第18話 バベルの内部②

 ギルド内は最初に来た時同様、人がたくさんいた。室内は他の場所と違い、濃茶の木張りの床と白い漆喰の壁だった。高い天井からはランプが吊るされ、淡い光を投げかけている。カウンターに近づくと、すでに一階の解体処理現場から戻ってきていたらしいブレッドの姿が奥に見えたのでアイラは話しかけてみる。

「ブレッドさーん」

「あぁ、アイラさん。お待ちしていました」

 そう言ったブレッドがカウンターにやって来てくれた。愛想の良い朗らかな笑みを浮かべている。アイラがあまり見たことのない類の表情だ。シーカーはいつも自然体で穏やかな表情をしていたし、ダストクレストの住民はもっと打算的な顔をしていた。ギルド職員のブレッドは営業的でありつつも親しみのある笑顔だった。

「ジャイアントドラゴンを丸ごと一頭狩ってくるとは思いもしませんでした。下の解体現場は、今夜は夜通し作業だとはりきってましたよ。さっそく冒険者登録をしますか?」

「そうしたいんだけど、まだお金がなくって」

「なるほど、では明日にいたしましょうか。それでは、どのようなご用件で?」

「さっき他の冒険者に、収入の見込みがあるなら後払いで宿泊ができるって聞いたから」

 ブレッドは合点がいった様子だった。

「確かに、お越しになったばかりでしたね。では宿泊ついでにバベルについての説明をいたしましょうか?」

「お願いします」

 ブレッドは一度カウンター奥に引っ込むと、デスクから羊皮紙を数枚持って戻ってきた。

「バベルは百一階建ての建造物で、階層ごとに特色があります」

 そう言ってブレッドが説明してくれたバベルは、ざっと以下のような構造だった。

 1〜10階 

 魔物の解体・処理・素材選別のための場所。大型の魔物にも対応できるよう吹き抜け構造となっている。

 11〜15階

 解体した素材の二次〜最終加工場

 16〜20階

 素材や都市で暮らすための必要品が売られている市場

 21階

 冒険者ギルド

 22階

 酒場

 23階〜30階

 一時滞在者のための宿泊施設

 31〜39階

 棚田・作物栽培エリア

 41〜50階

 居住区域その1。低家賃

 51〜60階

 居住区域その2。中価格の家賃

 61〜70階

 居住区域その3。わりと高めの家賃

 71〜80階

 居住区域その4。最高価格の家賃

 81〜90階

 聖職者エリア。聖堂、傷病者治療所、病室

 91〜100階

 フィルムディア大公一族の住居

 101階

 女神ユグドラシルを祀る祭壇


「各階層に一階と市場、ギルド、それに治療所への直通の転移魔法陣があります。階層ごとの行き来は原則、その階層に住んでいる人の許可がないとできません。階段もありますが、非常時用です」

「結構きっちり決められてるんだぁ」

「揉め事が起こらない様にするための措置です。何せこれだけ巨大な都市なので。各階の家賃などについても聞きますか?」

「んー、それは明日素材の価格が決まってからでいいかな。ひとまず今日は、宿泊でお願いできる?」

「はい。素材の価格から天引きということで、処理させて頂きます」

 ブレッドがテキパキとしているおかげで実にスムーズに話が進んだ。

 空いている宿泊施設まではギルドから階段を上っていく。共同の場所は階段で行けるようだった。

 22階の酒場をちらりと見たが、広いホールに丸いテーブルと椅子が所狭しと並べられ、ジョッキ片手に豪快に飲み食いしている人々の姿があった。給仕係の持つトレーやテーブルの上に肉料理が載っており、今しがた散々肉を食べたばかりだと言うのにアイラの胃は肉を求めてうずいた。いやいや、ダメだ。手持ちの肉は食べきってしまったし、今のアイラに酒場で何か注文できるようなお金はない。完全に空っぽだ。

 しかしルインも、肉を食べる冒険者たちのことを満月のような瞳で見つめ、「ギュウウウ」と口からうめき声の様なものを発していた。アイラは思わずルインの目を覗き込んでなだめた。

「ルイン、気持ちはわかるけど我慢だよ」

「だが、しかし……奴らは肉を食べている!」

 それが問題だ! とでも言わん限りの悲痛な声だった。

「あたしたちも食べたじゃん。もう満腹でしょ? お腹はちきれそうでしょ?」

「はち切れても構わん。肉で胃袋が裂けるなら、それも本望!」

「その気持ち、すっごいわかるよ。あたしも今、こんなことなら、尻尾だけじゃなくて胴体の肉もまるごと貰えばよかったかなあってちょっと後悔してるし。でも! これ以上食べたら本当にお腹が破裂しちゃうよ! そしたらこれから先、美味しいものが食べられなくなっちゃうじゃん! そんなの嫌じゃない?」

「ぐぬぬぬぬぅ」

「ほら、目を背けて。とりあえず今日はもう肉のことを忘れて、ちゃんとした場所で寝ようよ」

 ルインはまだ低く唸り声を上げていたが、ひとまず納得してくれたらしく、最後にもう一度だけ酒場に集う人々に向かって羨ましそうな視線を投げかけた後、大人しく階段を上ってくれた。

