第54話 沼地でスローライフ④

 そんなわけで沼地からパシィの家へと戻り、アイラは床の一部分にうずくまり指を差した。


「ほらここ! 結界魔法陣が書いてあるでしょ?」

「確かにな……」

「剥がしてみよう!」


 しゃがんだアイラは石の隙間に指をひっかけ、「せぇい!」と声を振り絞りつつ渾身の力を込めて持ち上げた。一メートル四方の石は厚さもあってなかなかに重いが、まあ持ち上げられないほどではない。こびりついた苔をパラパラと舞い落としながらゆっくりと持ち上げられた石の下にはーーアイラの予想通り、ぽっかりと暗い黒い空間が広がっていた。


「ビンゴじゃん! ルインのおかげじゃん」

「さすがはオレだ!」

「アイラとルイン、すごい……! パシィも、びっくり」


 まさか五十年住んでいる家の下にこんな空間が広がっていたなど思いもよらなかったパシィが驚き顔をしている。一方のイリアスは極めて真面目な顔をしていた。


「もしかしたらかつてギルドが湿地帯を拠点にしていた時に用意した、食料や物資を保管しておくためのただの地下貯蔵庫かもしれない」

「お兄、ロマンがなさすぎるよ」

「必要なのはロマンではなく、冷静かつ合理的な分析力だろう」

「そうかもしんないけどぉ」


 四の五の言っている二人を置き去りに、アイラを先頭にしてルインとパシィは穴の中にスポーン! と飛び込んだ。


「どうしよ、ルイン。真っ暗だよ。真っ暗!」

「そうだな。明かりをつけよう」


 ルインがぼうっと息を吐き出すと、炎の塊が浮かんだ。

 周囲の様子がわかる。

 イリアスの言う通り、地下貯蔵庫のようだった。荒削りの石室の中に、腐って朽ちた木箱が置いてある。近づいてみると、苔がこびりついた瓶やとっくに崩壊してボロボロになっている布袋らしきものが中に入っていて、黒ずんだ中身を撒き散らしていた。アイラはダストクレスト時代の「どんなに望みが薄くとも、使えるものがないかどうか確かめる」という習慣から、腐った木箱に手を突っ込んでボトルを引っ張り出した。


「どう、ルイン。飲めると思う?」

「やめておけ……下手したら死ぬぞ」

「年代物の葡萄酒だと思えば……」

「コルクがカビだらけだぞ」


 前足でチョイチョイと指摘され、もはや元の色が全くわからないほど変色しているコルクを前にアイラは沈黙した。


「ダメかぁ」


 アイラが木箱の中を漁っていると、上から音もなく軽やかにシングスとイリアスが降ってきた。石室の中に降り立った二人は、内部を見回し、そしてシングスは木箱のそばにうずくまっているアイラに興味を示した。


「何やってるの?」

「使えるものがないか確かめてた」

「さすがに無理じゃない?」


 腐食具合が激しい木箱を前に、シングスが至極まともな疑問を発する。


「うん、そうみたい」


 アイラは手にしていたボトルを大人しく元の場所に戻した。

 イリアスはアイラの奇行になど目もくれず、パシィとともに壁の一点を見つめていた。パシィもだいぶアイラから離れられるようになっていて、二人に慣れたようで何よりだ。


「この壁、奥に道がありそうだな」

「パシィもそう思う」

「破壊してみよう」


 イリアスは壁に掌を当てると、氷塊を砕いた時のように壁を何なく破壊した。ルインの作った炎塊に照らされた先には、確かに通路らしきものがある。バキバキに壊れた石壁を跨いで、奥へと進んだ。

 ごつごつした通路は、明らかに人工のものではなく、天然のものだった。下へ下へと潜っていくそれは、時に広く時に狭く、とうとうルインが入っていけないほどの幅になり立ち止まる。


「ここから先はオレは行けなさそうだ。待ってるから行ってこい」

「上の小屋まで戻ってていいよ。何かあったら知らせるし」

「うむ」 


 一つ頷いたルインが戻っていくのを見送り、アイラたちは先を進んだ。

 瘴気が濃い方角へ進めばいいので、道に迷うこともなく、下って行った先にあったのはぽっかりと空いた空間だった。


「あー、ここが瘴気の溜まっている場所かぁ」


 アイラが足を止め間伸びして声で言うと、イリアスが顔を顰めて口元をハンカチで覆った。そうしたくなる気持ちもわかる。

 地下空間は、地上の比にならないほどに濃い瘴気に満ち満ちていた。濃紫色の空気が充満し、よどんだ空気が蔓延している。結界魔法で遮断していても、そのまとわりつくような毒ガスが結界の隙間からじわりじわりと侵食してきて体を蝕むような気がする。気がするだけで、実際にそうはならないのだけれども。パシィが怯えたようにアイラの腰にしがみついてきた。


「……まさか、うちの地下がこんなところに通じていたなんて、思ってもみなかった……」


 イリアスが足元に視線を落とし、指を差した。


「おそらく大元はもっと地下深くから湧き出している、天然の毒素だろう。地面のいたるところから噴き出ている。ただ、広さからしてこの空間から沼地全体に瘴気が出ていると考えて間違いないだろうな」

