第13話 VSジャイアントドラゴン②
救世主は女だった。
癖のある長い鮮やかな赤毛をポニーテールにして背中に垂らし、ベルトを巻いた茶色い革製のエンジニアブーツでしっかりと赤橙の毛並みを持つ神々しい大きな狐の腹を挟んでいる。ショートパンツの上に巻きつけた腰のベルトからは数本の武器をぶら下げて収納しており、ポケットのたくさんついたベストの上からもわかる胸が存在感を主張している。使い込まれて柔らかそうな革製のグローブは第二関節までしかなく、指先は剥き出しになっていた。
女は細すぎず太すぎず全体的に引き締まっており、ショートパンツから伸びた足はふくらはぎに程よい筋肉がついているのが見える。同時に健康的に日焼けしており、その様子だけ見ても歴戦の冒険者であることが伺える。
女は尻餅をついたノルディッシュとエマーベルにも、たった今命を救ったシェリーにも目もくれず、片方だけ見える澄んだ水底のように透明感のある水色の瞳はジャイアントドラゴンのみを見つめていた。
「これがジャイアントドラゴン! 大きくて食べ応えがありそう!!」
女冒険者の声は弾んでおり、非常に楽しそうだった。
「よぉーし、いくよ!! ルイン、ドラゴンの顎下まで連れて行ってくれる!?」
「承知した」
いうが早いが、女冒険者を乗せた狼に似た獣が返事をし、一直線にジャイアントドラゴンに駆け出した。あの巨体のジャイアントドラゴンを相手に一切の怯えや怯みを見せず、ただひたすらに走る姿は爽快ですらある。
はっと我に返ったノルディッシュは立ち上がった。
「ノルディッシュ、今の女性……!」
「あぁ、顎下と言っていた。おそらくドラゴンの弱点を狙って倒すつもりだ!」
「そんな無茶な!?」
エマーベルの意見は最もだ。
ドラゴンの弱点は顎の下の一枚だけ逆さに生えている鱗。「逆鱗に触れる」というのは、この弱点である鱗に触った人間がドラゴンの怒りを買ったことから生まれたことわざだ。鱗の下の喉の皮膚は他に比べて薄く、ここを貫通すればドラゴンを倒せる。
だが、薄いと言ってもそこらの魔物の皮膚などとは比較にならないほど頑丈で、剣で貫くのは容易ではない。加えてドラゴンの鱗にはほぼ魔法耐性があるので、魔法攻撃も通りづらい。
この超巨大なドラゴンの喉笛を、彼女が切り裂くことができるのかーーノルディッシュには不安がある。しかしもう、託すしかない。もしも彼女がジャイアントドラゴンを倒せたならば、串刺しになったクルトンを助けることだってできるかもしれない。
だから、だから。
「どこの誰だかわからないが、がんばってくれ!」
「頑張ってください!」
「がんばれぇ、応援してるからぁー!!」
冒険者パーティ
◇
「肉、肉、お肉っ」
アイラは弾む声を出しながら、ルインにしがみついていた。どどどどっと走るルインは、勢いを殺さずにジャイアントドラゴンの足の甲を踏み、ギリワディ大森林に生える木の幹と同じくらいの太さがある足を垂直に登っていった。
ルインの肉球は硬いドラゴンの鱗に吸い付いて、衝撃を柔らかく吸収しながらどんどん上へ上へと駆けてゆく。すねを通って膝小僧をジャンプして避け、膝を通って太ももを過ぎ去る。登ってくるルインを鬱陶しく思ったのか、ドラゴンは激しく体を左右に揺すった。しかしそんなことでルインを振り払うのは不可能である。次に大人の腕ほどもある棘がびっしりと生えた尻尾が飛んできたが、ルインは股下から尻方面にぐるりと駆け登りつつ尾の攻撃を避けた。尾の棘はドラゴンに当たって傷つけ、ドラゴンは怒りの咆哮を上げて地団駄を踏んだ。地響きにより地面が揺れる。ルインはそのまま螺旋を描くように登ると、ドラゴンの胸あたりまでやってきたところで、ようやくドラゴンの顔をアイラの視界がとらえた。
満月のように巨大な眼球。縦長に切り込みが入った双眸が、眼下を見据えている。半開きになった口からは怒りの声が絶えず発せられており、ビリビリと鼓膜を揺らした。アイラはジャイアントドラゴンの喉下を見る。緑色の鱗は一見、全て同じに見えるのだが、実は一枚だけ逆さに生えている。
