117:優しい青

 会社へと戻り、俺はヴァンたちに話した。

 神と会った事で、ノイマンという男の正体を知り。

 そのノイマンを神は連れ戻そうとしていると……流石に俺が奴を殺そうとしている事は伏せて置いた。


 ノイマンは神の複製体であり、同じような能力を持っている。

 その一つが未来予知であり、神が人間の未来を予知できるのと同じように。

 奴は異分子たちの未来を予知する事が出来る。

 互いに未来予知を阻害し合う事により、神とノイマンは均衡を保っていた。

 神はノイマンの状況を知る事が出来ない。そして、ノイマンも神の状況を知る事は出来ない。

 互いが今までの経験や知識を使い、相手の一歩先を行こうとしているのだ。

 その結果、俺たちには分からないような手を打って。

 ノイマンも神も盤上に配置された無数の駒を動かしている……そして、ノイマンにとっての駒の一つが俺だ。


 神からもたらされた情報では、何故、ノイマンが俺に力を与えたのかは分からなかった。

 神自身もその事について何も言わなかったのは、答える事が出来なかったからだろう。

 ハッキリと言ってしまえば、奴が俺に力を与える事に意味なんて無い。

 俺より優れた人間は山ほどいて、力を持った権力者もいた筈だった。

 それなのに、奴は街はずれで暮らす俺たちの元へと来て。

 何故か、俺に大いなる力を与えて去っていった。


 気まぐれか。それとも、意図したものか……関係ない。


 奴にどんな思惑があったのかなんてどうでもいい。

 奴が来た事によって、兵士たちがやって来た。

 予測出来ていた筈だ。関わればどうなるのか奴には分かっていた。

 異分子の未来しか分からないと言っても、奴は神と同等の知能がある。

 いや、そんなものが無くても、自分自身の価値が分かっているのなら……。


 説明を終えて、俺は今、一人で空を見ていた。

 事務所の屋上へやって来たのはこれが初めてで。

 錆びついた鉄柵の上に手を載せながら、ただ空を見つめていた。


 何処までも続く青空には何も無い。

 雲も無ければ、輸送機すらも飛んでいない。

 鳥も羽ばたいておらず。澄んだ青が俺の目には映っていた。


「……」


 迷った時、考え事をする時……俺は空を見ていた。


 考えても何も出てこない時や、心が沈んだ時は。

 こうやって空を見ていれば、迷いが晴れていくような気がした。

 誰にも邪魔されず、一人で空を見ている時間が好きだった。

 

 エマは言っていた。

 この世界の空や海が青いのは何故か。

 それは、世界が優しいからだと言っていた……思い出して笑みが零れる。


 俺が意味が分からないと言えば、彼女はそれはそうだと言う。

 俺が首を傾げていれば、彼女はにこりと笑って俺の瞳を指さした。


『ナナシの瞳は綺麗な青だから! 当たり前なんだよ、ナナシにとってはね!』

『……そうなのか?』

『そうだよ! ふふ……青はね。何でも受け入れてくれるの。真っ白な雲も、よどんだ雲も。鳥や魚も受け入れて、どんなに人が汚そうとしても、そこにあるんだよ……ナナシもそう。どんなに苦しくてもどんなに辛くても、私たちの傍にいてくれる……私は知ってるよ。ナナシの優しさを』


 彼女の言葉を思い出す……彼女のお陰で、俺は空が好きになった。


 眺めているだけで思い出せる。

 彼女との出会いや話した事も。

 別れの日の空は色褪せて見えたが、今の俺の目には青が見えている。


「……また、会えるのかな……もう一度、エマの声が聴きたい……君と一緒に世界を歩きたい」


 果たされる事の無かった約束。

 彼女と一緒に自由を手にして、世界を見ていく願い。

 気づけば、俺は軍を除隊し仮初の自由を手に入れて。

 新たな仲間と共に世界を旅して、多くの戦いを経験した。

 出会いと別れ。そして、目標を手に入れて俺は今を生きている。


 何度も考えていた。

 もしも、エマが隣にいてくれたのなら。

 俺はもっと違う生き方が出来たんじゃないかと。

 戦う事をやめて、彼女と共に世界を見に行くことも出来たんじゃないか。


 ……でも、それは違う。


 エマがいたかもしれないというのは、ただの可能性だ。

 あったかもしれない道を考えたって、そこへは行けない。

 エマとの旅は、きっと楽しくて愉快な物になったかもしれない。

 でも、俺は今という時間を苦に思ってはいない。


 ヴァンと出会い、イザベラと出会い、ミッシェルと出会い。

 その後も色々な所へと行き、沢山の人と交流した。

 もう俺は孤独じゃない。もう俺の目には色褪せた世界は無い。

 全てに色がつき、肌を通して熱を感じる事が出来る。


 嫌な事もある。

 ほとんどが苦痛に感じる事かもしれない。

 だが、そんな人生にも幸せはある。


 

