エイプリルフールの妄想

「おはよ、篠原しのはら


「ああ、おはよう。……って、ん?」


 とある春の日の朝。

 リビングに降りると、豪奢ごうしゃな赤髪を揺らすお嬢様がいた。


(いや、いやいやいや……)


 お嬢様がいた、じゃない。

 彼女――彩園寺更紗さいおんじさらさとは確かに近しい関係だが、とはいえ何食わぬ顔で家にいるのは意味が分からない。


「何でここに……?」


「……? 変なこと言うわね、篠原」

同棲どうせいしてるんだから当たり前じゃない」

「あんたとあたし、ちょっと前に付き合うことになったから」


「えっ」


 突然の爆弾発言に思考がフリーズする。


〝付き合うことになったから〟――思い返してみれば俺と彩園寺の共犯関係はいわゆる勘違いから始まったものだが、これについては間違えようがないだろう。そして彩園寺が嘘を吐いている様子もない。


 問題は、全く記憶にないことだ。


(俺と彩園寺が、付き合ってる……? 何の話だ、それ?)


「……どうしたの、篠原?」


 思わず困惑する俺に対し、紅玉ルビーの瞳が怪訝な色を灯す。


「体調でも悪いのかしら?」


「いや、そういうわけじゃないんだけど……」


 いつもより気遣いの感じられる問いに視線を泳がせる俺。


 と――動かした視線の先に、もう一人の少女が映った。モノトーンのメイド服を纏った銀髪の少女。こちらは、家にいても違和感なんて欠片もない。

 

 姫路白雪ひめじしらゆき――。


 涼しげな顔をした専属メイドがさらりと白銀の髪を揺らす。


「おはようございます、ご主人様――ではなく、緋呂斗ひろとさま」


「あ、ああ。……ん?」

「どうしたんだ、その呼び方?」


「呼び方ですか?」

「ええと……恋人になったのだから〝ご主人様〟はやめよう、と」

「確か、緋呂斗さまの方からご提案いただいたはずですが」


「……待ってくれ」


 特大の謎がもう一つ増えてしまった。


「恋人って……誰と誰のことだ?」


「?」

「もちろん、わたしと緋呂斗さまのことです」


「お、おお……」

「いや、でも……おかしくないか?」

「ついさっき、俺と彩園寺が付き合ってるって話を聞いたばっかりなんだけど」


 傍らの彩園寺に視線を向けつつ精一杯の疑問を露わにする。


「――お忘れですか、緋呂斗さま?」


 そんな俺に対し、姫路は白手袋に包まれた右手の人差し指を顔の近くでピンと立ててみせた。続けて澄み切った声が紡がれる。


「8ツ星――学園島アカデミーにおける伝説の等級ランクに到達した追加報酬として、部分的にこの国の法律が改変されたのです」

「緋呂斗さまに関してのみ、上限なく〝重婚〟を認めると……」

「そのため現在、緋呂斗さまには15名を超える恋人がいらっしゃいます」


「え」

「な……お、おかしいだろ、それ!?」


「いえ、緋呂斗さまの功績を考えれば当然の配慮かと」

「ですので、何も――何も間違いはありません」

「わたしもリナも、ご主人様の〝彼女〟です」


 とん、っと一歩だけ俺に近付いて、はにかむような笑みを浮かべる姫路。

 碧の瞳に宿る親しげな色は、普段と違う感情を乗せている――のかもしれなくて。


「っ……」


「……何だ、そんなことも覚えてなかったの?」


 姫路と俺のやり取りを聞きつけて、彩園寺も口を挟んでくる。呆れたような紅玉ルビーの瞳。豪奢な赤の髪がさらりと揺れる。


「全く、これだから篠原は……」

「ちょっとは甲斐性ってものを身に着けてほしいところね」


「いえ、謙虚なところも緋呂斗さまの美徳ですが」


「もう。甘やかしてばっかりじゃダメじゃない、ユキ」


 穏やかに微笑む姫路と、テーブルに身を乗り出してむすっと頬杖を突く彩園寺。


(二人とも、俺の彼女……?)


 じわじわと鼓動が早くなっていくのを感じる。

 だって。

 だって、そんなのーー……



 ジリリリリリリリリィィィィィ……



「……はっ!」


 瞬間、目覚まし時計の音で叩き起こされた。


 四月一日の朝。少し前まで展開されていた嘘みたいな妄想を思い返して、頭を抱えて。


「ったく……どんな夢だよ」


 ーー悶えるように顔を赤くする俺だった。

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