第52話 沼地でスローライフ②

 パシィの後に続いてアイラとルインも外に出る。

 そこでは、ひと組の男女が、大蛇と大蛇に縋り付くパシィと向き合って立っていた。

 大蛇は臨戦態勢だった。まぶたのない巨大な黄色い瞳で侵入者たちを見据え、威嚇するように細長い舌を出し、シューシューと息を漏らしながら鳴き声を発している。パシィが首に腕を巻き付かせていなければ、即座に侵入者に襲いかかっていたことだろう。

 侵入者はやはり以前アイラが会ったことのある二人組だった。

 色素が薄い髪と瞳を持つ白衣を纏った研究者風の青年と、ピンク色の髪と瞳を持つ赤いチェックワンピースを着た女の子だ。二人は大蛇とパシィに睨みを効かせていたが、小屋から現れたアイラとルインを見て、シングスは意識をこちらに向けた。


「あれ……森でココラータを乱獲してた、えーっと、アイラちゃんだ! どうしてここに?」

「魔導具作りに必要な素材を集めに来てるの。それより、パシィに何か用?」

「この子、パシィちゃんっていうの? わたしたちが用事があるのは、沼地の魔女っていう人なんだけど」

「パシィが、沼地の魔女」


 大蛇の首に縋り付いていたパシィがか細い声を出した。


「みんなが悪く言う、沼地の魔女はパシィのこと。……あなたたちもパシィの邪魔をしに来たの? だったら、容赦しないけど」


 アイラに見せていた時のあどけない姿とは一転し、パシィの声は地を這うような低いものに変わった。敵意を隠そうともせず、チリチリとした殺意が剥き出しになる。つられるように大蛇も威嚇の声を大きくする。

 今にも飛びかかってこようとするパシィと大蛇に向かい、イリアスが至極冷静な声で告げた。


「フィルムディア大公一族のイリアスとシングスだ。こちらに敵意はない。話し合いに応じてくれないか」

「……話し合い?」

「そうそう! わたしたちは、パシィちゃんを傷つける気はないよ。ただ、ヘルドラドが生み出す瘴気をなんとかしたくて、ここまで来たの」

「……! パシィは、何度も、言ってる。瘴気の原因は、ヘルじゃない!」

「えぇ? じゃあ、この瘴気一体どこからどうやって出てきてるの?」


 シングスは困り顔だった。一方のイリアスは冷静で、白衣のポケットに手を突っ込んでパシィと大蛇を交互に見比べる。


「確かに、湿地帯を覆う瘴気を吐き出す原因の大蛇にしては様子がおかしい。できれば話を聞かせてもらいたいんだが、どうだろうか」

「…………」


 パシィはまだ警戒を解いていないようだった。アイラはそんなパシィの元に気負わずに近づくと、むくれている薔薇色の頬を、人差し指でつんつんした。


「えいっ」

「……アイラ、何するの」


 パシィの金色の瞳がアイラを見る。なははーとこの場の雰囲気をぶちこわすような笑い声をアイラはあげた。


「そんな怖い顔しなくても、この二人は多分大丈夫だよ! ちょっと話聞いてみるくらいならいいんじゃない? ほら、ごはんだってまだだったし!」


 パシィはちょっと迷ったようだった。うつむいて思案したあと、小さく頷く。


「……アイラがそう言うなら」

「よっし、じゃあ、小屋の中で話そうよ! ここ、瘴気のせいで空気悪いし!」

 


 一行は小屋の中に入った。四人プラスルインが入ると狭い。大蛇は窓からじーっと内部を伺っており、黄色い眼球が窓ガラスいっぱいに映り込んでいた。


「椅子が二脚しかないから、立っててもらえる? あたしたちこれからごはんなんだ」


 アイラは自分の家であるかのように椅子を引き、座った。向かいにパシィが座り、イリアスとシングスを油断なく見つめたまま、お腹は空いていたようでフォークを握りしめた。イリアスとシングスが微妙な顔をしたまま所在なさげに立ち尽くしている。


「こうした待遇を受けるのは珍しい」

「ねえ、その料理なに?」

「テリヤキクロコダイルだよ」

「クロコ……ワニ? ワニなの?」

「そう。おいしいよ。一個食べる?」


 アイラがフォークにブスッと刺したテリヤキクロコダイルを差し出すと、シングスは好奇心いっぱいの顔で受け取り、迷うことなく食べた。


「あっ、本当だ。おいしい! お兄、これ美味しいよ!」

「他人様の食事を勝手にもらうな」


 イリアスは顔をしかめてシングスを嗜めた。

 アイラとルインとパシィは、この招かれざる客を無視して食事をした。三人分しか料理がないので、あげる余地はないし、欲しそうでもなかったので放っておいた。シングスは食事する二人と一匹を興味津々で見つめ、イリアスは小屋の中を観察していた。


「この小屋、瘴気を防ぐために高度な結界魔法陣が刻まれている。おまけに一級魔石が使われていて、魔力を流せば半永続的に効果が得られるようになっている。……この小屋は沼地の魔女殿が建てたのか?」

