第30話 作ろう! カラフルベリーのポットパイ⑤

 気がつけば酒場に、相当長居していた。

「アイラさん、蜂蜜酒のおかわりはどう?」「ツマミに魚のフライは? 今朝パルマンティア海から揚がったばかりのとれたてだよ!」「デザートにセンティコアのミルクから作ったアイスは?」などと言われ、片っ端から食べてしまったのが原因だ。

「あー、もう無理。もうベリー一粒さえ入らない」

「オレもだ……」

 若干気持ち悪くなるくらい食べたアイラがテーブルに突っ伏しながら言うと、ルインも同意した。もはや酒場に人気は少なく、給仕をしている子供たちは空いた皿を下げて片付けに入っている。アイラも部屋に戻らなくてはとは思うのだが、腹が重すぎてまだ動けそうになかった。あと満腹すぎて動くのが面倒だった。ルインも同じらしく、この場で眠ろうと前足に頭を乗せて目を瞑り始める。そういえばルインの顔、洗いそびれたなぁとアイラは満腹で鈍い頭でぼんやりと思った。明日の朝、起きたら洗おう。

 そんな風に取り止めもなく考えていたら、アイラの視界に二本の足が飛び込んできた。ほっぺたをテーブルにべちゃっと押しつけたままの姿勢で視線を下から上へとたどると、モカの父がグラスを手にこちらに向かってきている。

「どうぞ。ただの白湯だけど、食べ過ぎに効く」

「どうもありがとう……」

 アイラはなんとか上体を起こし、テーブルに置かれた白湯が入ったマグを握りしめた。なんの味もついていないお湯がうまい。モカの父は白湯を飲むアイラを微笑みながら見つめていた。

「今日はモカに付き添ってくれてどうもありがとう」

「こっちこそ、美味しいものが手に入ったから良かったよ。あとオーブンも貸してくれてありがと」

「モカが、君の作っていた料理を随分と気にしていたよ。他の子たちも興味津々だった」

「甘いもの、あんま食べないの?」

「ここでは甘味はご馳走で、年に一回食べられればいい方だ。何せ材料がそうそう手に入らないから。モカの好物は緑のカラフルベリーだが、あれは魔力付与効果があるから、子供たちの口に入ることはほとんどない。仕入れたら客に提供する」

 アイラは白湯の入ったマグを置き、モカの父を見上げる。

「モカちゃんのお父さんさ、本当の父親じゃないでしょ?」

 アイラの質問に、モカの父は別段驚いたふうではなかった。ただただ、頷く。

「ああ。もちろん、僕はモカの本当の父親じゃない」

「他の子達にもやたらお父さんって呼ばれてたけど、一人も実の子供いないでしょ?」

「そうだな、いない」

「なんでお父さんって呼ばれてるの?」

 アイラの単刀直入な質問に、モカの父は特に嫌そうなそぶりは見せず、「ここ、座っていいかな」と問いかけてきた。アイラが頷くと、モカの父は長い手を動かして椅子を掴み、無造作にそこに腰掛ける。ルインは何にも気がつかず、床に伏せって熟睡しているようだった。

「この都市は冒険者で構成されているだろう」

「みたいだね」

「冒険者というのはあまり長生きしないし、ひとところに留まっているような性格じゃない。バベルで出会って恋に落ち、子供を作りはするけれど、じゃあ実際問題生まれた子供の面倒をつきっきりで見られるのかと言われると、できない人の方が多い」

 モカの父はひょろっと長い足を組み、その上にやはり組んだ両手を置いた。

「探索途中に死んでしまう親もいれば、子供の育て方がわからない親もいる。もちろん自分で育てる親だっているがね。それにしたって一度探索に出てしまえば、何日も戻ってこないような人も多い。冒険者というのはそういう職業だからな。だから、僕たちのようにバベル内部で働いている人間が、肉親に代わって子供たちを育てているんだ。といっても、そんなにたいしたことはしていないんだが。赤子のうちは代わる代わる面倒を見て、少し大きくなったら仕事を手伝ってもらう。五歳になったら共に外に出て、冒険者としての資格を取らせる。それから先、やりたいことは子供たちが自分で決める。幸いバベルには各職業のエキスパートたちが揃っているから、何をするにしても師事するには困らない」

「なるほどね……」

 納得した。だから、こんなにも大勢の子供が働いているのか。

「僕はモカの父であり、他の子の父でもある。ややこしいから、ロッツと呼んでくれ。ロッツ・ロングフェロー、四級冒険者で、酒場の料理人だ」

 ロッツが右手を差し出してきたので、アイラも右手を出して握った。皮は硬く、節くれだっていて、爪は短く切られていた。

「アイラ。二級冒険者の料理人」

「名字はなんだい?」

「シーカー。バベルに来た時につけるように言われたんだけど、まだ慣れないや」

 手を離しながらアイラが肩をすくめると、ロッツが頷いた。

「シーカーを名字につける冒険者は多い。ここの子供たちも、ほとんどがシーカーだ。親がつけるんだが、縁起がいいからゲン担ぎにとね」

「なんかすごい冒険者の名前なんだっけ?」

「そう。未踏の地を恐れずに進み、数々の有益な発見をした人物。始まりの冒険者にして、全ての冒険者の憧れの人物だ。というか、君もそれを承知で名字にしたんじゃないか?」

