第33話 三度ギリワディ大森林へ③

「はぁ……どうしましょうか」


 三級冒険者パーティ「石匣の手」のリーダー、エマーベルは深いため息をついた。今、石匣の手は苦境に立たされている。共に探索をしてきた斥候のクルトンが深手を負っているため、探索に支障が出ているのだ。

 九死に一生を得たクルトンにメンバーたちは安堵したものの、治療費にはかなりの金貨を必要とし、おまけにクルトンは未だ病床にいる。

 バベルでの治療費は高額だ。

 普通の街での治療費だって高額なのだが、バベルはそれさえも安く思えてしまうほどに高額なのだ。

 通常、怪我や病を治すのは聖職者。女神ユグドラシルに信仰を捧げ、聖なる力を高めた者だけが使える治癒魔法にて傷ついた人々を治す。バベルには高度な治癒魔法を使える聖職者が多数住んでいるのだが、彼らに支払う金額は、一回につき金貨五十枚は下らない。あまりの高額に重症人以外は運び込まれないのだが、今回のクルトンの怪我はまごうことなき生死に関わる重症だったため、即座に聖職者のエリアへと連れて行った。

 おかげさまで助かったのだが、このままジリジリと減りゆく金貨を見つめているわけにいかない。切り詰めたって限度がある。稼がなければバベルを出ていく羽目になってしまう。

 とはいえ、クルトンを欠いた三人で探索するのはあまりにも危険だった。

 クルトンは斥候という重要な役割を担っていた。先んじて探り、危険がないかを確認し、魔物の動向を確かめる。彼なしで探索するならば、他のメンバーを探さなければならない。しかし斥候の役割ができる人間は貴重なので、大体どこかのパーティに属している。

 重い足を引きずりながら歩いていると、隣を歩くノルディッシュが話しかけてきた。


「なあ、エマ。パーティ募集に誰か応募してるやついると思うか?」

「どうでしょうね……」

「この際だからぁ、斥候以外の人をパーティに入れたらぁ?」

「それもありですね」

「そうじゃなきゃ、俺たちここを放り出されちまうからな」


 ノルディッシュの言葉は冗談では済まされなかった。本当に、ここらでどうにかして金を稼がないと、家賃も治療費も支払えずにバベルを着の身着のままで追い出されてしまう。実力主義のバベルでは、稼げないものに容赦はしない。なんとかしなければならなかった。


「せめてジャイアントドラゴンの棘一本でも持って帰れたらよかったのにな」

「その前に出会ったぁ、ココラータの実でも良かったんじゃなぁい?」

「確かに……」


 エマーベルはがくりとうなだれた。

 あの日エマーベルたちは、ジャイアントドラゴンに出会う前にココラータという魔物に遭遇していた。ココラータは臆病な魔物で、滅多に人前に姿を現さず、運良く出会えてもすぐに逃げてしまうのだが、その木の実は一つにつき金貨五枚の高額で取引される。何個か持って帰ることができたのなら、今頃は金貨数十枚に変わっていただろうに。シェリーがちらりとエマーベルを見つめた。


「一度であった魔物ならぁ、エマの索敵魔法で探知できるんじゃなぁい?」

「あの場所の近辺にまだとどまっていれば、可能性はありますが……三人であそこまで行くのは得策ではありません」

「だが、このまま塔内で燻ってても仕方ねえだろ」

「ですが……」

「メンバー募集に誰も集まらなかったらぁ、行っちゃおうよ。ねっ?」

「…………」


 二人の言い分もよくわかる。このままグズグズしていても、金を消費するばかりだ。


「じゃあ、募集に誰も来ていなかったら……行きましょう」


 エマーベルは渋々そう返事をすると、誰か来ていますようにと半ば祈る気持ちでギルドへと急いだ。

 結論から言って、エマーベルたちのパーティに参加しようとする冒険者は誰もいなかった。ギルド前の壁の掲示板を眺めたエマーベルは肩を落とした。仕方がない。ほとんど死にに行くようなものだが、三人で探索するしかない。覚悟を決めたエマーベルの背後から、明るい声がかけられた。