 百の苦痛があっても、一の幸せの為に――俺は生きる。



 約束だ。エマとの約束で。

 自由になると決めたんだ。

 苦痛程度で縛られる訳にはいかない。

 ノイマンという存在に、これ以上、自由を奪われる訳にはいかない。


 俺はギュッと拳を握る。

 天を見つめながら、俺は心の中で誓う。


 ノイマンを倒す。

 そして、俺は奴の呪縛から――自分を解放する。


 奴に与えられた力を突き返して。

 俺は今度こそ、本当の自由を手にするんだ。

 操り人形でもチェスの駒でもない……俺は人間だ。


 大切な両親の名前は知る事が出来た。

 父さんの名前はヒロ、母さんの名前はナル。

 もう二度と忘れたりはしない。もう二度と奪わせはしない。

 胸に手を当てながら、俺は静かに目を閉じる。

 神によって見せられた記憶の中で生きていた二人。

 その顔を思い出しながら、俺は静かに息を吐く。


「……待ってて……必ず。仇を討つよ」


 燃えるような怒りは無い。

 吐き気を催すほどの憎悪も無かった。

 今はただ、両親へと想いを伝えたかった。

 これで二人が安心できるかは分からない……何もしてあげられないのは嫌だ。


 大人になって二人に恩を返す事も出来なかった。

 だからこれが、俺が二人に出来る唯一の事だと思っているから。

 

「……」

 

 ゆっくりと目を開ける。

 そうして、天国の両親に誓い――背後から音がした。


 ガチャリと扉が開かれる音が聞こえて。

 振り返れば、ヴァンが缶を二つ持って立っていた。

 何時もの笑みであり、ようやく調子を取り戻してくれたのか。

 微塵も怯えが含まれていない……いや、少し疲労が見えるな。


 どれだけ働いていたのかは分からない。

 近づいて来たヴァンの顔には少し汗が浮かんでいた。


「ほい」

「……ありがとう」


 手渡された缶。

 少し水滴が浮かんだそれは、ひんやりと冷たく手に心地いい。

 こげ茶色の色をしていて、デフォルメされて手足の生えた豆が手を振っているイラストがプリントされている。

 どう見ても缶コーヒーであり……走って買って来たのか?


 事務所にはインスタントのコーヒーは常備されている。

 だからこそ、こういう物は置いてなかったと記憶している。

 あったとしても何時もあるものじゃない。

 よっぽど飲みたかったのか。それとも、俺に気を遣ったのか……どうでもいいか。


 隣に立ったヴァン。

 鉄柵に背を預けながらプルタブを開けた。

 俺は彼に習って冷たい缶の蓋を開けた。

 カシュリと音がしたそれ口を近づけて飲む……甘いな。


 濃厚な甘みであり、コーヒーというよりはカフェオレに近い気がした。

 だが、悪くはない。飲みやすくて美味しい。

 俺が笑みを浮かべれば、隣に立ったヴァンは笑う。


「そんなに美味かったのか? いやぁ丁度、それのCMがやっててさ。自販機を探し回ってたんだよ……昔と違って今は自販機荒らしも減ったけどさ。三つ目で珍しい事にやってたんだよ! それもバール持ってんの! 何時の時代だって笑っちまったよ。ははは!」

「……そいつはどうなったんだ?」

「そりゃ自販機のセキュリティーが作動して、ビリビリッとな。陸に打ち上げられた魚みてぇに失神して、駆けつけた警官たちがしょっぴいていったよ。いやぁアイツ等、まだこんなのがいるのかってぼやいててさ。おかしくって……ぷ、あははは」

「ふふ」


 ヴァンはケラケラと笑っている。

 俺もつられて笑った。

 楽しい時間。またこうして、皆といられる。

 嬉しいし、待ち望んでいた時間だ。


「……お前の連れて来たドリスちゃんとライオット……取りあえず。お前のサポートを任せる事にした……嬢ちゃんの方は問題なさそうだけど。あの小僧はちっとばかし危ないかもしれねぇ……イザベラが怪我を治すまでの間だが。お前が面倒を見てやってくれ」

