第50話 ヴェルーナ湿地帯③
今入ったばかりの小屋を出ると、大蛇と目があった。
「ねえ、この辺りに食べられる魔物いない? パシィに肉を食べさせたいんだけど」
アイラの言葉が理解できたのか、大蛇はじっとアイラを見つめてからゆらりと鎌首を巡らせて太い体をくねらせて進み出す。結界魔法を張って、再び瘴気満ち満ちる沼地へとアイラとルインは足を進めた。
しばらく行くと、瘴気が薄い地帯にたどり着いた。おそらくギリワディ大森林に近い場所なのだろう。視界が良好になり、沼地にたむろするワニの群れが見える。
「食べられるワニ?」
アイラが小声で大蛇に問いかけると、大蛇がわずかに首を縦に振る。意思疎通が出来るっていいな。大蛇の言葉を信じることにし、アイラはワニを仕留めにかかる。
沼地に単身で特攻を仕掛け、ワニの群れが迎撃体制を整える前に右手に魔法を収束し、氷魔法を発動。中級氷魔法「フローズンブレス」によって周囲に氷の礫が吹き荒れ、ワニ達を巻き込み、見る見るうちに凍らせた。
十数匹ものワニが一網打尽だった。
「探してるアイアンクロコダイルじゃないみたい」
仕留めたワニは、ワニの規格で言えば小さい。せいぜいが二メートルほどしかない。魔物かどうかも怪しい。もしかしたら本当にただのワニかもしれない。そのあたりも鑑定魔導具があれば調べられるのだが、まあ、食べられるということがわかっていれば魔物でもただのワニでもどっちでもよかった。
「ルイン、運ぶの手伝ってくれる?」
「もちろんだ」
さきほどの小屋に戻るべく、凍ったワニの尻尾に麻紐を縛り、それを持って歩き出すアイラとルイン。大蛇が先導してくれるので、迷わないで済む。
小屋の中にそっと入ると、パシィはまだすやすやと眠っていた。
「寝てるうちに、ご飯の準備しちゃおうっと」
ワニの解体を小屋の中でやるわけにもいかないので、外でする。
「ワニ肉は低脂肪、高タンパク、低カロリーだから、きっとおばあちゃんのパシィも気に入ってくれるはず。ろくなもの食べてなくて胃が弱ってるはずだから、あんまり脂っこいものは食べられないだろうし」
アイラはワニを鮮やかな手つきで解体し、肉を取り出した。皮は何かに使えるかもしれないからとっておこうと思う。
小屋の中に入ると、隅のキッチンに目をやる。煙突があるのに瘴気が室内に入ってこないのは、やはり結界魔法のおかげだった。刻まれた魔法陣と中央には魔石が嵌まっている。
「にしても、このキッチンで一体何作ってたんだろ?」
竈門の上に載っていた鍋の蓋を持ち上げると、なんだか真っ黒いスープの中に死んだイモリがそのまま入っていた。腹を上にしてプカプカと浮いている様はなかなかにグロテスクだ。アイラは見なかったことにして蓋を閉め、そっと鍋を端っこに寄せた。
それにしてもこの家のキッチンは、形容し難いほどに汚れていた。こんなに汚れたキッチンで何かつくるとか無謀だ。どう考えても食中毒になる。
「掃除からかな。キッチンだけじゃなくて、家中綺麗にしないと」
こんな場所でお年寄りを寝かせておくなど、冗談ではない。
「あんまり掃除は得意じゃないけど、やるっきゃないか」
小屋の中に掃除道具は皆無だったので、アイラは持ち物の布を引き裂いて水を含ませ、それでキッチンをゴシゴシと擦った。
「ルイン、床任せていい?」
「承知だ」
ルインは布切れに丁寧に前足を揃えて乗せ、床の拭き掃除を始めた。
しかし汚すぎるのであっという間に布がドロドロになる。このペースでやってると、手持ちの布がとても足りなくなるだろう。
「そうだ、ワニ皮で掃除しちゃおう!」
アイラは保管してあった剥いだばかりのワニ皮を持ってきた。
「表面がゴツゴツしてるから汚れが落ちるよ!」
「本当だな、腐った床板の間に生えている苔がこそげ落とせる」
ワニ皮を掃除に使ったことにより、床もキッチンもどんどん汚れが落ちていく。
「アイラ、この床板剥がすと下は石になっているようだぞ」
「えっ、ほんと?」
ルインに言われてしゃがみ込み、たわんだ板の隙間に指を突っ込んでベリベリと剥がしてみた。すると確かに、腐った板の下は平べったい石が敷き詰められている。
「防寒用に板を張ったのかな? でももう古いし清潔さにかけるから、全部剥がしちゃえ」
「うむ」
アイラとルインは二人がかりで腐った床板を剥がし、暖炉に投げ入れて火を熾した。明るい炎が暖炉の中で爆ぜ、室内を明るく楽しげな光で満たす。
「なあアイラ。なんだかこの石の部分だけガコガコする」
「えぇ? ほんとだ。なんかここだけゆるいね」
ルインが前足でべしべしと叩いた、直径にして一メートルはあろうかという平たい石は、隙間でも空いてるのか乗ると揺れる。
「……空気が漏れてないか?」
「どれどれ……」
アイラとルインは石に耳を近づけた。
「確かに、ヒューヒュー音がするね。なんなんだろう」