「あたしは別の尊敬するシーカーからつけたの」

「そうか。なら、そのシーカーもきっと、始まりの冒険者にあやかったんだろうな」

「そうかな……」

 アイラにはそうは思えなかった。アイラの脳裏に、一括りにした濃茶の髪をなびかせて悠然と佇むシーカーの姿が浮かんだ。人とほとんど関わらず、辺境を選んで歩いて生きているような人だった。そんな人が、始まりの冒険者に憧れて自分の名前をつけるだろうか。それとも親がつけたから、特になんとも思わず受け入れてシーカーとして生きているのだろうか。もしかしたら辺境で生きているからこそ、縁起を担いでおきたいと思うのだろうか。よくわからない。

「シーカーの功績がなければ、バベルは存在しなかった」

「どういうこと?」

「バベルの礎を築いたのは、シーカーとフィルムディア大公様の祖先だったということだ」

「あ、そうなの?」

「そう。だからこそ尚更、親は生まれた子供たちにシーカーという名字を与えるんだろうね。子供が成功しますように、才能に恵まれますように、って。自分たちがいつまで生きて面倒見られるかわからないから、せめて名に願いを託しているんだろうと、僕はそう思ってる」

「冒険者って、随分刹那的な生き方する人たちなんだね」

「そうだな。まあ、いくつになっても夢を追いかけているような人種だ。たとえ子供が生まれても、その生き方を変えられる人は少ない。簡単に変えられる人なら、そもそも冒険者になんてなってないだろうから」

「それでも生まれた子供に愛がないわけじゃないっぽいね」

「もちろんみんな、愛はある。そして託された僕たちも、愛情を持って育てている。多少の不自由はあるかもしれないが」

 酒場の中は、もう客がほとんどいなかった。皿を洗い終えた子供たちが、エプロンを外してどこかへと去っていく。ロッツに手を振り、「おやすみなさーい」と言いながら走り去っていく。

「子供たちは40階に住んでいる。バベルの説明をギルドで受けたと思うけど、階層の説明図に40階だけが存在しないだろ? 40階はバベル内で働く人たちの住まいになっているからなんだ。そこにごちゃっとみんなで住んでる。さて、そろそろ店じまいだな」

 ロッツが立ち上がったので、アイラもルインを起こして酒場を後にした。すっかりいい気分で寝こけているルインを起こすのは並大抵ではなく、最終的にアイラはルインの顔を両手で握って氷魔法「アイスペイン」をお見舞いした。顔の半分ほどが凍ったところでようやくルインが目を覚まし、体内で発火させて氷を打ち砕いていた。「もう少し穏やかに起こせ!」「だって全然起きないんだもん!」と言い争うアイラたちに苦笑しているロッツに見送られ、アイラはいつの間にか酒場の子供たちが洗ってくれたパイ皿を手に自室に戻った。

 初めて入った自分の部屋は、昨日泊まった宿と大して変わらない作りをしていた。ただし、はじめに説明があったように、水回りが存在しない。風呂もトイレもキッチン同様全部41階に詰め込まれているという話だった。まあ、ぜんぜんそれでもかまわない。アイラは隅に設置されていた棚にお皿をしまった。

「ねー、ルインって何歳だっけ」

「七十六歳だ」

「意外におじいちゃん」

「失礼な。火狐族の中では、若い方だ」

「あたしさぁ、子供と接するのほとんど初めてだった」

 アイラは今日の出来事を振り返ってそう言う。

「ダストクレストはもっとちっちゃい街だったし、そもそも犯罪者ばっかりで子供なんていなかったじゃん?」

「む……言われてみれば確かにそうだな」

「でしょ? みんな、罪悪感があるのか、中で結婚したり子供産んだりとかはしなかったじゃん? だからあたしが最年少だった」

 アイラはベッドに腰掛けて、なおも言葉を続けた。

「モカちゃんも、お皿を売ってた子も、酒場の子たちも、みんな頑張って生きてるなーって。ちょっと感動した」

「アイラが小さかった時も、頑張って生きてたぞ」

「シーカーが色々教えてくれたし、頑張らなくちゃって。ルインもあたしを乗せて運んでくれたり、夜はお腹で寝るの許してくれたりしたし。やっぱそういう、優しさに触れて育つと人ってまっすぐ育つのかな」

 アイラはベッドに横たわり、壁や床と同じ黄土色の天井を見上げながら考えた。

「ここの子たちもさぁ、みんな明るくまっすぐたくましく生きてて、いい子たちだよね」

「そうだな」

「こんな過酷な環境なのにね」

「そうだな」

 基本的に人間は、世界樹の周囲以外では生きていけないと言われている。なのにこんな世界樹から遠く離れた最果ての地で、それでも明るく生きていけるのは、ひとえに都市に住む人々の心遣いのおかげだろう。

 今日一日で出会った人たちの顔がアイラの頭の中に浮かんでくる。殺風景な天井を見ながらベッドに横たわり、そうしていろんな人のことを考えていると、とろとろとした心地いい眠りが襲ってきた。

「……あたし、いい場所に来たなぁって……」

「そうだな」

 ルインの三回目の「そうだな」という返事が耳に届くか届かないかのうちに、アイラの水色の瞳が閉じ、やわらかな眠りへと落ちて行った。

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