第20話 バベルの内部④
それから手続きを済ませ、前金でひと月分の家賃を払えば、あっという間に住むところが手に入った。受け取った人差し指ほどの長さのブロンズ製の鍵に部屋番号が記されている。
「ところでギルドでは、金銭の預かりも行っていますが、預けて行きますか?」
「そんなに色々やってくれるの? 銀行じゃないのに?」
アイラが驚いて尋ねた。ダストクレストでは金を誰かに預けようものならたちまち盗まれてもう二度と返ってこなくなるため銀行という概念はなかったのだが、魔物の素材換金などで他都市に赴いた時、そうした機関があるというのは知っていた。ただ銀行は銀行で独立した機関だったため、冒険者ギルドで同様のことができるとは思ってもいなかった。
「っていうか、よくよく考えたら、宿泊や物件選びまでできるのって便利すぎじゃあ……? 冒険者ギルドって何でも屋さんなの?」
「一度に用件を済ませたいと考える冒険者の皆さんが多いので、ギルド内で大体の事務手続きが完結できるようにしてあるんです。もちろんこれはバベルだけの特殊事例で、普通の都市の冒険者ギルドは冒険者登録と依頼をこなすくらいしかできません」
「なるほどね……?」
「それもこれも全て、都市を治めるフィルムディア大公様の計らいです」
「大公様って、随分冒険者のことを知ってるんだね」
「ええ。何せ大公様ご自身も冒険者でしたから」
「??」
大公で冒険者、という二つの役柄がどうしてもイコールで結びつかずアイラは耳が肩にくっつきそうなほど首を傾げた。
国を統べるお偉い人が、冒険者もやっていたというのはどういうことだろう。
しかしこちらの疑問に構うことなく、ブレッドは預金の手続きをさっさと済ませると、話を続ける。
「冒険者カードで預金の引き出し等もできますので、くれぐれも無くさないようにしてください」
「わかった、色々とありがとう」
「いえ。ご武運をお祈りしています」
ブレッドに見送られ、アイラは当面必要になりそうな金貨十枚だけを持ってギルドを後にする。
「じゃあ、お待ちかねの朝食タイムにしようか!」
「うむ!」
アイラとルインは階段を上って酒場に行った。昨日同様、人がたくさんいる。午前中からジョッキでエールを傾ける人が多いなか、アイラに目を止めた給仕係が愛想よく話しかけて来た。どうみてもまだ七歳くらいの女の子だった。オレンジ色の髪の毛をおさげにして、赤いワンピースの上からエプロンを締めている。クリッとした瞳は緑色で、風魔法が使えるのかな、とアイラは思った。
「いらっしゃいませ! 空いてる席にどうぞ!」
言われた通りに手近な席に腰掛けると、女の子がいそいそと尋ねてくる。
「今はまだ、モーニングセットの時間なんだけど……一食につき銀貨十五枚ね」
「じゃあ、モーニングセットを七つ」
「はあい、かしこまりました!」
注文を受けた女の子は、アイラが支払った金貨を握りしめ、アイラにお釣りを返してから「お父さーん、モーニングセット七つ入ったよ!」と声を上げ、くるっと踵を返して客席からも見える厨房に走り去って行った。。どうやら酒場で働いている人の娘らしい。
待つこと十分ほど。女の子が器用にも七人前のモーニングセットを運んできた。
「お待たせしました、どうぞ!」
置かれた皿の上には、山盛りに料理が載っていた。厚切りのトーストの上にはたっぷりのバターがとろけている。アイラの小指の第二関節くらいまでの厚さに切られたベーコンと、鶏の卵よりひとまわり大きい茶色い殻に包まれたゆで卵もスタンドの上に立っている。全体的にボリューム満点の料理を前に、アイラの胃が空腹に疼いた。
「「いただきます!」」
