たとえ股間が鳥になっても僕らは――怒りのバード・アタック

安永鳩代

股間が鳥になった男

 これは股間が鳥と化した男たちの物語


 1


『大変なんだ、おれの股間がコンドルになっちまった!』


 大学の友人から錯乱したような様子で私に電話がかかってきたのは、水曜日の早朝のことだった。


「もしかして寝ぼけてる? 悪戯ならもう切るよ」

『ま、待ってくれ』


 友人は切羽詰まったような声で電話越しに言う。


『お前しか頼れる奴がいないんだ』

「ごめん、もう一回言ってくれる?」

『お前しか頼れる奴が――』

「そこじゃねーよ。てめぇの股間の話だよ」


 友人は深く息を吸い込んでから言う。


『だから、股間が! コンドルに! なった!』


 あほらしい。

 私は電話を切った。眠かったのだ。馬鹿に付き合うほど暇ではない。

 部屋の時計を見やると、まだ午前六時過ぎ。さて二度寝でもするかと布団をかぶり直そうとしたとき、再びスマホに着信。友人からだった。


『や、嘘じゃないんだってお願い信じてください』


 また切られると思ったのか、早口気味にまくし立ててくる。


『見ればわかるから! 頼む、ちょっといったん来てくれ!』

「あー、でもほら、まだ電車動いてないし」

『やってるわ始発舐めんな。てかお前、そもそも同じマンションだろ』


 残念なことに私と奴は住んでる階まで一緒なのである。学生の住民は多い。きっと大学近くの部屋を選ぼうとするとこうなるのだろう。マンションに大学で、それに飲み屋でと毎日数回は顔を合わせる。そのせいか、きっとお互いに悪友に近い距離感なのだと思う。


『あ、もしかしていま外?』

「家だけど」

『なら来いよ、頼むって』

「やだよ」


 何が悲しくて股間目当てでこんな朝から人の家にいかなきゃならんのだ。そう告げると、友人はまだ食い下がってくる。


『お前が取ってる講義のレジュメ、先輩から貰ってやるから』

「えー、それだけ? 過去問は?」

『わかった、過去問もつけるから』

「……いいよ。着替えるからちょっと待ってて」


 私は電話を切ると、パジャマから適当な部屋着に着替えた。奴に会うのにわざわざ気を使ってやる必要はない。サンダルをつっかけて廊下を歩き、友人の部屋のインターホンを鳴らす。

 玄関で待ち構えていたのか、秒で出てきた友人は青ざめた顔をしていた。

 季節外れのロングコートを着て、ボタンをすべて留めている。先ほどの電話からも尋常ではない様子がうかがえたが、


「…………」


 途方に暮れた顔つきで頭を抱えて部屋のなかを忙しなく歩き回っている。

 これはもしかして妙な病気でももらってきたとか? 性で始まって病で終わるやつだが。たぶん性転換病ではない。


「落ち着きなよ。てかなぜにトレンチコート?」

「ズボンが履けないんだよ……」


 友人は情けない顔で言った。なんとなくゾクゾクと嗜虐心が湧いてくる。


「履けない? ナニがどうしたって?」

「お、おれの股間のマサくんが……」


 友人の名前は将幸という。


「鳥になった、といいますか」

「はあ?」


 要領を得ない話に、私が睨みつけると、


「冗談だと思うだろ? それがガチなんですよ……」

「とりあえず、見てみないことにはなんにも」

「だよな……あー、やっぱ待った。なんか冷静になってきたけど、おれらってそういう関係じゃなくない?」

「いや、たぶんあんたの粗末なモンなんて皆見飽きてるよ」


 酒が入ると裸芸に走る男だ。こいつが脱ぎだしたあたりが二次会終了の頃合いである。それ以上残ると、奥義〈つむじ風〉と命名された汚い扇風機を見せつけられるはめになる。リズムモード付き。思い出しただけでも絶望的な気持ちになった。


「ほら、コート脱ぎなよ。それ一枚だと変態みたいだ」

「わ、わかった。いいか、脱ぐぞ……脱ぐからな」


 いそいそと将幸がコートを脱ぐと、引き締まった筋肉質な体があらわになった。綺麗に六つに割れた腹直筋。その両脇を支える腹斜筋。細身ながら見事な筋肉だ。そういえば、よくジムで鍛えていると聞いたことがある。

 さらに下に目を向ける。それは股のあたりにいた。

 鳥だ。鳥がいる。


「…………」


 ふつうにコンドルだった。そう、ご存じ鳥類のあいつである。テレビとかでよく見る憎たらしい顔をしたアレ。キリっとした表情を浮かべている。やだすっごいイケメン……。


「……えっと、将幸さぁ」


 友人の名前を呼ぶと股間のコンドルが『クェーッ!』と啼いた。

 いやお前じゃないが。


「な?」


 な? でもない。

 幸か不幸か、私は分別のある女だった。冷静になると酷い状況にげんなりしてくる。うーん。なんだろう。早朝に呼び出した女友達に股間を見せつける図。股間には鳥。この世にほんとうの幸いなど存在しない。変態で間違いない。

 というか、


「ナニコレ……? どういうからくり? パーティグッズ的な?」

「知るか! こんなもんどこに売ってるっていうんだよ」

「ドンキとか? 胸が熱いね」

「ありそうだけども!」

「けど良かったじゃん、粗末じゃなくなって。これでもう笑われないよ。ご立派ァ!」


 コンドルに指を近づけると、ガチンと嘴を開けて噛みついてこようとする。なにこれクッソ怖い。慌てて後ずさりながら私は訊ねた。


「ナニコレこわっ……これ将幸が動かしてんの?」

「いや、おれの意思とは別に動いてるけど」

「ふうん。あ、なんか昔さぁ、おできに体を乗っ取られる怪談話あったよね」

「なんでいまその話すんの……?」

「切り取ったほうがいいのかなと」


 いずれ主従関係が逆転するというオチだったはずだ。巨大化したコンドルの股間からぶら下がる小さい将幸を想像した。なんか笑える。


「やめろや鳥肌立ったわ」


 見れば股間のマサくんもガクガク震えている。どうやら人語を解すらしい。

「それで、なにがどうなったらこうなるわけ?」

「おれに訊くなよ。さっき起きたらもうこうなってたんだ」


 将幸は寒くなったのか、再び裸にコートを羽織った。まるで変質者みたいだった。まるでというか、少なくとも実際そうだった。やはり股間には鳥。


「へえ、不思議だね」

「もっと心配しろよ。このコンドルにおれの体を支配されたらどうしてくれる」

「ま、男なんてもとから下半身に支配されてるようなもんでしょ。へーきへーき」

「くっ……強くは否定できない」


 将幸は歯噛みした。そこはちゃんと否定しろよ、と思う。しかしまあ結構遊んでいるという話も聞く。パリピ男の面目躍如だった。


「あー、あれだ。自分を見つめ直す良い機会なんじゃないの?」

「自分を、見つめ直す?」

「そ、将幸にしかできないことだよ。過去の爛れた行いを清算して、これからは新しい自分を受け入れて生きていかなきゃ」


 そうだ、それがいい。過去はあくまで過ぎたこと。きっと素晴らしい未来が待っている。未来万歳。じゃ、私はこれで、と私は立ち去ろうとした。


「待て待て。それっぽいこと言って帰ろうとすんな」


 内心でもう面倒になってきたのがばれていた。


「てかこれでどう生きていけばいいんだよ」

「私に言われても知らんよ……」

「あと講義とかどうしよう……今期単位ヤバいんだよ」

「それは今期に限った話ではないが?」



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