「じゃあ、この空間を封印しちゃえば、問題ないってコト?」


 シングスの問いかけにイリアスはハンカチで口元を覆ったまま頷いた。


「ああ。沼地に存在している無数の亀裂を塞ぐより、よほど手っ取り早い。早速成分を分析して、必要な魔法陣を作成してしまおう」



 アイラたちが地下探索に出掛けている時、穴を通り抜けられなかったルインは大人しく小屋まで戻ってきていた。まあ、あのメンバーでいくならばなんの心配もなかろう、帰ってくるまで一眠りしようかと考えながら石室から一足飛びに小屋の中へと戻った時、外での異変を感じ取った。外に出てみれば、パシィにいつも付き従っている大蛇が見知らぬ男と睨み合っている。

 男は、一言で言えば、緑色だった。

 薄緑色の髪を背中に垂らしていて、エメラルドグリーンの瞳をしている。瞳に準ずる濃い緑色を基調にした服を纏っていた。動きやすいよう体に合うような作りとなっているそれは細かな刺繍などが入っており、ルインが見たことのない繊細なデザインだった。男は右手に渦巻く風で出来た剣を握っていた。一見すると細く脆そうだが、込められている魔力の質量が桁違いだ。例えるならば、木々を折るほどの暴風が圧縮されて手の中で剣の形になっているようなものだった。ルインは地を蹴り、睨み合う両者の間に割って入る。背中を大蛇に向け、男と対峙した。


「何者だ」


 男は臨戦態勢を解かないままエメラルドグリーンの瞳をルインに向けた。


「喋る赤い狐……君はもしや、シーカー殿の拾った火狐族の生き残りか?」

「だとすれば、どうだというのだ」


 唸り声を上げるルインと大蛇を交互に見比べ、男は言葉を発する。


「どうということもないが。……ただ、そうだな。私はここに、沼地の魔女とヘルドラドを始末するために来た。邪魔はしないで欲しいのだが、邪魔するなら君も討伐対象に入れなければならない」

「なぜ彼らを始末しようとする」

「簡単な話だ。バベルの統括をするフィルムディア一族の責務として、ヴェルーナ湿地帯に蔓延する瘴気の原因を取り除くためだよ」

「ならば見当違いだ。瘴気は沼地の地下から自然発生している。今その原因をなんとかするべく、アイラと沼地の魔女、それからなんか……よくわからんがお前と同じ大公一族とかいう二人が協力している最中だ」


 すると男は、先ほどまで浮かべていた真面目な表情から一転し、キョトンとした顔になった。


「それはもしや、色素の薄い研究者風の格好をした男の子と、ピンク色の髪をツインテールにした女の子じゃないか?」

「そうそう、そんな感じだったな」


 ルインは人の名前を覚えるのが苦手だった。頓着していないというせいもある。この世で大切なのはアイラとアイラが作る料理だけであるという意志の元に生きているので、その他のことはどうでも良い。きちんと覚えているのは恩人のシーカーとアイラの名前だけだった。

 ルインの答えを聞いた男は額に指を当てて、それはそれは深いため息をついた。


「はぁー……ったくあの二人ときたら、まるでこちらの言うことを聞かないな……そういうことなら話は別だ」


 男は握っていた剣を消し去ると、両手を上げて敵意がないことを示しつつ、ルインと大蛇に向かって話しかける。


「何がどうなっているのかよくわからないが、ひとまず討伐は先送りにしよう。イリアスとシングスがいるところまで案内してくれないか」

「それは無理だ。小屋の地下から洞窟に降りて行ったんだが、途中狭くて通れなくなった。だからオレだけ戻ってきたというわけだ」

「なるほど。ということは、小屋で待っていれば全員そのうち戻ってくるというわけか」

「そういうわけだ」

「ならば私も待たせてもらおうじゃないか」


 こともなげに言うと、男は小屋の中に入ろうと足を進める。大蛇が威嚇するようにシャーッと鳴き、男は首を巡らせた。


「やりあうか? 言っておくが君がその気なら容赦はしない。ただ、魔女が敵か味方かわからない今、無駄な殺生は避けたいところだ。何せ私が一度剣を抜いたなら、その首と胴体は間違いなく離れるだろうから」


 気負いなく放ったその言葉に誇張表現は見られない。男は本気で、大蛇の首を切り飛ばせると考えているのだろう。強者特有の絶対的自信をみなぎらせながら男が翠玉の瞳で大蛇を見据えれば、黄色い巨大な眼光が揺らいだ。それを見た男が薄い唇を開いて言葉を追加する。


「心配しなくても、魔女に危害は加えない。少なくとも、バベルの敵でないならば……私に下された命令は、『問答無用で沼地の魔女とヘルドラドを討伐しろ』ではなく『瘴気の原因を取り除け』であるからね」


 喋れずとも人語を理解する賢い大蛇は、男の言葉をしばし自分の中で噛み砕いた後、「シャア」と鳴いてから身を引いた。

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