「あれー? 石匣の手のみんなじゃん」


 振り返るとそこには、絶体絶命のピンチを救ってくれたあの冒険者、アイラが立っていた。赤オレンジ色の不思議な喋る火狐族なる獣を引き連れ、相変わらずの屈託のない笑みを浮かべている。


「これから探索?」

「はい、その予定です。アイラさんもですか?」

「そう。ココラータって魔物を探しにね。でもどこにいるかわかんないから、ちょっと時間かかりそう」

「!」


 肩をすくめるアイラを見て、エマーベルは思わず残る二人のメンバーとさっと視線を合わせた。

 これは、チャンスではないだろうか。

 エマーベルたちは偶然にもココラータの居場所を知っている。いや、あそこであれほどジャイアントドラゴンが暴れた以上、臆病な性格のココラータがまだ同じ場所に止まっている可能性は極めて低いが、それでも全力を尽くせば探知できるはずだ。

 アイラが先に見せた実力は、石匣の手のそれを遥かに上回っている。アイラは相棒の火狐とともに、たいした装備も整えずに森林に潜ってもなんら危険がないような実力者だ。普通ならば一緒に行動するなどあり得ないだろう。しかし、今はどうだろう? エマーベルは一か八かで提案をすることにした。


「実は我々、あのジャイアントドラゴンに追いかけられる前、ココラータに出会っていまして……探索魔法で再び見つけることも不可能じゃないかと」


 アイラは、前髪で隠れていない右目をわずかに見開いた。


「え、ほんと? いいなぁ、羨ましい」

「我々、一人仲間を欠いているので戦力が足りず……もしアイラさんがよければ、一緒にココラータを探しに行きませんか?」

「いいの? 行く行く!」


 アイラは、こちらの想像以上に速攻で首を縦に振ってくれた。エマーベルとノルディッシュ、それにシェリーの三人は安堵の息を漏らした。これでとにかく、森に探索に出かけられる。何がなんでも成果を上げなければならない。と、考えていたら、アイラはにこやかな笑顔のまま、エマーベルたち三人にこう言った。


「よし、じゃ、早速行こうか!」

「えっ、い、今からですか?」

「そうだよ、今から」


 何か問題でも? とでも言いたげに首を傾げるアイラ。


「えーっと、行くとなれば色々と準備がありまして……」

「あ、そうなの? どんくらいかかる?」


 フル装備をするならば、準備に半日は欲しい。

 石匣の手のメンバーはギリワディ大森林を甘く見ていない。この魔物蔓延る地は魔境であり、人間にとっては危険極まりない地域だ。

 例えば、森の浅い場所に出るアリやバッタといった昆虫型の魔物。あれらは一体一体は弱くとも徒党を組むと恐ろしい脅威となる。その危険を避けるためには虫除けの香を備えて常に焚いておく必要がある。

 頻繁に出没するワイドエイプも厄介だ。彼らの腕力から繰り出される投石は弾丸並みの威力で、しかも恐るべき速度を誇るため避けるのも一苦労。万が一当たれば人体に風穴が開く。猿よけの香を焚いておかなければ森の奥深くに行く前に全滅してしまうだろう。

 それに、森の中を飛び回る魔蛾や魔蜂にも気を使う。これらには虫除けの香が効かないので、別の手段を講じる必要がある。

 地面に擬態しているウィトティントに出会ってしまったら厄介だ。攻撃が当たらないのでシェリーの魅了魔法をかける必要がある。やつらは仲間を誘き寄せる性質があるので、さっさと倒さなければならない。普段ならばクルトンが先を見通し危機を察知するのだが、今回そうもいかない。

 最も懸念すべきはーー索敵魔法をどれくらい持続させなければならないかだ。

 魔力というのは有限で、使えば使うほど消耗する。だから消耗した分を回復させるために、魔力回復薬が必要だ。それだけではない。怪我に備え回復薬も数本要るし、解毒薬ももしかしたら持っていた方がいいかもしれない。

