第3話 捨てた命と第二の人生③

 アイラとシーカー、それに火狐のルインは、ほとんど街に立ち寄らず各地を放浪して歩いた。

 旅を始めてすぐに気がついたのだが、シーカーの料理はほぼ魔物を食材としていた。魔物というのは野生動物よりもはるかに凶悪で、一般人にはとてもではないが倒せない。故に魔物を食材とするという発想自体アイラにはなかったのだが、シーカーにとってはそうではないらしい。

 ある日シーカーは平野に現れた半透明の魔物スライムを前にして、アイラに言う。


「いいかい、アイラ。魔物っていうのは強さがピンキリなんだけど、スライムは最弱だ」

「さいじゃく」

「そう。今のアイラなら余裕で倒せるからやってみてごらん。できれば火魔法じゃなくて水魔法がいい」

「わかった」


 アイラはシーカーの言う通り、スライムを前にして仁王立ちし、覚えたての水魔法を放ってみる。

 初級魔法のウォーターアローは指先から魔力の塊を水に変換して打ち出すというものだ。圧縮した水の塊が正確にスライムのプルプルボディを捉え、貫通する。「ピィッ」という断末魔を残してスライムはぼてぼてと弾み、動かなくなった。シーカーが革の手袋をはめた手でパチパチ拍手する。


「おめでとうアイラ。今君は初めて魔物を倒した」


 あまり実感は湧かなかった。シーカーと共に近づいて見てみれば、スライムは確かに死んでいるようだった。


「……でも、どうして水魔法なの? 火魔法でもよかったんじゃない?」

「それはね、火魔法で倒してしまうと貫通する時に傷口が焼け焦げて使い物にならなくなるからだ。見ていてごらん」


 シーカーはスライムの体を片手で持ち上げると、反対の手で魔法を放つ。水属性の上位魔法、氷魔法アイスブロック。カチカチになったスライムを、シーカーは魔法で生み出した石を使って砕いてしまった。


「一粒どうぞ。舐めるとひんやりして美味しいよ」


 親指の爪ほどに砕かれたスライムを恐る恐る受け取った。薄水色のそれは、陽の光に当たると透き通ってキラキラしていて、まるで宝石みたいに綺麗だった。ひんやりとつめたいスライムのかけらをそうっと口にする。


「!」


 途端、アイラの水色の目は輝いた。

 ほんのり甘味のあるスライムのかけらは、まるで氷菓子のようだった。


「どう?」

「おいしい……!」

「それはよかった。旅をしていると、僅かな甘味でもご馳走になるからね」


 にこりと微笑むシーカーにアイラもとっておきの笑みを返す。

 シーカーとの生活は楽しい。

 夜眠る時には結界を張ってくれるので森の中でも岩場でも魔物に襲われる心配はないし、雨も風も防いでくれる。それにルインにもたれかかると、もふもふで人より高めの体温が心地よくてすぐに眠りに落ちてしまう。

 アイラはシーカーとルインとともに放浪する生活を五年ほど続けた。

 五年の間にアイラの魔法の腕はめきめきと上がり、同時に魔物を解体・処理・調理する技術も上達し続けた。

 アイラの左目は、最初にシーカーが言ったようにほとんど視力を取り戻せなかった。ただ、魔法を覚えて身体を鍛えた結果、見えなくても補って余りある力を手に入れたので不自由はしていない。半端に見えても邪魔なので、前髪を伸ばして流し、左目を覆い隠すようにした。

 この世界は過酷だ。世界樹の周辺には人間の国家がいくつもあったが、世界樹から離れるほどに少なくなっていき魔物の生息地域となっていく。しかしシーカーは魔物も過酷な天候もものともしない。いつでもにこやかな笑顔でどんな状況でも飄々としている。

 アイラはシーカーから生き抜く術を教わった。

 そしてアイラが十四歳になった時、二人と一匹はとある街へと立ち寄った。


 ーー世界のゴミ溜めと呼ばれている、この世で最も治安の悪い都市ダストクレストである。


 そこは、非常に劣悪な環境の都市だった。

 路上に人がうずくまり、盗みも殺人も頻発し、ゴミと共に死体が放置されるような街。それがダストクレスト。

 シーカーは街に入るなりたちこめる異臭に顔を顰めた。


「これはまたひどい街に来てしまったな。用事を済ませたらさっさと出よう」


 ほとんど人里に立ち寄らないシーカーであったが、たまにこうして都市に寄る。成長期のアイラの衣服や靴を買うためだ。

 どれほど過酷な環境にいようとシーカーの服はなぜだか全く綻びたり破れたりしない。どうやら特殊な繊維をさらに特殊な方法で編んで作っているらしい。一方のアイラは服も靴もごく普通なものを使っているため、破れるし壊れるし、そもそも身長が伸び盛りなのでキツくなってしまう。

