今度アイラちゃんも見に来てよ」

「そうだね、バベルにいる時だったら行こうかな。ね、ルイン?」

「オレは歌や踊りに特に興味はない」

「そんなこと言わないでさー、行こうよ。あたしが魅了魔法使えるようになったら、食材探しがよりはかどると思わない?」

「わざわざ人の多い酒場で教えてもらわずとも、沼地で教えて貰えばよかろう」


 ルインの的を得た発言にアイラは唇を尖らせた。もしもシングスが酒場でステージをやる時には、事前に教えてもらって、その時間に合わせてごはんを食べに行こうと心に誓う。そうすればルインも逃げられまい。もしくは、あまり嫌がるようなら、部屋で昼寝でもして待っていてもらおう。

 そんなことを考えながらシングスの案内で森の中をさらにガサガサ進み、リンゴの木が生えている場所まで行く。

 リンゴの木に鈴なりになっている実は、薄暗い森の中で光苔に照らされて黄緑色に光っている。まだ熟していないのかと思ったが、ギリワディ大森林の固有種類で、これでもう完熟しているらしい。未成熟の実はもっと青いのだとシングスが言っていた。

 リンゴの実をこれでもかと収穫し、ルペナ袋にぎっしりと詰めた。詰めた実はもちろん、オデュッセイアが小屋まで送ってくれる。オデュッセイアはポケットから懐中時計を取り出して時間を確認した。


「もうそろそろ戻らないと、帰るまでに陽が落ちる。森も沼地も夜にはより強力な魔物が出て危険だ」

「わかった。じゃ、帰ろっか」


 森の恵みをたっぷりと手に入れた一行は、ヴェルーナ湿地帯にある沼地の小屋を目指して帰路に着いた。

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