 それから、携帯食料も。何日森に滞在するかが不明なため、もしかしたら簡易宿泊用の持ち物もあった方がいいかもしれない。必要な物を挙げ出せばキリがない。

 だが……。

 エマーベルはちらりとアイラを観察した。

 彼女の装備は、お世辞にも周到とは言えない。出会った時もそうだったが、「ちょっとその辺に行ってきます」くらいの身軽な物だった。これが、ジャイアントドラゴンを一撃で、無傷で屠る実力者の装備か。エマーベルたちは三級、彼女は二級冒険者だが、その差には天と地ほどの隔たりを感じる。


「……アイラさんは、その装備で行くつもりなんですか?」

「うん。いつもこんなもんだし」

「そうですか……ちょっと仲間と相談させてください」

「いーよ」


 エマーベルはアイラから少し離れ、ノルディッシュ、シェリーと額を突き合わせて小声で喋った。


「どうします?」

「どうするも何も、行く気が削がれる前について行くべきだろ。二級冒険者の気持ちが変わる前に、俺たちも行くべきだ」


 ノルディッシュが至極真っ当な意見を述べた。シェリーも激しく首を縦に振る。


「私もそう思いますぅ。アイラさんなら、一人でもへっちゃらでギリワディ森林に行っちゃうでしょうからぁ」

「ですが、必要最低限の装備は整えないと、我々足手まといになった挙句に置き去りにされかねません」

「確かに……」


 探索は自己責任だ。探索中にトラブルがあっても、パーティメンバー外の人間が助けてくれると思ってはいけない。おんぶにだっこで行くわけにはいかないのだ。


「一時間以内に装備を整えるというのはどうでしょうか」

「待っててくれっかな……」

「いなくなってたら、困らないかなぁ」

「では、三十分」

「それなら、まあ……」

「アイラさんに聞いてみようよぉ」


 正直三十分でできる準備などたかがしれているが、ないよりもマシだ。エマーベルを筆頭に、待っているアイラに近づいた。正直彼女は既に待つことに飽きている雰囲気があった。火狐という、エマーベルたちが聞いたこともない喋る不思議な獣に寄りかかり、ぼーっと天井を見つめている。


「あの……すみませんが、支度をするのに三十分お時間をいただけないでしょうか」


 するとアイラは天井からエマーベルに視線を移した。前髪で隠れていない右目でじっとエマーベルを見つめる。澄んだ水色の瞳に見つめられると、オドオドしている内心が見透かされているようでエマーベルはドキッとした。いくらもまたずに彼女の形のいい唇が開かれた。


「いーよ」

「あ……ありがとうございます!」

「じゃ、三十分後に森林に通じる下の門で待ち合わせでいーい?」

「はい!」

「オッケー」


 アイラがヒラヒラ手を振ったので、エマーベルは彼女の気が変わりません様にと思いつつ、とにかく出かける準備をするために急いでポーションを売っている店へと走った。

 三十分というわずかな時間で全ての用意を整えるのは無理がある。

 とにかく石匣の手のメンバーは分担して必要なものを買いに走った。エマーベルは錬金術師が営む調合店に赴き、必要な魔法薬を買い漁った。魔力回復薬は高価なのだが、惜しむ訳にはいかない。エマーベルの魔力が途中で尽きると探索は不可能となりココラータを見つけるのが絶望的となってしまうため、絶対に必要だ。あとはココラータの実を入れるための大袋。これはシェリーが手に入れてくれていた。ルペナ袋の大きいものを二つだ。ノルディッシュは食料を買っていた。


「よし、これで……三十分ですね。急いで東門に行きましょう」


 時計を確かめたエマーベルは、メンバー二人と共に足早に東門に向かった。

 アイラは既にそこにいた。というより、この三十分ずっとこうして待っていたのではないかなという感じだった。特に気負いしておらず、以前に見た通りの軽装だった。赤い癖のある髪を高い位置で一括りにし、ありふれた白いシャツの上にポケットがたくさんついた革のベストを羽織り、ショートパンツの上から武器が収納されたベルトを巻いている。手には指出しのグローブ、足元は革製のブーツ。


「お待たせしましてすみません」

「いんや、全然。じゃ、早速行く?」

「はい」

「案内、よろしくね」


 二級冒険者アイラは人懐っこい笑みを浮かべながら、エマーベルたちに向かってヒラヒラ手を振った。

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