プロローグ②【リズが全てを失うまで】

 リズが家出を企んでいることは誰にも話していない。

 それはもちろん母とて例外ではない。

 言ったら絶対に止められる。だから両親にも、村のみんなにも秘密にしてある。


「お父さんったら勝手にお見合いの話を持ってきて困ってるんだけど。明日は【貴族試験】だってのに」


 リズは織物部屋で母に愚痴った。

 母は赤いローブの仕上げをしながら苦笑して返す。


「ふふ、仕方ないわよ。大切な一人娘ですもの」


 織物部屋は基本的にこうして母が使っている。

 夕暮れ時でも柔らかな光が差し込む広々とした空間で、壁には棚や収納スペースが整然と並んでおり、美しく織り上げられた布地や糸が鮮やかな色彩で並んでいた。


 その中で織機が一台優雅に配置されており、緻密な織り模様が美しい絨毯や織物を生み出している。

 リズも多少は扱えるが、母の長年積み上げた確かな指先技術には到底及ばない。


「どうせ落ちると思ってるよアレ。受かったら受かったでうるさそうだわ」


「違うのよリズ。お父さんがうるさいのはね、リズが心配でしょうがないからなのよ」


「都会が危ないからってやつ?」


「ううん『リズに何かあった時すぐに駆け付けてやれないから』だってお父さんが言ってたわ」


 思わぬ返しをくらってしまったリズは砂を噛むような顔になった。


「だから近くに居てほしいだけなのよ。お父さんは」


「……」


 いちいち親というものを見せつけられる。

 勘弁してほしい。

 ぼんやりとした優しさが、今は酷く鬱陶しく感じる。


「よし! できた!」


 椅子から立ち上がった母は満足げな笑顔でその赤いローブを手に取り広げた。

 その赤いローブは火のような輝きを放っており、緻密な織り目が気品と優雅さを醸し出しています。


「なにそれ? 誰の?」


「あなたのローブよ。これなら都会に行っても恥ずかしくないでしょう?」


「え?」


 予想外の言葉にリズは間の抜けた声を出してしまった。


「明日の【貴族試験】に受かったら都会に行くんでしょう? だったらこれくらいのオシャレはしないとね」


「ぁ、ありがとう。でもまだ受かるかどうか分かんないし……」


「落ちても行くんでしょう? 都会に」


「え!?」


 これこそ本当に予想外の言葉だった。

 まるで頭の中を見られたかのような感覚に陥り、なぜかドバッと冷や汗が出た。


「な…………なに言ってんの?」


「もう少しちゃんと隠した方がいいわよ? 如何にも旅に出ますって荷物が部屋にまとめてあったからね」 


「ぁ、あれは! その……ラ、ラッドと約束があって……」


 なんとか嘘を捻り出そうとしても、脳がパニックになってて何も思いつかなかった。

 というか勝手に人の部屋に入らないでって言ってるのに!


「いいのよリズ」


「へ?」


「落ちても行ってみたらいいわ」


「え……」


「あなたは度胸があるもの。私と違ってね」


 ニコリと笑う母の顔には、いつもと違う影があった。

 一瞬誰と喋っているのか分からなくなるほど。


「お母さんもね……リズと一緒だったの。都会に憧れてた。でも行けなかった。故郷を飛び出す勇気を持てなかったわ。【貴族試験】に賭けたけど、私には魔力がなかったから、結局ずっとここで生きてきた」


「お母さん……」


「今でもたまに後悔するの。あの時動いていれば、もっと別の人生……別の展開があったのかもしれないって」


 知らなかった。

 母が後悔していたなんて。

 この村で踊り子とかやって楽しそうだったのに。

 スタイルも良くて美人だから評判もいいし、不自由してないと思ってた。


「ま、それを察してくれたお父さんが【セインクラッド王国】に一回だけ連れてってくれたんだけどね」


 母は満更でもなさそうに笑った。

 その一回の【セインクラッド王国】でリズに火がついたのは黙っておこう。

  

「今はもう大人になったから、人生に折り合いをつけたつもりだったけど……結局、心のどこかでずっとズルズルズルズル引きずるのよね。だからリズには私みたいになってほしくないの」


 どこか含みのある笑みを見せつつ母はリズに赤いローブを差し出してきた。

 つまり後悔してほしくない、ということか。

 得心したリズは家出する後ろめたさが少しだけ軽くなった。

 まさかここに来て母が味方になってくれるとは思わなかった。絶対に家出なんて止められると思っていたから。


「……ありがとう。お母さん」


 赤いローブを受け取ったリズは素直に礼を言った。

 母は「うん」と嬉しそうに頷いた。

 その笑顔に妙な温かさを感じていると、母はいきなり咳き込み出した。


 ゴホッゴホッと苦しそうに何度も咳をする。

 リズは慌てて母の背中を擦った。


「お母さん大丈夫!?」


「だ、大丈夫! ゴホッゴホッ! ゴホッ!」


 最近になって咳をするようになっていたのは知っていた。

 しかし日に日に酷くなっている。

  

「お母さん。はい。お水」


 すぐに台所から水を持ってきたリズに、母はそれを受け取って飲んだ。

 そしたら落ち着いたらしく、母はリズを申し訳無さそうに見てきた。


「ごめんなさいね。最近ちょっと喉の調子が悪くて。でも心配いらないわよ。何日かすれば治るわこれくらい」


「……お母さん」


「そんな顔しないでリズ。大丈夫よ。あなたはあなたの道を生きなさい。ほら、今夜ラッドくんと会う約束なんでしょう? せっかくだからそのローブを着て見せてあげなさい。きっと喜ぶわよ? なんたって村一番の美女なんだからあなたは」


「う、うん……」


 母の身体の状態がよろしくないのに、それを気にするなというのは無理がある。

 けれどリズにできることは何も無いのが事実で……


「……リズ」


「?」


 織物部屋を出て行こうとしたリズを呼び止める母。

 リズは振り返って母の顔を見た。


「もし都会の生活が馴染めなくて辛くなったら、いつでも帰って来なさい。あなたの実家はここなんだから」


 誰よりも優しい声音で母はそう言ってくれた。

 それはこれから未知の世界へ飛び出そうとしているリズの不安を緩和してくれた。


「……うん。ありがとうお母さん」  


 扉を閉めて織物部屋をあとにする。

 そのあとすぐ母の咳き込む声が聞こえてしまった。

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