 なので旅の途中で近くに都市があればそこで買うようにしているのだ。

 ダストクレストにはろくな服が売っておらず、売ってる服もほとんどが盗品か死体から剥ぎ取ったものではなかろうかというものだった。元の持ち主の怨念とかがこもっていそうな服か、血糊がついた服などを見たアイラとシーカーは辟易としたが、そんな中でもマシそうな物を見繕って買う。店主がジロジロとアイラを見て、「お嬢ちゃんの服ぅ……いらねえなら、今ここで脱いでいかねえか? 高く買い取るぜぇ」と言うので、丁重にお断りをした。

 一刻も早く街を出ようとする二人の元に、住人たちが立ちはだかる。

 大人も子供も手に武器を持っており、目がギラついていた。

 リーダー格の男の「身ぐるみ全部置いていきなぁ!」という言葉と共に一斉に飛びかかってくる住人たちを一網打尽にしたのはシーカーでもルインでもなくーーアイラだった。

 シーカーは非常にのんびりとアイラに言った。


「一人で倒してみようか。ただし、いつも魔物にしているみたいに殺したらダメだよ」

「わかった」


 うおああああっと一気呵成で襲いくる住人の目は血走っている。しかし、いつも凶悪な魔物を相手にしているアイラからすればどうということもない。

 覚えた魔法で住人たちをコテンパンにしたアイラ。かかった時間はわずか五秒。シーカーもルインも指一本動かしていない。

 ぷすぷすと黒焦げになった住民の命は誰一人取っていなかった。

 一人の男が顔を上げる。


「お嬢ちゃん、つええな……」

「この過酷な世界を生き抜くために強くなったの」


 胸を張ってアイラが言う。


「そうか、そりゃすげえこった。後ろにいる人も、さぞや凄腕に違いない。無礼な真似をしてすまなかった。だが俺たちはこうでもしねえと生きていけねえのよ。ここは世界樹から遠く離れた女神様の加護が及ばない土地……生きるために手段は選んでられねぇ」

「それなら魔物を狩って生きればいいんじゃない?」


 首を傾げて疑問を呈するアイラに男は首をゆるゆると振る。


「そんなことをできるのは、限られた人間だけだ。俺たちにできるのはせいぜい街に来た人間を縛り上げて身包み剥ぐくらいのもんよ。お嬢ちゃんみたいに強い奴は弱者の気持ちなんかわからねえんだ」


 この物言いにアイラはカチンとした。


「いい歳した大人がそんな風に人生諦めて、恥ずかしくないの? あたしは魔物に村を焼かれたせいで住むところをなくして、旅の途中でお父さんもお母さんも死んじゃって、自分も死ぬ寸前だった。シーカーに助けてもらって死に物狂いで魔法を覚えて今まで生きてきた。あなたたちは少なくとも、住む街があるのに、どうしてそういう考え方しかできないの。同じ人間相手に暴力を振るうんじゃなくて、外にいる魔物をどうにかする方がよっぽどいいに決まってる」

「だが……」

「魔物を倒せば毛皮や牙や爪が素材になるからそれを売ればお金になるし、肉は食材にもなるんだから、やらない手はないでしょ」


 そうしてアイラは胸をドンと叩いた。


「あたしにだってできたんだから、あなたたちにできないわけない。ほら、手伝うからやってみようよ」


 男を筆頭に住人たちは顔を上げ、顔を見比べ、そうしてゆっくりと頷く。

 かくしてアイラ指導の下、住民たちは一致団結し、周辺の魔物を狩って血の一滴たりとも無駄にすることなく素材とし、周囲の都市に売ることで生計を得るようになった。はじめはシーカーとルインが素材の運搬を請け負ったが、金になると目をつけた運送業者が介入した。アイラはずっと魔物を狩るための指導をし、狩った魔物の料理を請け負った。

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