第11話 ギリワディ大森林②

「それにしてもこの森、見たことない植物が多いねえ。見てよこのキノコ」


 アイラはしゃがみ込んで木の根元に生えているキノコをしげしげと見つめた。ロウソクみたいな形をしていて、カサの部分が赤く揺らめいている。


「食べられると思う?」

「どうだろうな。キノコは毒性のものも多い、口にするのはやめておいた方がいいぞ」

「だよねぇ。たぶん魔物も、知らない個体が多いんだろうね……そうなると食材になるかどうか判断がつかないなぁ」

「今まではシーカーが全て教えてくれていたからな」

「鑑定魔導具が欲しいなぁ……」


 鑑定魔導具というのは、世界樹のお膝元、神都ガルズにある叡智の図書館に収蔵されている書物の情報を呼び出せる魔導具だ。魔導具の精度によってどのくらいの情報が検索できるのか変わってくるが、最低価格は金貨五百枚からという高価な魔導具である。

 シーカーは超高精度の鑑定魔導具を持っていたし、そうでなくとも本人の持っている知識がすごくて滅多に使うことはなかった。


「お金稼いで、買おうっと。とにかくジャイアントドラゴンだよね。肉以外に部分を売っちゃえばいい金になりそうだし、ちょうど良いや」

「人間世界で新しいことを始めるには金がかかるな」

「そうなんだよね。バベル内の物価がわかんないけど、通行税が一人金貨二十枚も取られたから結構高そうだし」


 通行税は都市のランクを知るときに有効な手段だ、とシーカーは教えてくれた。頑強な城壁で囲まれた都市を通るときにはそれなりの金額を支払わなければならず、入ってみると内部は整然としており、治安も良いことが多い。反対に通行税が安い都市は衛生環境が整っておらず治安が悪い。ダストクレストがいい例である。

 バベルの通行税は金貨二十枚。これは通行税としては異例の高額だ。辺鄙な場所に存在しているので、物価が高く何をするにも金がかかると考えておいた方がいい。鑑定魔導具を買う前に、アイラたちにはそもそも必要なものがごまんとあった。アイラはこれからの生活に必要なものを指折り数える。


「かまど付きのキッチンでしょ? フライパンにお鍋、まな板、おたま、フライ返し、スプーン、フォーク、お皿、コップ、塩、砂糖も欲しいなぁ」

「うむ。寝床も必要だな」

「そうだね、部屋を借りないとね」


 そんな風に話していると、周囲の木立の合間から複数の殺気が感じられた。低い獣の唸り声、地面に爪が食い込み引っ掻く音、掘り返された土の匂い。アイラは水色の瞳を、ルインは毛並みと同じく赤い瞳をそれぞれ動かし確かめる。


「十匹かな?」

「ああ。囲まれている」

「んむぅ」


 ルインの言葉に呼応するかのように、木立の影からぬぅと魔物が姿を現した。黒と茶色のまだら模様の毛を持つ、ぎょろつく目を持つ猿型の魔物ーーワイドエイプだ。アイラは顔を顰めた。


「あっ、この魔物知ってる。石とか投げてくる、すばしっこくってしつこくて面倒臭いタイプのやつだ。しかも食べるところがないの」

「逃げるか。乗るがいい」


 アイラがまたがるや否や、ルインが跳躍して森を駆ける。木の根を飛び越え、藪を迂回し、時に木の幹を足場にして、縦横無尽に走った。アイラを乗せたまま、ほとんど重力さえも感じさせない身軽さで猛スピードで走るルインにワイドエイプは奇声を発して追い縋ったが、追いつくのは不可能だった。アイラとルインは一筋の赤い光のみを残像として残し、疾走していく。ワイドエイプが拾い上げた石が轟音を立てて風を切り裂き、砲弾のようにアイラとルインに迫ったが、アイラが張った結界魔法が全てを弾き飛ばした。水属性上級魔法、氷壁結界ーー魔力を込めてガチガチに凍らせた結界が、石など簡単に吹き飛ばす。


「長時間使ってると、寒いんだけどねぇ」


 膝から伝わるルインの体温と、前方を除いて半円球に展開している氷壁結界のヒンヤリした気温とで、アイラは暖か冷たい。

 周囲の光景が飛ぶように過ぎていく。ワイドエイプを置き去りに、アイラのポニーテールにしている癖のある赤毛をなびかせて、風が唸りを上げるほどの速度でルインが走り、そしてその物音は突然アイラの耳に届いた。

 森を踏みしめる足音が短い間隔で響き、同時に地面が揺れる。腹の底から響く雄叫び、数人の人間の悲鳴。


「捉えたぞ、ジャイアントドラゴンだ!」

「やったぁ!」


 アイラは喜びの声を上げた。

 アイラの心は高揚するーー肉、肉だ。ついに四十一日ぶりのお肉との対面だ。

 塩胡椒をまぶして、中はレアに、表面をジュワッとカリッと焼いてドラゴンステーキにするのだ。

 四十一日ぶりに食べる肉、それが世にも美味なドラゴンステーキになるなんて、この上ないご馳走だ。

 ひときわ大きな木の根を飛び越えるためにジャンプしたルインの上で、アイラはこ

れから食べるドラゴンステーキに思いを馳せつつ、欲望の赴くままに叫んだ。


「お肉だーーーーーっ!!!!」


 光苔と蛍草と燐光スズランのかすかな明かりのみが照らす薄暗い森の中、アイラの声は元気に響き渡った。

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