第55話 沼地でスローライフ⑤

 地下に篭ってかれこれ二時間が経過しようかという時、アイラは言った。


「ねーねー、そろそろお腹すいたじゃん? 一回ご飯食べに上に戻らない?」


 しかしこの声に応じてくれたのは、ツインテールを指に絡ませ困った顔をするシングスだけだった。


「お腹、かぁ……確かに言われてみれば、わたしとお兄はくる前に食事しただけだから空いたかも。でもアイラちゃんは、さっき食べてたよね?」

「テリヤキクロコダイルでしょ? あれ食べてから結構時間経ってるし、食材探して

料理してって考えると、空腹が限界値に達する前に動く必要があるんだよね。一応携帯食料持ってるけど、できるだけ出来立ての美味しい料理を食べたいじゃん? それにあたし、ここにいても何の役にも立たないし」


 瘴気の解析をしているのはイリアスとパシィだった。

 二人は立ち込める瘴気の真ん中のような場所に陣取って、どこからともなくイリアスが取り出した試験管の中に瘴気を詰め、アイラにはなんだかよくわからない器具の上に試験管を乗せてブツブツと話し合っている。


「……反応がない。これで分解しないとなるとこの瘴気を構成している成分は、かなり特殊なものになるな。もしかしたら、全く未知の気体が含まれているかもしれない」

「パシィが研究した内容が、家の中にあるから、それと照合してみるのもいいかもしれない」

「確かにその方がより研究がはかどりそうだ」


 正直言って、さっぱりだ。しかし戻る方向で話がまとまりそうだったのでアイラは全力でこれに乗っかることにした。


「じゃあ、一度戻って、必要があったらまた来ればいいんじゃない? どうせ小屋の地下から行けるんだし!」


 イリアスとパシィが振り向き、アイラを見た。


「確かに、アイラの言う通りかも」

「そうだな。戻って研究内容を見せてくれるか」

「わかった」


 納得した二人が器具を片付け立ち上がるのを確認してから、アイラは元来た道を戻った。

 瘴気を頼りに進んできたため帰り道がわからなくなるかも、という心配は杞憂に終わった。シングスが抜群の記憶力を発揮して、先頭に立って皆を案内したのだ。


「わたし、道を覚えるの得意なんだよね」


 自信満々に言い切った通り、シングスについて行くと元の石室にたどり着き、ジャンプして小屋の中に入った。


「ただいまルイン!」

「戻ったのか。随分時間がかかったな。客が来ているぞ」

「客?」


 アイラが小屋の床に手をかけ、両腕の力のみで自分の体を引き上げ、床に膝をついた途端、上から見知らぬ人の声が降ってきた。丁寧な話し方で、どことなく気品めいたものを感じる声だった。


「邪魔している。ここに私の弟と妹が来ているはずなのだが」


 目を上げると、腐りかけの椅子に優雅に足を組んで座っているのは、髪も目も衣服も全身が緑色の人物だった。イリアスとシングスにどことなく似た顔立ちは整っており、背中につややかな薄い緑色の髪を流し、動きやすそうだが豪華な刺繍の施された服を着ている。ヴェルーナ湿地帯のほぼ中央に位置する沼地の小屋までやって来たにしては服も靴もまるで汚れておらずピカピカで、これから茶会に出席すると言われても納得してしまうような出で立ちだ。


「君はきっと、アイラという名前だろう。シーカー殿に育てられた、珍しい人間の女の子」


 突然名前を言い当てられたアイラが何かを言う前に、アイラに続いて石室から顔を出したシングスが声を上げる。

「あぁっ、セイアお兄様! もう来ちゃったの!?」

「やあシングス。私のことはちゃんと略さずオデュッセイアお兄様と呼ぶよう百万回も言ったはずだが」

「お兄様の名前長すぎるんだもの。お兄、もうセイアお兄様に居場所知られちゃったみたい」

「何? 本当だ。兄上、三日振りです」


 パシィとともに穴をよじ登ってきたイリアスが少々驚きながらも丁寧に挨拶をする。兄と呼ぶ人物は軽く片手を上げながら挨拶を返した。


「三日振りだね。まさか私が諸々の雑務をこなしている間に君たちがここに来ているとは思わなかった。狙いは、沼地の魔女の保護と説得といったところだろうか」

「はい。兄上、聞いてください。ヴェルーナ湿地帯を覆う瘴気の原因は、地下から噴き上がる有毒気体によるものです。決して魔女と大蛇が原因ではありません」


 緑色の人物は組んだ足の上に両手をゆったりと置き、腐りかけの椅子の背もたれに優雅にもたれかかった。半壊しかけのみすぼらしい小屋の中だと言うのに、まるで彼がいる空間だけが豪華な城の一室のように見える。そんな幻覚を人に見せてしまうほど、緑色の人物の発する雰囲気は洗練されていて、生まれながらの高貴さを感じさせた。イリアスとシングスも貴族めいたオーラを纏っているのだが、この緑色の人物は段違いだった。