 指定された31階にある一室の鍵を開けると、そこはごく一般的な宿と変わらない簡素な部屋だった。鉄格子がはまったアーチ状の窓のそばにベッド、その脇に棚がある。部屋の右手に木の扉があり、開けると洗面所、トイレ、シャワーと水回りが一通り揃っていた。当たり前だが、キッチンはない。

「ルイン、シャワーあるよシャワー!」

「オレはシャワーはあまり……」

 シャワーに喜ぶアイラとは対照的に、ルインはあまり乗り気でない。火狐という、体内に熱源を持った生き物であるルインは水浴びが好きではないのだ。

「砂漠で一度水浴びをしたから、オレはいい」

 ジリジリと後退してアイラと距離をとり、ルインは首を横に振る。

「しょうがないなぁ……じゃあ、あたしだけシャワーを堪能しようっと」

 かたくなに嫌がるルインをその場に残し、アイラは服を脱いで裸になってシャワーをひねった。あたたかいお湯が肌にあたり、すっかり日に焼けてしまった皮膚の上を優しく滑る。泡立てた石鹸で頭をシャカシャカ洗うと、髪と髪の隙間からジャリジャリした砂の感触がわかり、ものすごく体が汚れていたことを自覚させられた。

 ルインの言う通り、アイラたちは一度だけ砂漠でオアシスを発見して水浴びをした。しかし着の身着のままの旅の間だったので、当然石鹸なんてなかったし、いつ何時魔物が襲ってくるかわからないのでそんなに長々と水浴びしている余裕なんてなかった。こうして安全な場所で、石鹸を使って丹念に体と頭を洗えるというのは非常に贅沢なことだ。

 アイラは心ゆくまで全身を磨き、ついでに着ていた服も洗った。四十一日ぶりの洗濯である。その汚れ具合は、自身の体についた汚れ同様すさまじいものだった。石鹸の半分を使ってようやく綺麗になったところで、部屋に置いてあったタオルを持って浴室を出る。部屋ではルインがうずくまってくつろいでいた。どうやらもう寝ているらしい。

 濡れた服を部屋の端から端へと張り巡らせてあった縄に引っ掛けて干し、髪をタオルでガシガシと拭いて乾かす。体にはシーツを巻き付けておいた。風魔法が使えればもっと手軽に乾かせるのだが、アイラは生憎風属性の魔法は使えない。かつてシーカーと旅をしていた時、水浴びした後にシーカーがアイラの髪や服などを乾かしてくれたのだが、あれは便利そうだった。

 そういえばシーカーはどんな属性の魔法でも難なくつかっていたなぁと思い、一体彼は何者だったのだろうと首をひねる。

 髪は焦茶だったけど、目の色が見たことのない不思議な色をしていたので、もしかしたら全属性の魔法を使える特殊な才能を持っていたのかもしれない。

 床の上ですっかり眠ってしまっているルインにそっと近づき、胴体に巻き付いている用具一式を外した。ルインの胴体には、アイラが乗り降りできるように毛織物が装着してあり、さらに狩りに必要な道具がいくつかぶら下がっている。毛織物にひっかけてあった布袋五つをフックから外して、服と一緒に干す。

 この袋、ルペナ草という一本草を撚り合わせて編んで作られた袋なのだが、丈夫で伸縮性があり、おまけに耐水性まであるので大変重宝している代物だった。麻や綿で作られた袋は水気のあるものを入れるとすぐに漏れてしまうし、皮袋は嵩張るし重い。その点、ルペナ草で作った袋ならば植物繊維なので軽いし折り畳めば小さくなるし、水筒としても使えるし、抜群の利便性を誇っている。手入れ方法はたまに日の光に当てて干しておけばいいだけだし、まさに旅をする人にとって欠かせないアイテムと言えよう。ダストクレストから逃げ出す時、これを持っていて良かったぁとアイラは思う。これがなければバベルまでの道中で、毎日毎日食料を確保する必要があり、かなり面倒臭かったに違いない。ササにくるんだ食料をルペナ袋に入れておき、飲み水もルペナ袋に入れておけば良かったので、旅の途中に餓死せずに済んだ。

 ベッドに腰掛けて窓の外を見ると、鉄格子越しに見えるのは、大森林の鬱蒼とした木々だけだった。ここはバベルの塔の23階でかなりの高さだというのに、ギリワディ大森林の木はもっと上へと伸びているらしい。時折木が揺れ葉が落ちる以外に見えるものは何もない。

 アイラはベッドにぼふんと身を横たえた。

「あぁ〜、久々のベッドだぁ」

 ルインの毛に埋もれて眠るのもそれはそれで心地よかったが、常時結界魔法を張っていなければならなかったのでちょっとしんどかった。ここならば、入浴同様敵の襲撃に気を使わず、安心してぐっすりと眠れるというものだ。

 肉でお腹も膨れたし、シャワーで体もさっぱりした。

 久方ぶりに人間らしい文明生活の中に身を置いたアイラは、満足して目を瞑ると、あっというまに眠りの世界へと引き込まれたのだった。

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