第46話 鑑定魔導具が欲しい③

 共同キッチンに行くと買って来た材料を広げ、アイラは料理に取り掛かる。

 今日作るものは簡単だ。材料全部をボウルに入れ、混ぜて形を作ればいい。

 まずは角切りにしたバターを入れ、そこにアル粉と粗ごし糖を入れて手でひとまとめに捏ねて混ぜていく。それから砕いた木の実と干し葡萄とを入れ、ひとまとめにする。これを天板に乗せて四角く平にしたのち、焼けばオッケーだ。


「ロッツさんにオーブン借りに行こうっと」


 アイラは出来上がったばかりの生地を持って酒場へと向かった。

 昼を過ぎた中途半端な時間帯のせいか、酒場に客の姿はまばらだった。空いた皿を運んだり、テーブルを拭いたりしている子供たちの姿が目に付く。


「あっ、アイラさんだ」

「アイラお姉ちゃん、この前はお菓子ありがとう」

「すっごく美味しかった!」


 子供たちはアイラを見て手を振り、あるいはお礼の言葉を口にする。赤いエプロンワンピースの女の子、モカの姿もあった。


「アイラさん、今日はどうしたの? お食事?」

「んーん、今日はビスケットを焼くからオーブンを借りに来たの」


 アイラが片手でこねてひとまとめにした生地を見せれば、モカは興味津々だった。


「へえ、ビスケット!」

「ヴェルーナ湿地帯に行くから、そのための携帯食料だよ。ロッツさーん、オーブン借りていい?」

「やあ、アイラさん。どうぞ好きなだけ使ってくれ」

「ありがと」


 アイラは遠慮なく厨房に入り、オーブンを使うためにロッツが手渡してくれた天板を受け取った。酒場で使う業務用のものなので、一般家庭用の物と比べて大きい。天板にぐいぐい生地を広げ、厚さが均一になるようにならす。それから生地に空気を通す穴を開けるべく、フォークでブスブスと生地を刺した。


「予熱しておこうか」

「ありがとう、中温でお願いできる?」

「はいよ」


 オーブンは使う前に温めておく必要があるため、温度設定を頼むとロッツは快く引き受けてくれた。


「またギリワディ大森林に行くのかい?」

「次はヴェルーナ湿地帯。鑑定魔導具とオーブンが欲しくって、素材集めに行くんだ」

「あぁ、なるほど。自分用のオーブンが欲しいのか」

「そう! やっぱりいつでも自由に使える方がいいなって。パイもパンもグラタンも焼けるし、焼きたてを食べるのって格別だから」

「料理人らしい発想だ」

「料理人だからね!」


 生地を広げたアイラは天板を持ち上げてオーブンに近づき、扉を開けた。予熱が済んでいるオーブンからはムッとした熱気が立ち込めている。熱を逃がさないように天板を素早く入れてから扉を閉め、時間設定をして「開始」ボタンを押した。魔石の力によってオーブンは一定の温度を保ってくれるから、いちいち火加減を調整したり確認したりする必要がなくて便利だ。アイラの挙動を眺めていたロッツが声をかけてくる。


「湿地帯に行くなら、飲食物の用意は必須だな」

「水は魔法で出せるからいいんだけど、問題は食料だよね。本当に全然食べられる物ないの?」

「ないと思っておいた方がいい。昔は鳥でも爬虫類でも獣型の魔物でもなんでもいたらしいんだが、瘴気のせいでままならない」

「瘴気に魔女に毒蛇に……なんだかすごい危ない所みたいだね」

「身入りはいいんだが危険すぎるって、めっきり探索に行く冒険者も減っているらしい。聖職者に同行を依頼する場合もあるとか。彼らがいれば、ともかく解毒ができるからな」

「聖職者って探索について来てくれるんだ?」


 アイラが知っている聖職者とは、街の聖堂にこもって祈りを捧げている人のことだ。光魔法の適性がある者のみがなれる聖職者は、聖堂で女神ユグドラシルへの祈りを捧げることで魔力(聖職者の言い回しによると神聖力)を高めることができる。そして人々の怪我や病気を治したり、解毒や石化治療をしたりする。


「見返りがあれば。ここはバベルだから、聖職者のフットワークも他の都市に比べればだいぶ軽い。その代わり、報酬はかなり高額だ。一日金貨百枚の支払いを要求されるらしい」

「高すぎない?」

「だからあまり積極的に頼む人はいないな」


 ピーピーと音がしてオーブンが焼き上がりを告げた。扉を開ければ焼きたての菓子の香りが広がる。


「ふわぁ……やっぱりこの香りは格別!」


 焼けた木の実や干し葡萄の甘い香り、砂糖とバターのふくよかな匂い。

 ミトンをはめた手でいそいそと取り出せば、ロッツが顎に手を当てて覗き込んできた。


「随分美味そうな携帯食料だな。普通、日持ちするように硬く焼き上げたパンとか、塩漬けにした干し肉とかじゃないのか?」

「だって美味しくないと食べてて楽しくでしょ?」

「まあ、確かに……」

「それに、干した葡萄とか木の実はいい栄養補給になるし、砂糖をたっぷり入れると日持ちするんだよ。甘いものはエネルギー源にもなるし、アル粉をたくさん使ってるから腹持ちもするんだ」

「……酒場でも扱おうかな」

「いいんじゃない? きっと売れるよ!」


 焼き上がったばかりのビスケットはまだしっとりとしている。包丁で持ち運びやすい大きさにカットして、冷めたらササの葉でくるめば出来上がりだ。なんとも簡単、それでいて美味しくて栄養たっぷりなんだから優れものな食べ物だと思う。少なくとも、堅すぎるパンやしょっぱすぎる干し肉なんかよりよほど食欲をそそる。まあ、そうした食料だって大切だし、塩気に満ち満ちた肉を鍋に入れて煮込むと味付けになっていいというメリットもあるのだけれども。

 そんなわけでアイラは、ビスケットを冷ますついでに他の探索用の持ち物を用意することにした。


「何を買うんだ?」

「えーっとね、干し肉と鍋と魔力回復薬。あとはルペナ袋を追加で買おうかなって」


 魔力回復薬は先日石匣の手のメンバーとギリワディ大森林に行った時にエマーベルが使っていたものだ。その名の通り、飲むと魔力が回復するらしい。なんて便利。ダストクレストからバベルまで行く道中に、その薬が欲しかった。山脈はともかく、砂漠では常時結界を張りっぱなしだったのでちょっとキツかった。タンパク源もなかったし、せめて魔力回復薬があればもっと楽に砂漠越えができただろうに。まあ、今更そんなこと言っても仕方ないけど。

 バベルには錬金術師が営む薬屋も多く存在している。アイラはエマーベルに聞いた薬屋を目指して歩いていた。「あまり綺麗な店構えではないですが、安くて質もそこそこの薬を扱っています」との話だったのだが……なるほど、たどりついた店を見てアイラは納得した。

 そこはボニーの魔道具店には負けるが、まあまあのうらぶれ具合だった。路地裏のどん詰まりみたいな場所にあって、窮屈そうに建っている。ルインが店を見上げて感想を述べた。


「ダストクレストにありそうな店だな」

「そうだね。あたしってこういう店に縁があるのかな」


 立派な外観の一流店にはとことん縁がない。

 ただ、まあ、売ってるものが粗悪品でなければそれでいい。エマーベルの贔屓の店っぽいし、問題ないだろう。アイラはためらわず扉を開いた。

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