「違う。もともとあったのを使ってる」

「あぁ、そういえば、以前はここに探索拠点があったな。それを使っていたのか」

「そう」

「探索拠点?」


 アイラが首を傾げれば、イリアスが丁寧に解説をしてくれた。


「バベルから離れた場所で長期間の探索を可能にするため、各地域には人が寝泊まりするための簡単な拠点が作られていたんだ。魔物の侵入を防ぐための結界魔法陣を仕込み、ギルドから人を派遣し、諍いなどが起こらないように管理する。もっともヴェルーナ湿地帯は五十年前の瘴気異常発生のせいで拠点が機能しなくなっていて、この有様だが」

「それでパシィの身長よりキッチン台が高めだったんだね。自分で作ったのにサイズがあってないなんて変だなとは思ってたけど」


 一心不乱にテリヤキクロコダイルを食べるパシィがコクコクと頷いた。

 ようやく食事を終えたので、アイラとパシィはベッドに並んで腰掛け、椅子はイリアスとシングスに譲った。


「この椅子、腐りかけてないか」

「ていうか小屋全体が腐ってる気がする」

「これでもマシになった方なんだから、文句言わないの!」 


 イリアスとシングスの言う通り、椅子は半分腐りかけているし、小屋全体が苔むしてひどい有様なのは間違いない。ただ、アイラとルインの掃除のおかげで随分と綺麗になっているのだから、心外である。アイラがビシッと二人を指差した。


「沼地のど真ん中に小屋があるだけありがたいって思いなさい」 

「まあ、確かに……」

「ここまで来るだけで一苦労だったからねえ。お兄の結界魔法がなかったらとっくに毒に呑まれてただろうし」


 大人しく椅子に座った二人に、パシィはアイラに抱きつき警戒しながら話しかけた。


「それで、何の用事? いつもの人たちみたいに、瘴気をヘルのせいにしてパシィたちをいじめにきたの?」

「そうじゃない。俺たちは君を助けに来たんだ。ところで聞きたいんだが、『沼地の魔女』は推定年齢百五十歳の老婆で、耳が遠く会話がままならず、人を見かけると見境なく攻撃してくる危険な人物だと聞いていたんだが……本当に君のことなのか? 見た目が聞いていた話とまるで一致しないのだが」

「……アイラのおかげで元の姿に戻れたの」

「アイラちゃんの? 何したの?」


 シングスが長いピンクブロンドのツインテールを弄びながら問いかける。


「おいしいごはんをくれた」

「ごはん?」

「そう」


 パシィは頷き、ひしとしがみついているアイラを憧憬の眼差しで見つめてきた。


「……アイラは、他の人と違う。ヘルにひどいことしないし、パシィに優しくしてくれる。パシィは、アイラが大好き」

「えーそんなに褒められると困っちゃうなぁ!」


 アイラは頭をかきながら、あははーとのんびりした笑い声をあげた。

 パシィは語る。


「……五十年前、パシィはヴェルーナ湿地帯に探索に来た。その頃から瘴気が問題になっていて、ギルドから依頼を受けて原因を探りに来たの。パシィは、見た目は子供だけど、実は五十年前にすでに百歳を超えていたから。魔法の力と引き換えに、体と精神が育たないの。でも魔法はすごいよ。その時は『紫電の魔女』って呼ばれてた」

「紫電? パシィが使ってたあの魔法って、雷魔法だったんだ。あたし見たことない魔法だったから、なんだろって思ってたんだ」

「そう。普通の雷魔法は黄色く発光するけど、パシィのは紫なの。高密度に圧縮された魔力が、最高威力の雷を生み出す……パシィはバベルで最強の魔女だった」


 イリアスが腕を組み、人差し指を顎に当てて瞳を細め、思案した。


「そういえば聞いたことがある……決して歳を取らない一級冒険者『紫電の魔女』。たしかにバベルに残っている資料には、五十年前にヴェルーナ湿地帯に探索に行ったきり行方不明と書いてあった。ただ、『紫電の魔女』は大蛇など連れていなかったはずだ」

「パシィは湿地帯の瘴気の原因を探しに行って、ヘルに出会ったの。瘴気を吸い込んで倒れたパシィを助けてくれたんだ。まだ小さかった。ヘルは瘴気に関係ないよ。でもみんな信じてくれないの。襲ってくるから、怒ったヘルが返り討ちにしちゃうんだ。ヘルをおいて行ったら、きっとヘルが皆殺しにしちゃうか、誰かがヘルを殺しちゃうと思って、ここを離れられなくて……でも、瘴気に困ってるのはヘルも同じなんだ。ヘルの皮膚の色見たでしょ? 瘴気の毒素を取り込んで、あの色になっちゃったんだよ」

「なら、瘴気の原因は一体何なんだ?」


 イリアスの言葉に、パシィはアイラの腰に巻き付いた手にキュッと力を入れ、声を絞り出した。


「……ヴェルーナ湿地帯にある池の中から、吹き出してるの」

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