第31話 三度ギリワディ大森林へ①

 翌朝。すっきりと目を覚ましたアイラは、まだ寝ているルインを跨いで部屋から出て、とりあえずシャワーを浴びるために41階まで降りた。シャワーを浴びてすっきりさっぱりしたアイラは、再び部屋に戻り、ルインに話しかける。


「おはようルイン、今日はルインの顔を洗うよっ!!」


 ルインは相変わらず爆睡している時の癖で腹側を真上にして「まいった」のようなポーズをとりながら、ムニャムニャ寝言を言っている。


「もう食えん……」

「ルイン、起きてっ!!」

「ふおっ!?」


 無防備なお腹を思いっきりくすぐると、ルインは身を捩ってワタワタする。


「やめっ、やめろアイラ!」

「おーきーてー! 体洗うよ!!」

「わ、わかった起きる! ……何!? 体を洗う……!?」

「そうだよ。洗うよ」


 体を床に伏せたルインは、ついでに耳も後ろに伏せ、低い唸り声を上げた。


「洗うだと……!?」

「昨日、ベリーで口の周りベタベタにしたでしょ? 洗うよ。綺麗になるまで、朝ご飯抜きだからね」

「ギュウウウウウウ」


 ルインは苦悶に満ちた声を絞り出し、何かと葛藤しているようだった。しかしアイラは妥協しない。仁王立ちになり無言でルインを見据え続けた。


「人間社会に身を置いている以上、少しは身だしなみに気を使わないと」

「うぬぬぬぬううううう……」


 ルインは迷いに迷った後、渋々立ち上がり、顔を洗うことを許してくれた。

 バベル21階、冒険者ギルド、その奥。

 従魔たちを洗うための場所は、阿鼻叫喚の地獄絵図と化していた。

 洗われるのを良しとしない魔物たちが、どうにかして主人の手を逃れられないかとジタバタ暴れ回る。小さな従魔は魔法を使い、大きな従魔は力任せに逃げようと、タイル張りの洗い場は従魔の叫び声とそれを抑えようとする人間の怒鳴り声とが反響して凄まじいうるささだった。ギエエエエ、ギャオオオオオと、まるで断末魔のような叫び声がこだましている。何体かの魔物たちはどうやら眠っているようで、一番手前のサーバルキャットはされるがままに洗われていた。おそらくエサにネムリソウを混ぜられたのだろう。

 アイラはこわごわとルインを見た。この大騒ぎを見て、ルインが「やっぱり洗うのナシ」と言ったらどうしようと思った。さすがに気絶させてまで洗いたいとは思っていないが、だからって口の周りをベタベタなままにしておくわけにもいかない。森林には魔物だけじゃなくて普通の虫だって飛んでいるから、甘い香りに引き寄せられてルインの口の周りに蝿がブンブン飛び回ったりアリがたかってきたりしたら嫌だ。

 しかしルインはこの喧騒を見て何を思ったのか、鼻からふんすと息を吐くと、呆れたように言った。


「フン、だらしがない奴らだな」


 そして悠々と浴場に足を踏み入れる。だだっ広い浴場はいくつかシャワーが設置されていて、どうやらそこで洗うようだった。シャワーの一つまで歩み寄ったルインがアイラの方を向く。


「ほら、どうした、早く洗ってしまえ」

「え? あ、うん。……あれ? 随分おとなしいね?」

「こやつらとは格が違うところを見せてやるのだ」


 アイラが石鹸を泡立たせ、口の周りをあわあわにしてもルインは文句を言わずじっとしていた。どうも、騒ぎまくる従魔を見たら逆に落ち着いたらしい。大人しく現れているルインを他の冒険者たちが羨ましそうに見つめている。その視線に気がついたルインは、大人しく浴場に座り、顎を高く上げていた。

 これはいけるんじゃないかな、とアイラは内心でほくそ笑む。


「ねールイン、ついでだから全身洗っていい?」

「なにぃっ、全身だと!?」

「うん。ついでだし」

「いや、だがしかし全身となると時間がかかって……うふぉっ」


 アイラはルインの返事を聞かず、石鹸をどんどん泡立てて全身に塗りたくった。赤い毛並みが石鹸の泡によって白く染め上げられてゆく。指を立ててワッシャワッシャ洗うと、毛と毛の隙間から砂利がすんごい出てきた。


「おうぉっ、アイラッ、もう良いのではないか!?」

「もーちょっともーちょっと」


 ガッシガッシと指を立てて洗うほど、砂利がどんどん出てきてキリがない。


「アイラッ、まっ、まだなのかっ」

「もーちょっともーちょっと」


 あうあうするルインに「もーちょっと」を連発しながらアイラはルインの全身をくまなく洗った。毛の中でぴょんぴょん飛び回るノミを残らずシャワーで洗い流し、ようやくルインの赤い毛が輝きを取り戻したのを見てアイラは満足した。


「はい、おしまい」


 すっかりずぶ濡れで毛がぺったりしたルインは、まるで体が半分になってしまったかのように細く見えた。不満そうな顔をした後、すごい勢いで全身を震わせて水飛沫をあたり構わず撒き散らす。体積が体積なので飛んでくる水の量が尋常ではなく、アイラは小雨でも浴びたかのように濡れてしまった。


「わっ、ちょっと、あたしまで濡れた!」

「フフン」


 ルインの顔は満足気だった。確信犯だ。全身洗われた腹いせに、やり返したにちがいない。魔物たちの叫び声に満ちる空間から再び悠々と歩いて出ていくルイン。それについていくアイラ。ルインは体内で発火して温度を上げたらしく、みるみるうちに毛が乾いていく。アイラはそれをジト目で見つめた。


「……便利そうでいいなぁ〜」

「アイラもやればよいだろう。火魔法使えるだろ?」

「いやっ、無理だから。人間の魔法とルインが使える魔法は違うって知ってるでしょ」


 歩きながらルインの毛はすでにほとんど乾ききっていた。洗い立ての赤とオレンジが混じり合った毛が、ふかふかもふもふでいい匂いを発している。


「さて、じゃあ、朝食か?」

「先にタオルとか着替えとか、必要なもの買いに行く」

「えええええ」

「だって、あたしびしょ濡れだし。このままほっといたら風邪ひく」

「ぬおおおお」

「すぐに済むからさ」


 渋るルインを連れてアイラは18階に行き、そこで替えの下着やら服やらタオルやらを買った。特になんの魔力付与もされていないただの布で作られた服とタオルなのに、銀貨十枚からとやたらに高かった。

「普通なら銅貨二十枚くらいの品だけどなぁ」とアイラが唇を尖らせて言うと、

「ここじゃあ普通の品も貴重品なのさ」と売り子をしていた八歳くらいの男の子がわけ知り顔で言っていた。

「まあ、しょうがない。買えただけありがたいと思わないとね」


 購入したものをルペナ袋に詰め込んだ。タオルだけは頭から被っておいた。一度部屋に戻って着替えたら、朝食を取るべく酒場に向かう。

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