アイラとルインは同時に言い、同時に朝食にありついた。トーストに齧り付く。サクッといい音がして、口の中にバターが染み込んだ素朴なトーストの味わいが広がる。厚切りトーストは食べ応えがあって、それだけでご馳走だ。人の作ったご飯がおいしい。ルインはゆで卵を殻ごとバリバリ食べていた。
「美味しいねえ!」
「うむ。昨日の肉も美味かったが、こうしてきちんと調理されているメニューも美味い」
「そういえば昨日はお肉しか食べてないもんね。あぁー、トーストが香ばしくって美味しい……! バターとの相性が抜群すぎる……久々に食べたよ、エネルギー源!」
「腹から全身に力が漲ってくるようだな」
「ほんとに!」
アイラとルインが感動しながら食事をしていると、先ほどの女の子が興味津々で近づいて来た。
「お姉さんたち見たことない顔だけど、バベルは初めて?」
「うん、そうだよ。昨日来たばっかり」
「冒険者? それとも商人さん?」
「一応冒険者登録はしたけど、本業は料理人」
アイラが卵の殻を剥いてから茹で卵にかじりつきながら言った。
「この卵、味が濃くって美味しいね。何の卵?」
「ペイングースだよ。35階で育てられてるの」
「へえ、初めて聞く名前の鳥」
「元々はギリワディ大森林にいた魔物なんだけど、弱いし繁殖させやすいから、お父さんが捕まえて帰ってきて増やしたんだ。卵を産むときにね、すっごい痛そうな声をあげるから痛み《ペイン》の名前をつけたんだってお父さんが言ってた」
「じゃあ、お父さんも料理人で冒険者なの?」
「そう! わたしも冒険者なのよ。ほら!」
女の子はエプロンについたポケットを探り、一枚のカードを見せた。アイラがもらったものとは違い、くすんだカーキ色のカードだった。そこには「七級冒険者 モカ・シーカー」と書かれている。
「あー、シーカー」
「うん、ここの子たちはほとんどシーカーって名字なんだ」
モカはポケットにカードをしまいながら言った。
「あのね、わたしはバベルで生まれて育ったんだけど、五歳になったら冒険者登録しなくちゃいけなくて、それでお父さんと一緒にクロスグリの実を取りに行ったの。でも、お父さんはただの見張りで、ちゃんと自分で見つけて取って来たんだよ。だから立派に冒険者なの」
「へえ、本当にこの都市に住む人はみんな冒険者なんだ」
「うん、そうなの」
モカが頷くとオレンジ色のおさげが揺れる。
アイラがあっという間にモーニングセットを食べ尽くし、指についたバターを舐めていると、空いた皿を持ったモカが太陽のような笑顔を向けて来た。
「今日もこれから、クロスグリの実を採りに行くんだ。じゃあね」
お皿を持って去っていくモカの後ろ姿を見送り、アイラは席を立った。ルインを伴い歩き出す。階段をどんどん降りるアイラにルインが問いかけた。
「今日はこれからどこへ行く?」
「16階にある、市場。鑑定魔導具が売ってるか、売ってたらいくらくらいなのかを確かめたくて」
「なるほど。確かに未知な魔物に出会ったとき、それが食べられるかどうか鑑定するのは重要だものな」
「そうそう。聖職者が仲間にいれば、毒にあたっても平気なんだけど……」
女神ユグドラシルへ祈りを捧げる聖職者は特殊な魔法が使える。光属性の魔法を操る彼らは、祈ることで神聖力を高め、怪我や病気を治す癒しの魔法が使えるのだ。だから聖職者が仲間にいれば、万一有毒物を食べてしまっても解毒してくれるのだが、聖職者は滅多に聖堂および治療所を離れないので難しいだろう。だからこそ、自衛できるように鑑定魔導具が必要だった。
「ここでの物価を考えると、今すぐ買うのは無理そうでも、目安の金額くらいは知りたいからね」
「確かにな」
のしのし歩くルインを連れて、アイラは16階まで降りた。
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