「どうやらそうらしい……外で火狐殿に聞いた話と一致している。すると、そこにいるのが噂の『沼地の魔女』というわけか」


 エメラルドグリーンの瞳で射抜かれて、パシィは怯んでアイラのそばに駆け寄ると、背後にさっと隠れた。アイラのベストを握る手がカタカタと震えている。背中で庇うと、シングスが前に出てきた。


「ちょっと、セイアお兄様。魔女のパシィちゃんが怖がってるからそんな風にみるのはやめてよ。今、お兄に聞いたでしょ? パシィちゃんは何も悪くない。無罪だよ」

「なるほど、我が妹はもうすでに沼地の魔女に感情移入しているらしい」

「シングスは湿地帯に来る前から感情移入して同情していましたよ、兄上」

「シングスは優しいな」

「あーっ、馬鹿にしてるね?」

「そんなことはない。妹の優しさは兄として喜ばしくもあり心配でもある。度を過ぎた慈愛はいつか身を滅ぼすぞ、シングス。ましてお前は、バベルを統括する一族の血を引いているのだからね」


 シングスは兄の話にベーっと舌を突き出した。


「その話はもう聞き飽きた! わたしはわたしのやり方で生きていくからいいんだもん」

「シングス、もうその辺にしておけ。皆が困ってる。それで、兄上。信じてくださるのですか」

「イリアスがこんな出来の悪い冗談を言うわけがないと知っているからな。まあ、本当のことなのだろう。それで、瘴気をどうにかする手立ては見つかりそうなのか」

「先ほど地下で簡単な成分分析をしたのですが、特殊な成分を含んでおり、結構時間がかかりそうでした。魔女殿が五十年にわたり瘴気の研究をしていたそうなので、ひとまずそれを拝見するために戻った次第です」

「魔女が……聞いていた話と全く違うな。魔女も大蛇も、人を見れば見境なく襲う殺戮者だと思っていたが」

「それは、皆がパシィとヘルをいじめるから、そうするしかなかったの」

「老婆という話は?」

「アイラが優しくしてくれたおかげで、元の姿に戻った」


 緑色の人は未だパシィに抱きつかれたままのアイラに目を向け、眉を少し吊り上げた。


「君が? 一体何を?」

「大したことしてないよ。ごはん作ってあげただけ」

「アイラのごはん、すごく美味しい。それにすごく優しいの。ボロボロのパシィをすごくお世話してくれた」

「ほっとけないからね〜」


 からからと笑うアイラを緑色の人物がじっと見つめたあと、納得顔をする。


「なるほど、シーカー殿の育て子らしい考え方だ。名乗り遅れて申し訳ない、私はオデュッセイア・フィルムディアという。フィルムディア大公の長男にあたる者だ」


 オデュッセイアと名乗った緑色の人物は椅子から立ち上がると、立ち塞がるシングスを自然な様子でかわしてアイラに近づき、優雅な仕草で右手を差し出した。アイラは気軽に握った。見た目はいかにも貴族然とした繊細な感じだが、手袋越しに握ったその手はごつごつしている。これは日々剣を握っている人間の手だ。只者ではないのはわかっていたが、やはりこうして肌に触れてみると、よりはっきりと認識できた。頭二つ分は背が高いオデュッセイアを見上げ、名乗る。


「アイラ。最近バベルに来て冒険者登録したけど、本業は料理人だよ」

「料理人にしては、随分と修羅場慣れしているように見受けられる」

「まあ、育ちが育ちだからね」

「ふむ」


 アイラと手を離したオデュッセイアは、次にアイラの背中に隠れ続けているパシィに意識を移した。オデュッセイアは片膝を、板が剥がされ苔まみれの石が剥き出しになっている床につくと、努めて優しい声音を出す。


「先ほどの非礼を詫びさせて下さい。『沼地の魔女』パシィ殿。私に託された任務は、この沼地の瘴気をどうにかすること。できることがあればなんなりとお力になりましょう。どうか、協力させていただけないでしょうか」