人間同様飛び出した喉仏の上にある鱗。顎下に隠れてよく見えないその部分にドラゴンの弱点が存在している。しかしあまり派手にぶち抜いてはせっかくのお肉が台無しになってしまうので、なるべく被害を最小限に抑える必要がある。アイラは大体、火魔法で対応するか、炎のブレスを吐く火に耐性のあるドラゴンには氷魔法を使う。ドラゴンの鱗は強力な魔法耐性があるが、逆さに生えた一点だけは脆い。
今回の場合はどうするか、ルインの背にまたがったアイラは考えた。
ジャイアントドラゴンはおそらくブレスを吐かない。これほど巨大なドラゴンが火を吐けば森がひとたまりもなく燃えて大火災になってしまうからだ。そして水やかまいたち、雷など別種の魔法もしかけてこないことから、ジャイアントドラゴンに魔法攻撃能力は存在しない。体を大きくすることに全振りして進化してきたのだろう。
ならば答えは簡単だ。
「アイラ、間も無く喉下に到達する!」
「了解、ありがとうルイン」
アイラはルインの声に反応し、しっかりと顎を上げて頭上を見た。
喉仏がまるで岩のように隆起し、ドラゴンが雄叫びを発するたびにうごめいている。アイラは腰元に手を当て、鞘に収まった一振りの包丁をスラリと抜いた。
カーブした柄がアイラの手にフィットし、歯の根元にはしっかりと固定して持つための指穴が空いている。人差し指を指穴にひっかけ、残る四本の指で柄を持ったアイラは、右腕をピンと伸ばして意識を包丁に集中させる。
ひもじいは辛い。空腹は苦しい。
四十一日間もの間ろくな食事をとっていない。最後の砂漠越えなんて、淡白なデザートワームの蒸し焼きとサボテンステーキでやり過ごした。アイラの体は良質でハイカロリーなタンパク源を強く求めていた。
極上のドラゴン肉を食べたい。
その欲求に、人としての本能に突き動かされているアイラは今、持てる潜在能力を最大限引き出していた。
研ぎ澄まされた感覚は魔力となって体内を駆け巡り、右手に持つ包丁へと収束する。
他を圧する巨体にも、身をすくませる雄叫びにも、一切の恐怖を抱かない。
求めるのはただ一つーー目の前の魔物を倒し、食らうことのみである。
己の欲望に忠実なアイラは、本能に従いジャイアントドラゴンを屠るべく包丁を構えた。
過剰に魔力を注ぎ込まれた包丁が青白く光りを発する。
四つ足を曲げたルインがだんっ、とドラゴンを蹴ると、大きく跳躍して喉仏へと差し迫る。アイラの眼前に逆さまに生えた緑色の鱗が見えた。右腕を縮ませて体に張り付かせた後、魔力を乗せる。
アイラ専用の、肉切包丁と骨切りナイフの間のような武器ーーファントムクリーバー。
アイラの魔力を流し込み変幻自在に形を変えるクリーバーが、氷を纏って刀身を伸ばす。ルインの勢いは止まらない。ドラゴンの喉元に的確に突っ込んでゆく。このままでは木の幹ほどもある太い首にぶつかって、アイラともどもペシャンコになるだろう。ルインはアイラを信用しているからこそ勢いを殺さない。だからアイラはそれに応えるのみである。射程距離に入るや否や、右腕を渾身の力を込めて突き出した。アイラの背丈よりも伸びた凍りついた刃が、ドラゴンの首を的確に捉える感触が武器を通じて伝わってきた。
アイラの操るクリーバーはドラゴン種唯一の弱点である顎下の逆さに生えている鱗を捉え、貫く。凍った刀身はジャイアントドラゴンを内側から凍り付かせた。血飛沫すらも出さず、ジャイアントドラゴンは獰猛な声を上げていた口を半開きにしたまま、わずかに瞳孔を開いた。
「魔法解除」
短いアイラの呪文により、刀身を覆っていた氷の刃が霧散する。ルインは四つ足でジャイアントドラゴンの氷に覆われた喉元に着地してから、もう一度跳躍した。スタッと地面に降りたのとジャイアントドラゴンが倒れるのはほとんど同時だった。
絶命した巨体が地面に叩きつけられ、これまでの比ではないほど大地が揺れる。周囲の木々がわさわさと揺れ枝葉が落ち、まるで地震のようだった。
唐突な静けさ。
アイラはファントムクリーバーを腰のベルトにねじ込むと、満足してジャイアントドラゴンを見上げる。
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