プロローグ③【リズが全てを失うまで】

 赤いローブの生地はしなやかで上品さが漂い、リズの体にしっとりと馴染んでいた。着心地の良い素晴らしいバランスで、リズの持つ美しさを存分に引き出してくれている。

 

 本来なら気分が上がるところだが、父の想いと母の病が胸の中で渦巻き、重くなる一方だった。

  

 夜のディオンヌにある高い丘は静寂と神秘的な雰囲気に包まれていて、村の灯りがかすかに見える。

 周囲は青い月光に包まれていて風がそよそよと吹き、木々の葉が音を立てる中、夜の生き物たちの鳴き声が響き渡る。


 夜空を見上げれば、満天の星が広がっており、それを映した川のなんと幻想的なことか。

 この高い丘の頂上に立っていると、心が穏やかになり、自然と一体感を感じることができるからリズは好きだった。

 ディオンヌで唯一好きな場所と言えるだろう。


「はぁ……」


 そんな好きな場所であるにも関わらずリズは溜息を漏らしていた。待ちに待った【貴族試験】を前にし、ダメなら家出しようとする運命の分岐点。

 だけど両親の事が頭から離れない。 

 どうすればいいんだろう。

 なんでこんなに苦しいんだろう。

 

「リズ! お待たせ!」


 待ち合わせていたラッドがようやく現れた。

 金髪で整った精悍な顔立ちのこの少年はラッド・アール・ディオンヌ。

 このディオンヌを治めている領主の息子だ。


「遅い! なにやってたのよ!」


 ラッドとは幼馴染で小さな時から一緒だった。

 だから気心の知れた相手であり親友でもある。

 

「ごめんごめん。ちょっと親父の話が長くてさ。ってそれよりなんだその格好? すげぇかわいいじゃん」


「ふふ〜ん。いいでしょ? お母さんが織ってくれた特性のローブよ」


「へぇ、リズのお母さんほんと織物の腕いいもんなぁ」


「これなら明日の【貴族試験】に受かって都会に行っても恥ずかしくないでしょ」


「あ……ああ。都会……そうだな」


 急にラッドの顔が暗くなった。

 どうしたんだろう?

 ラッドも明日【貴族試験】を受ける身。

 緊張しているのだろうか?


「どうしたの?」


「……実はリズ。俺……都会には行けないみたいなんだ」


「え!?」


「明日の【貴族試験】に受かっても、俺はここ地元で親父に教育を受けて、そのままここを領地として治めるらしい……」


「そんな……」


 ラッドも都会へ行くのを楽しみにしていたのに。

 こんなことって……


「親子が共に魔法を使えるならそうなってしまうらしい。もっと早く知りたかったよ……」


「ラッド……」


 リズは掛ける言葉が見つからなかった。

 ラッドとは共に都会へ行くことを夢見て来た者同士。

 なんとかしてやりたい。

 

「ね……ねぇラッド。アタシさ……もし【貴族試験】に受からなかったら、この村を出て行こうと思ってるの」

 