 それはアイラの知っている貴族からは考えられないほど、丁寧な所作だった。ダストクレストを統括する国の貴族が街の見回りに来た時、態度は非常に横柄で、「こんな犯罪者まみれの場所など一刻も早く立ち去りたい」と言って憚らなかった。街の住民は皆更生して見違えるようになったし、そもそも冤罪者が多いと言っても聞く耳を持たないどころかこちらを足蹴にした。挙句の果てには都市掃討作戦からの爆破魔法である。ダストクレストは木っ端微塵になり、アイラは第二の故郷を突然失った。

 対してオデュッセイアはどうだろう。己の認識違いを改め、謝罪し、丁寧に協力を乞うている。同じ貴族でもこうも違うのか。イリアスとシングスの二人もかなり親しみやすい性格をしているが、もしかしてフィルムディア大公の一族って皆こんな感じなのだろうか。

 誠意を感じ取ったのか、パシィはアイラのベストを握る手をゆるめ、おそるおそる顔を出し、オデュッセイアを見つめた。


「パシィとヘラに、ひどいことしない?」

「女神ユグドラシル様に誓って」

「……わかった」


 パシィがコクリと頷いて、被っている三角帽子が揺れた。アイラは元気に声を出した。


「よし、なんだかよくわかんないけどこれで誤解は解けた感じなのかな!? じゃあ、早速ごはんの準備しよう!」


 アイラの唐突なごはん宣言に目を輝かせたのはルインだ。


「おぉ、いいな。そろそろ腹が減る頃だと思っていたんだ」

「……食事?」


 オデュッセイアが貴族然とした美しい顔立ちにキョトンとした表情を浮かべ、問いかけてくる。


「そうだよ。お腹空いたから戻って来たんだもん。あと、どうせ地下にいても、あたしなんの役にも立たないし」


 イリアスは食事云々にはとりあわず、パシィへと話しかける。


「パシィ殿、早速瘴気に関する研究日誌を読ませてもらえないか」

「うん、わかった。こっち」


 てててて、と小屋の中を歩いて隅の戸棚に移動するパシィとそれについていくイリアス。一方のシングスはそんな二人の背中越しに声をかけていた。


「ねえ、その瘴気対策ってどのくらいの時間がかかりそうなの?」

「わからないが、一日二日でできるものじゃないことだけは確かだ。この家や、外に出る時自分達を覆う結界魔法とは違い、もっと誰の手でも半永久的に稼働できるような大規模魔法陣を作らないといけない。魔法陣というのは基礎になる部分は存在していても、使用用途や目的によって逐一変える必要がある。特に地下を覆う瘴気すべてを塞ぐとなると、並大抵の仕事じゃない」


 パシィがぴょんぴょんしながら指差す本を棚から引き抜きながら、イリアスは早口に述べる。わかったようなわからないような話だ。アイラは魔法は使えるが、魔法陣に関してはからきしだった。シングスは癖なのか、またツインテールに指を絡ませている。


「ふぅん……そしたら、研究中住むところが必要だね。この家だけだと、全員が寝泊まりするには狭いし、こう言っちゃなんだけどちょっとボロいし」

「そういうことなら私に任せておけ。快適に暮らせる家の一軒や二軒、あっという間に用意してみせよう」


 オデュッセイアは極めて真面目な顔つきで、自身の左胸に右手を添えて言った。


「セイアお兄様がそう言うなら、心配ないかな。ねえアイラちゃん、もしよかったら私も一緒に食材探しに行ってもいい? アイラちゃんまだ来たばっかりで、何が食べられるものかわかんなかったりするでしょ? 湿地帯はあんまり食べるものないから、足を伸ばしてギリワディ大森林まで行こうよ。ここはお兄がいれば心配ないし」

「ならば私も行こう。家を建てるのに材木が必要だ」

「あ、ほんとに? それはすごい助かるかも」


 バベルで生まれ育った人たちなら、森林内に自生する植物や徘徊する魔物にも詳しいだろうし、彼らの実力が底知れないこともわかる。来てくれるならばこれほど頼もしいことはない。人手が多い方が食材だってたくさん持って帰れるし、ありがたいことだ。


「じゃ……みんなで、ギリワディ大森林に戻ろっか!」


 研究日誌から目を上げたパシィが、嬉しさを隠せない様子でアイラを見上げてきた。


「美味しいごはん、楽しみにしてるから」

「まっかせて! だってあたしの本分は、料理を作ることだからね!」

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