唐突に始まるバード・ファイト

 2


 結論から言えば、大学の講義には出られなかった。いや、出席自体は試みたのだ。だが授業中、時折将幸の股間が啼くのである。これは詩的でも婉曲表現でもない。冗談抜きに『クエーッ』と甲高い声を出す。たぶん、コンドルも暇だったのだろう。


 どこからともなく聞こえてくる鳥の鳴き声を教授が訝しみ、やがて大教室がざわめき出したので、私たちは慌てて講義を抜け出してきたというわけだった。というかなぜ私まで。


「ホント無理。マジ無理。授業どうすんのこれ……」


 学生喫茶のテーブルに突っ伏した将幸が言った。意気消沈した様子の彼だが、下はモロ出しである。まごうことなき変質者だった。逸物をしまった状態ではズボンを履けなかったのだ。苦肉の策として全開にした社会の窓からキメ顔のコンドルが顔を出している。


 仕方のないこととはいえ、堂々と大学のキャンパスを股間モロ出しで歩くものだから、


「なにそれ、新しい遊び?」


 と、大学の友人たちは将幸の股間バードを見て面白半分に寄ってくる。彼はそのたびに、ドンキで買っただの、宇宙人に誘拐されて実験台にされただの「こいつはコンドルのジョー!」だとか雑な言い訳をするはめになった。友人たちの反応は、体を張った冗句だと受け取ってゲラゲラ笑うか、わりとガチめにドン引きをするかの二種類だった。哀れな男である。


「んー、病院に行くとか?」


 私が言うと、


「それだ!」


 と、将幸は勢いよく立ち上がった。が、何かに気づいてへなへなと再び椅子に座り直す。


「なあ、これって何科に行くべき? 泌尿器科? それとも整形外科……?」

「さあ? とりあえず総合病院行っとけば間違いないんじゃない?」

「そ、そうか。よし目指せ病院」


 だが、出鼻をくじかれることになる。


「――その必要はないよ」


 よく通った声が聞こえた。


「ほう、きみはコンドルか」

「……!」


 カツカツと革靴の小気味良い足音を響かせながら、近づいてくる男には私にも見覚えがあった。今年の学祭ミスター・コンテストで優勝した先輩である。キャンパスの有名人だ。〈ワンナイト・マシーン〉の異名を欲しいままにしているだけあって、流石に顔が良い。たしか名前は、


「石川先輩……! まさか先輩も⁉︎」


 能力者は惹かれ合う。なぜだかそんな陳腐なワンフレーズが思い浮かんだ。まさか。やめてくれ。いやまさかそんなアホみたいな展開には……。


「フッ」と、笑った青年は、いや石川先輩は自らのボトムスに手を掛けると、いそいそとファスナーを引き下ろし――


「……粗チンってよく言われません?」

「失礼な!」


 思わず口にしてしまった私は悪くないと思うのだ。

 なぜなら石川先輩の〝社会の窓〟から顔を出したのは、雀だった。チュンチュンと可愛らしく鳴いている。


「フフフ、お前はなにも悪くないよ。心無い人間はどこにでもいるものだからね。言わせておけばいいのさ。カイゼル・シュタイナー」

「やだあの人……自分の股間に語りかけてる……」


 私がつい洩らすと、将幸は咎めるようにテーブルの下で私の脛を蹴った。


「馬鹿! デキる男はいつだって自身との対話を忘れないんだ。かっけぇだろうが」

「時と場合によると思う。あと内容にも。というか名前負けしてない……?」


 私の素朴な呟きは無視された。


「能力者が出会ったとき、やることはひとつだ。わかるね?」


 石川先輩は髪をかき上げて言った。不敵な笑みを浮かべて――股間丸出しとは思えないほどの恐るべき余裕だった。シモに目を向ければ雀がチュンチュン元気よく鳴いている。


「ええ。望むところですよ」


 将幸が立ち上がり、ふてぶてしく言い放った。そして石川先輩へと向き直る。

 能力者。

 ち〇こが鳥になる能力がいったいなんの役に立つというんだろう。せいぜい一発芸が関の山だ。それもあまり上品とは言えない。酒が入ってないと笑えない類いのやつだ。


「は、始まるぞ……バード・ファイトだ」


 二人の醸し出す決闘じみた様相を目にしたのだろう誰かが言った。その呟きは決して大きな声ではなかったが、瞬く間に学生喫茶内に伝播していった。


「バード・ファイト?」

「おい、バード・ファイトだってよ! しかもその片割れはミスターコン優勝した奴だ! 〈ワンナイト・マシーン〉……一夜限りの男ッ!」

「あの二度目はないと噂の……おもしれぇ、こりゃあ見るしかねえな」

「は? え、何? そういう流れ? まさかのバトル展開?」


 喫茶内の通路で向かい合う二人。荒野で対峙するガンマンのように隙のない、張り詰めた空気が漂っていた。西部劇の決闘さながらの緊張感だった。


「な、なんて迫力だ……」


 誰かがぽつりと言った。


「だが、さっきから睨み合うばかりでいっこうに鳥の力を使う気配がないぞ。どういうことだ……?」

「え、その股間の鳥は飾りなのか?」

「まさか。温存しているのさ」


 近くにいた男が言った。神経質そうな銀縁眼鏡を押し上げて訳知り顔で続ける。


「彼らの鳥――つまり異能はいわば切り札だ。消耗もなしに使える力じゃないんだよ」

「ふむ……?」


 もしかして彼も局部に鳥を秘めているのだろうか。それならば得意げな解説者ムーブにも納得がいく。けれども細身のスキニーを履いているのを見るに、そういうわけではなさそうだが、これはいかに。


「いきなり人の股間凝視してくる女こわい……」

「あ、すいません」


 なるほど。自称プロフェッショナルが現れるのはSNSや動画サイトのコメント欄だけではないということだろう。なにも股間バード界隈にまで現れなくてもいいのに。というか股間バード界隈ってなんだ……? ああもう、我ながらくだらない思考にげんなりした。


 やがて、観客の一人が親指でコインを弾いた。ピン、という小気味の良い音。高く舞い上がったコインは、くるくると回転しながら弧を描き、睨み合うふたりの中間地点に落ちていく。誰もがその軌跡に釘付けとなった。


 そして、その〝時〟が訪れる。

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