「知ってる」


「え!?」


『ラッドも一緒にどう?』と誘おうかと思ったのに、思わぬ返しをされた。


「な、なんで!? あんたに言ったっけ!?」


「いや、リズならなんかそんなことを考えてそうだなって思ってたんだ。ダンスの練習とかいつも必死にやってただろ?」


 ダンス……そうだ。

 村一番の踊り子である母から踊りを伝授してもらっていた。

 これはリズが考える秘策のためにも必要な能力だった。


 仮に【貴族試験】に受かっても都会の領地を任されるとは限らない。しかし今【セインクラッド王国】の次期国王フォルティス王子が妃を探している。


 それを狙って自慢の美貌とスタイルと、そして母の魅惑の踊りを披露してフォルティス王子にお気に召してもらえば妃になれるかもしれない。


 リズはそう考えて踊りを練習していた。

 しかしそれがラッドに家出を悟らせることになるとは。

 母だけでなくラッドにまでバレてるなんて。


「ダンスで都会の男を捕まえるつもりなんだろ?」


「……べ、別に普通の男を捕まえるつもりで練習してるんじゃないわよ。フォルティス王子の妃になるためよ」


「フォルティス王子!? また大きく出たなぁ……まぁでも、リズならイケそうな気はするな」


「当然よ。アタシは村一番の美女なんだから」


「はは……自信家だ」


「……ねぇラッド。明日の【貴族試験】に受からなかったら一緒に行こうよ。都会の夢を諦めるなんてそんなのあんまりだわ」


「ダメだよリズ。俺の親父は身体が弱いんだ。放っておけないよ」


 ズキッとラッドの言葉がリズの胸に刺さった。

 自分の夢より親を取るラッドの姿勢に、やたら苦しさを覚えてしまう。


「それにもう……俺は魔法が使えることが判明したんだ」


「え!?」


「これ。親父から拝借したんだ」


 ラッドが取り出したのは一本の杖。

 それはラッドの父親がいつも持っている【魔法使いの杖】だ。銀の装飾が施されたその杖は、長さが一メートルほどで柄は木製だ。

 本来は【貴族試験】に受かって都会で教育を受け終え合格した者だけが持っているはずの杖である。


「本当はやったらダメなんだけど、この杖で魔法を使ってみたら使えてしまったんだ」


「嘘……」


「見てろよ……星なる叡智(えいち)よ! 我に応え現界(げんかい)せん! いでよ!【ゴーレム】!」


 ラッドは詠唱し、杖を振りかざした。

 すると地面から魔法陣が浮かび上がり、中から土色の肌をしたラッドが現れた。


「凄い……」


 本当にラッドが魔法を使っている。

 魔法そのものはラッドの父親が使っているところを見たことがあるから、そんなに目新しさはない。


 特にこの【ゴーレム召喚】の魔法は魔法使いならみんなが使うありきたりな魔法だ。

 自分とそっくりなゴーレムを召喚して護衛してもらったり、仕事を手伝ってもらったりできる便利な魔法なのは知っている。


「凄いじゃないラッド! 本当に魔法を使ってるわ! これなら明日の【貴族試験】は!」


「……ああ。俺はもう明日の【貴族試験】は合格確定だ。……つまりここで教育を受けて、ここが俺の……生涯の領地になる」


「あ……」


 そうだった……ラッドにとって合格は、拘束を意味するんだった。それも一生の拘束だ。

 まさか【貴族試験】に合格確定なのに、こんなに悲しい気持ちになるとは思わなかった。

 凄く悲しい。ラッドの事なのに、なんでこんなに悲しいのだろう。涙が出そうだ。

 

「ま、そういう訳だから……リズは俺なんか気にせず都会に行ってこいよ」


「ラッド……」


「それからお前の両親のこともちゃんと俺が見ておくから心配するな」


「え?」


「この前リズのご両親にお見合いの話を持ってこられてさ。その時にお前のお父さん足が辛そうだったのを見たんだ。お母さんの方も咳をやたらしていてな。あれはきっと肺の病気だろう」


「ああ、うん……そうなの。アタシ……それが心配で……」


「大丈夫だよ。俺がちゃんと見ておくから。お前は自分の夢を叶えろよ」


「な……なんでそんな良くしてくれるのよ。いくら幼馴染でもさ……」


「好きな人の夢は応援したいだろ?」


「…………え?」


 ラッドの言葉の意味を理解するのに数秒を要して、リズは一気に紅潮する。

 対するラッドも自分が何を言ったのか今更気づいたらしく顔を真っ赤にした。


「あ! ちがっ! 違う! そうじゃなくて! ほら! 俺たち付き合いの長い親友だろ!? 親友の夢は応援するのが普通だろ!」


「そ、そうよね! 親友なら普通よね!」


 ……知らなかった。

 ラッドが自分をそういう風に見ていたなんて。


「そ、そうだ。なぁリズ。お前も試してみるか?」


「え?」


 場を取り繕うようにラッドが杖を渡してきた。

 初めて持った杖は清らかな質感だった。

 しかも凄く軽い。

 これが【魔法使いの杖】なんだ。


「……いいの?」


「いいよ。今日か明日の違いだしな。ゴーレムでも召喚してみるか?」


「他のはないの?」


「親父に【エクスプロード】なら教わってるぜ」


「じゃあそれ使ってみたい」


「なら詠唱を教えるからちゃんと覚えろよ」


 リズはラッドに【エクスプロード】の詠唱を教えてもらった。

 ラッドの杖を握り、リズは深呼吸した。

 いよいよ魔法が使えるかどうかが判明する。


 本来は【貴族試験】を合格していないと杖の所持は許されていない。

 今かなりいけないことをしている。

 その背徳感がリズの心臓をさらに脈動させた。

 

 ここが運命の分岐点だ。

 リズは意を決して詠唱を開始する。


「燃え盛る炎よ! 燦然(さんぜん)と輝け!

爆ぜよ破壊の力!【エクスプロード】!」


 杖が紅く輝き、その膨大な光はリズの視界を覆った。

 凄まじい衝撃が全身を襲い、リズの意識は飛んだ。

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