石を調べると、ここにも魔法陣が書かれている。
「結界魔法が書かれてるし、瘴気が下にも存在してるってことなのかな。瘴気まみれだなぁ〜」
顔を顰めたアイラは、しかし手を止めていても部屋が綺麗になるわけでもないので立ち上がった。
パチパチと炎が床板を焦がす音を聴きながら、二人で一心不乱に小屋の中を掃除すれば、すぐさま小屋はまあまあ清潔になった。すくなくとも最初に来た時よりはマシである。
「よし……やっと料理に取り掛かれる!」
「何を作るつもりだ?」
「そうだなぁー、調味料があるから、ワニ肉のガリバタ焼きかな。あとはスープ。肉団子入りのワニスープ」
幸いにして調味料一式があるので、食材がワニ一択でもそれなりのものが作れる。
ワニ肉のガリバタ焼きは、顆粒のバターとガーリックを肉にまぶしてから熱したフライパンの上で焼くだけの簡単料理だし、スープは塩で味付けをすればいい。
ひとまず今とれたてほやほやのワニ肉をまな板の上でミンチ状にし、捏ねて肉団子にする。まず先にワニ肉のガリバタ焼きから作ることにした。
この家に元からあった鍋には謎のイモリスープが入っていたので、持参している鉄鍋を使う。鍋をコンロにかけ、魔法で火をともし、そこに味付けを済ませたワニ肉を投入して焼いていく。中まで火を通さなければならないので火加減に注意だ。時々ひっくり返して満遍なく焼けるようにしつつ、スプーンで転がしながら焼く。ルインが鼻をヒクヒクと動かした。
「バターとガーリックのいい匂いがする……」
「あたしもお腹空いたぁ」
アイラは鍋料理を食べ損なっているので、空腹もひとしおだ。
「味見しちゃお」
味見と称して焼きたての肉を口に運ぶ。火傷しそうなほどあっつあつの焼肉が、舌の上に転がった。あつい。しかし下味につけたバターのジューシーさとパンチの効いたガーリックの旨味で、あつさなんでどうだっていいと思えた。淡白なワニ肉が、調味料ひとつで美味しいお肉に早変わりだ。
「おいひっ」
「アイラ、オレにもくれっ」
「はいどうぞ」
アイラが肉を放るとルインはパクッとキャッチした。
「あつ……うまっ、うまっ」
「おいしっ」
結局最初に焼いたものは全てアイラとルインのお腹に収まってしまった。
ワニ肉自体はたくさんあるので、まだまだ焼けばいい。アイラはどんどん肉を焼き、ワニ肉のガリバタ焼きを量産した。お皿の上にこんもり載ったワニ肉を見て満足する。
「次はスープだね!」
鍋に旨味の凝縮されたワニ脂とバターとガーリックが残っているので、これをスープの出汁に使おうと思う。魔法で水を満たし、ここに肉団子を投入し、茹るのを待つ。ぐつぐつと沸いた湯から立ち上る、バターとガーリックと茹で上がった肉の香り。瓶のコルクをキュポンと抜いて、塩をひとつまみ振り入れたら完成だ。
隅のベッドでもぞもぞと人が動く気配がした。
「……いい匂い」
「あ、起きた? おはよう!」
ベッドからパシィが起き上がると、その目はテーブルの上に並んだ料理に釘付けになった。
「ちょうど料理が出来上がったところなんだ。ご飯にしよっか!」
満面の笑みでそう言えば、窪んだ目をこれでもかと開き、パシィは驚きの表情を浮かべた。
おずおずとベッドから降りたパシィは、足をもつれさせふらついたので、アイラは部屋を横切って支えてあげた。
「大丈夫?」
「うん。ちょっと魔力切れ」
「あ? あー魔力切れかぁ! じゃあ、これ飲みなよ」
アイラはルインの背に括り付けてある荷物の中から小瓶を一本取り出した。
「魔力回復薬! 半分飲めば全回復するらしいよ!」
パシィは瓶とアイラの顔とを交互に見つめ、戸惑っていた。
「……こんな貴重なもの、もらっていいの?」
「いいよ。店に行けば買えるし」
アイラにとって、金で手に入るものなど貴重品のうちに入らない。貴重なものというのは、断崖絶壁に生えている幻のキノコとか、世にも美味な花の蜜を集める凶悪な蜂とか、倒すのにものすごく苦労する絶品な魔物とか、そういうものを言う。
「はい、どーぞ」
なかなか受け取らないパシィの手に、蓋を外した魔法薬を握らせた。
「ごくっといっちゃって!」
やや圧のある笑みを浮かべて言えば、パシィはためらいながらも腕を上げ、瓶の縁に口をつけ、ごくごくっと中身を半分ほど飲み干した。
ぶるっと身震いをして自分の体をかき抱き、それから両手を見つめる。
「……魔力が回復した!」
「あ、ほんと? それはよかった。じゃあ次は空腹も解消しようか!」
ベッドに上半身を起こしているパシィの手から魔力回復薬を受け取り、かわりにスープの入ったお皿を持たせる。
「特製肉団子入りスープだよ。おかわりもあるし、ワニ肉のガリバタ焼きもあるよ!」
パシィがごくりと生唾を飲み込む音が聞こえた。
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