偽お嬢様の悩みごと

「うぅん……」


 学園島アカデミー三番区と四番区の間に位置する隠れ家的な喫茶店きっさてん

 少し前までは密会のため、とある〝嘘〟が明らかになった今は単純に気に入っているため常連客になっている店で、桜花おうかの《女帝》が深い溜め息をいていた。


 豪奢ごうしゃな赤の髪、意思の強い紅玉ルビーの瞳。


 見惚みとれるくらい整った顔――だが、その唇は困ったように尖らされている。


「……どうした、彩園寺さいおんじ?」

「やけに構ってほしそうだけど……」


「そんなんじゃないわよ、バカ篠原しのはら


 テーブル越しにムッとしたようなジト目が飛んでくる。

 そうして彼女は、嘆息交じりに切り出した。


「この前、れいのイベント……期末総力戦で、色々あったでしょ?」

「主に、あたしと篠原の嘘について」


「ん……まあな」


 それはもう、色々とあった。


 色々ありすぎてとても詳細は語れないのだが、要するに〝嘘を続ける必要がなくなった〟――というのが最も端的な説明だ。

 俺は7ツ星をかたる必要がなくなったし、彩園寺はお嬢様を装う理由がなくなった。


「それは、良いことなんじゃないのか?」


「もちろん、それはそうよ。篠原には感謝してるわ」

「いっぱい……とっても、すっごく」


「……そ、そうかよ」


「「…………」」


 黙り込む俺の目の前で、ぷくっと膨らんだ頬が微かな赤に染まる。


「って……な、何で黙るのよ篠原!」

「なんかこう、変な空気になるじゃないっ!」


「い、いや、お前だって黙ってるじゃねえか……」

「それで?」

「だったら何が問題なんだよ」


「む……」

「……迷ってる、の」


 ポツリ、とこぼれた戸惑いの言葉。


「あんたのおかげで、あたしは更紗さらさの替え玉である必要がなくなった……」

「新年度の学籍をどうするかはまだ検討中だけど」

「少なくとも、あたしが〝本物の更紗じゃない〟ことは周知の事実ってわけ」


「そうなるな」


「ん」

「だから……その、何ていうか」

「……あたし、これからどういうテンションで学校に行けばいいのかしら?」


「あ、あー……なるほど」


 要するに、こういうことだ。

 桜花学園に入学してからひたすらお嬢様として振る舞ってきた彩園寺。その〝替え玉〟は大まかな事情と共に誰しもが知るところとなった。嘘を続ける必要がなくなったんだから、今後は〝自分自身〟を封じ込む理由なんて一つもない。


「それ自体はホントに、ホントにありがたいのよ?」


 対面の彩園寺は、何やら悩ましげに片手で頬杖ほおづえを突いている。


「でも、今までは〝お嬢様〟だったわけ」

「ごきげんよう、とか言って、いつも敬語で良い子にして」

「一人称だってちゃんと変えてるんだから」


「まあ、ちょくちょく見た記憶はあるな」


「ん。少なくとも、桜花ウチではそれが定着してるのよ」

「だから、急にお嬢様じゃなくていいって言われても難しいっていうか……」


「……へえ?」


 ちょっと意外な感じだ。


「よく愚痴会なんかもしてたから、お嬢様モードってのは大変なんだと思ってた」


「大変に決まってるじゃない」

「もちろん、一刻も早くやめたいわ」


「……?」

「えっと、じゃあやめればいいんじゃないか?」

「慣れないうちは間違えたりもするだろうけど、みんな察してくれるって」


「ぅ……」

「…………だけ、だから」


「え?」


「~~~~! もう、何度も言わせないでよバカ篠原!」

「あたしが朱羽莉奈あかばねりなでいるのは、あんたの前だけだから!」

「だから……」

「……あたしにとって、ちゃんと〝特別〟なの」


「「…………」」


 二度目の沈黙――。

 この偽お嬢様は、時折こういうことを言ってくるから性質たちが悪い。


 だけど、何も返さないわけにはいかないから。


「……えっと」

「やっぱり、振る舞い方はお前が過ごしやすいほうでいいと思う」

「でも、別にこれまでの関係が消えてなくなるわけじゃないからな」

「学区が隣で、高ランカー同士のライバルで、愚痴会仲間で、元共犯者で……」

「こんなの、充分すぎるくらい特別だって」


「……じゃあ」

「あんたも、ユキみたいにあたしを〝莉奈〟って呼んでくれる?」


「…………」

「えっ」


「どうなのよ」

「特別ならそれくらいしてくれてもいいじゃない」


 ふふん、と一転して悪戯いたずらっぽい表情を浮かべる彩園寺。

 どうやら無理だと思って高をくくっているらしい。


 だから――というわけじゃないのだが、


「……別に、いいけど」

「じゃあ――莉奈」


「ひぅ!?」


 言った瞬間、すぐ近くから変な声が……もとい悲鳴が聞こえた。

 見れば、正面に座る《女帝》の顔がみるみる真っ赤に染まっていて。


「う、ぁ……」

「……や、やっぱり、ナシで」


「っ……」


 ――他の客が一人もいなくて良かった、と。

 改めてそんなことを考える俺だった。

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