ACT2:ヴェルーナ湿地帯

第43話 フィルムディア一族の双子

 シングス・フィルムディアはあまり祝福された子ではなかった。

 理由は明白で、その目と髪色のせいだ。

 この世界では、魔力というのは身体的特徴となって現れる。

 風火水土雷光闇。どれかに属する魔力を持つ人間は、かならず瞳や髪の色に反映される。

 フィルムディア一族は古くからこの地に君臨し、バベルの建設当初からずっと支配し続けている。世界樹の恩恵から最も遠い土地なので、環境は厳しい。当然、一族が有する力というのは強力で、代々子孫たちはおおよそ人間にしてはありえないほどの力をその身に帯びて生まれてくる。

 ーーただしたまに、そうではない者も生まれてくる。

 シングスがそれだった。

 生まれた時からその目と髪色を見た家族はガッカリした。

 数分前に生まれた双子の兄が、薄い青の髪色と瞳という、まごうことなく氷魔法の使い手であるにもかかわらず、妹の方はこの色素ーー珍しいには変わりないが、桃色の目と髪ではどの属性にも引っかからない。

 家族は彼女を冷遇こそしなかったが、何の期待も寄せなかった。いやもしかしたら、憐れまれていたのかもしれない。それはつけられた名前に如実に現れていた。一族の名前は昔の英雄にちなんだものになっているというのに、シングスだけがそうではなかった。生まれた時から何も求められない存在。

 幸いにして見た目は整っていた。愛くるしいと呼べる顔立ち、庇護欲をそそる存在感。ドレスを着せられ、寂しくないようにと与えられたぬいぐるみを抱きしめ、ただただ豪奢な部屋の中で過ごす、無為な時間。

 籠に囚われた鳥のように、何不自由のないバベルの上層階で一生を過ごせば良いーーそんな風に思われていたのは明白だ。

 たった一人の人物を除いては。


「シングスにも何か特殊な才能があると僕は思っている」

「イリアスお兄様……」


 シングスはベッドにぺたんと座ってうさぎのぬいぐるみを抱きしめたまま、双子の兄であるイリアスを見上げ、力なく首を横に振った。


「そんなことない。だって私、基本的な魔法が何ひとつ使えなかったもん」

「それはきっと、シングスに合っていなかったんだ。方法を考えよう」

「…………」


 シングスはうつむいた。五歳のイリアスはすでに頭角を現している。子供だてらに上級魔法を使いこなし、父と一緒にギリワディ大森林の探索に乗り出していると聞いた。双子なのに、シングスとは大違いだ。


「僕はシングスの才能を疑っていない。ぜったいに、君にも何か眠っている力があるはずだ」

「何でそう思うの?」

「だって君は、僕の双子の妹だ」


 イリアスは色素の薄い、わずかに青く光る瞳でシングスを見ていた。真剣な眼差しだった。イリアスはベッドに腰掛けるとぬいぐるみを抱きしめ続けているシングスの手にそっと自身の手を重ねた。いつの間にかぬいぐるみをきつく握りしめていて、指が食い込んでいた。


「他の誰が、君自身が諦めても、僕が諦めない。君には何か特別な力があるはずだ。一緒に探して、見つけよう」

「お兄……」

「閉じこもってちゃいけない。外に出て……確かめよう」


 シングス自身が諦めていたことを、イリアスは諦めないで信じていてくれている。話し相手も遊び相手もおらず、一人部屋に残されて孤独な時を過ごし続けていたシングスにとって、それはとてつもない励ましになり、救いとなった。

 たった一人の双子の兄は、シングスを信じてくれるという。

 ならばこの手を取ることに、何のためらいがあるというのだろう。

 ぬいぐるみを握る力を緩ませて、イリアスの手を握り返す。


「うん……お兄、ありがとう……」


 目尻に浮かんだ涙の粒を、空いている方の手でそうっと拭いながら、シングスは心からの微笑みを浮かべた。



「あれからもう……十年かぁ」


 幼少期に思いを馳せていたシングスは一人でそう呟く。

 十九歳になったシングスは、周囲の予想とは裏腹に凄まじいまでの才能を見せつけていた。

 イリアスと二人で見つけ出したシングスの中に隠されていた才能ーーそれが、いまだかつて誰も知らなかった「魅了魔法」だ。

 人や魔物を惹きつけて意のままに操る、催眠術にも似た一種の精神干渉系の魔法。シングスの魅了魔法はそれのみならず、魅了した対象を石化させるという効果も付与できた。一度魔法にかけられれば自らの意思で解くのは難しく、コレを撥ねつけるのは強靭な意志の力が必要だった。

 誰をも惹きつけてやまないシングスの天性の愛らしさ、そして彼女の発する抗い難い魔力によって魅了魔法というのは成立している。

 しかし更なる研究の結果、魅了魔法はーーシングス以外の人間でも使用可能であるということがわかった。

 魅了魔法は、魔法というのは七大属性のいずれかに属するという大前提を覆すものだった。この世界における魔法体系から逸脱した、異質な魔法であると言っても過言ではない。

 シングスとイリアスは魅了魔法の存在を公にすることにした。多くの人が使うことで、より多くの研究結果を得ようと考えたのだ。サンプル数は多いに越したことはない。

 結果的に、特に女性冒険者の間で「アイドル」という職業が爆発的に広がった。


「けど、困っている人を一人も助けられなくて、何がアイドルよっ」


 シングスはぷりぷりと怒りながら廊下を歩く。白衣を翻しながら隣を歩くイリアスが気遣わしげな視線を送ってきた。


「シングス、行くのか?」

「当然、行くわよ。準備が整い次第すぐに。セイお兄様が魔女を討伐する前に、助けてあげないとっ」


 鼻息も荒く宣言するシングスに、イリアスは短く嘆息をこぼした。


「お父様もセイお兄様も、切り捨てられる人の気持ちがわかってないんだよっ。相手は魔物じゃなくて人間だよ? 一万を助けるためなら百の命を犠牲にする、って考え方、私は好きじゃないもん」

「……まあ、シングスならそう言うと思っていた。ただ、相手は手強いぞ? 何せ君の魅了魔法が通じるかわからない」

「大丈夫。事情を話して仲良くなって、そうしたらきっと魅了魔法にかけることもできるはず」

「沼地の魔女は推定年齢百五十歳の老婆で、耳が遠く会話がままならず、人を見かけると見境なく攻撃してくる危険な人物だと聞いているが」

「それでも人間である以上、お話しできる余地はあるはず!」


 幼少期に一度諦めていた夢を救われたという経験を持つシングスは、ちょっとやそっとのことではめげたりしなかった。


「アイドルたるもの、いつでも笑顔で軽やかにファンに応じなきゃ!」

「沼地の魔女はシングスのファンじゃないだろう」

「これからファンにしてみせるの! さっさと探索準備整えて、向かおうよっ」

「はいはい、わかったよ」


 イリアスはすっかり強気な性格に育った双子の妹に苦笑しながら返事した。

 まあ、少なくとも、部屋に閉じこもって魂の入っていない人形のように日がな一日ぼーっとしていた彼女を見ているよりよほどいい。


「ヴェルーナ湿地帯か……瘴気対策をしっかりしないといけないな」


 イリアスは頭の中で必要なものを挙げ連ねて考える。

 あまり長い探索にならなければ良いなと思いながら。

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