「……分かった」

「……ハーランドも気前がいいよなぁ。お前の強化外装? 以外に、あの新人二人のメリウスまでくれたんだぜ? 今はミッシェルたちが勉強会なんて言って詳しく調べている筈だけど……大丈夫だ。あの二人は強くなる。俺はお前を信じているからな」


 ヴァンはそう言って胸を叩く。

 俺は頷きながら心の中でヴァンに感謝する。

 世話を掛けてばかりであり……まだ俺は、ヴァンに何も返せていない。


 夢を叶えたいと思っていたのに。

 その夢は遥か先であり、本当になれるのかも分からない。

 諦めたくはない。だが、どうすればヴァンの夢を叶えられるのか。


 そんな事を考えて……俺は一つ思い浮かべた。


 それは、兎に角、多くの敵を倒す事だ。

 至極単純であり、子供でも分かる道だ。

 しかし、言うは易しであり決して簡単な道のりじゃない。

 一度でも敗北すれば、大きく後退し。

 その敗北で死ねば……いや、俺は生き残れるか。


 負けてばかりではいられない。

 勝って勝って、勝ち続けて……名を広めていくんだ。


 ナナシとアンブルフの名を広める。

 そうすれば、多くの傭兵から注目されて。

 更に戦う敵の数が増えて良く。

 それは決して良い事ではないが……構いはしない。


「……ヴァン。俺はもっと強くなる……強くなって、お前の夢を叶えるよ」

「……そっか……ははは! そうこなくっちゃな! なぁに、心配はいらねぇ! お前はあの災厄を倒したんだからな。そんなお前にとびきりのプレゼントを……あ、あれ? お、おかしいなぁ……あれ?」


 ヴァンがくるくると回る。

 そうして、ポケットから何かを取り出そうとしていた。

 だが、探し物が見当たらない様であり……失くしたのか?


 俺が目を細めながらヴァンを見ていれば。

 奴は顔を床に向けたままプルプルと震え始めた……本当に失くしたのか?


 俺が大丈夫なのかと手を伸ばしかけて――奴が何かを向けて来た。


「うっそー! あるある! これだよこれ! さぁよーく見ろよ!」

「……これは……昇級テスト?」


 ヴァンが向けて来たのは端末で。

 その画面に表示されているのは、傭兵統括委員会の印が施された電子書類だった。

 書かれている内容は、傭兵ランクを上げる為のテストを行いたいというもので……Bランク?


「……ヴァン。これはおかしいぞ……俺の今のランクはDだ。次はCじゃないのか?」

「……いや、俺もそう思ったけどさ。何でも、災厄っていう存在を倒した事が関係しているらしくてな……頼んでもねぇのに、SAWのお偉いさんがお前の功績を褒め称えていたらしいんだよなぁ……不気味な奴らだぜ。全く」

「……それじゃ、俺は一つ飛ばしてBランクの昇級テストを行えばいいのか?」

「あぁそうだぜ……まぁ、大事なイベントが終わって暇だしよ。受けたらどうだ? 多分、災厄よりかは易しい相手だろうぜ」


 ヴァンはそう言って端末を仕舞う。

 俺は少し考えてみた。

 神の予測では、異分子の国の兵士が一月以内に接触してくる可能性は……八十パーセント以上らしい。


 高い確率であり、恐らくは本当に来るんだろう。

 しかし、どのタイミングで接触してくるのかは分からない上に。

 事務所で待っていればいいのかも定かじゃないのだ。


 待っていれば良いように言っていたが……何もしない訳にもいかない。


 ただボケっとテレビを見ているほど暇じゃない。

 俺にもやるべき事があり、その一つがランクの昇級だ。

 傭兵ランクを上げれば、それだけ色んな人間からの注目度も上がる。

 そうすれば、様々な依頼を受けられる上に、報酬も高くなっていく。

 強敵との戦闘も経験できるだろう。そうすれば、ヴァンの夢にも一歩近づく。


 迷う事は無い。どうせ何時来るかも分からないんだ。だったら――


「――受けるよ。昇級テストを」

「よし! そう言うと思ったぜ……返事を出せば、すぐに予定を決めるらしいから……まぁ一週間以内には纏まるだろうさ……ミッシェルには俺から言っとくからよ。ナナシはナナシで心の準備でもしとけ。間違っても、他の依頼を受けるんじゃねぇぞ?」

「分かっている……これ、ありがとう。美味かったよ」

「……そっか……じゃ、ナナシが無事に昇級出来たら。もっと美味いもんをご馳走しないとな! さぁて、何が良いか」


 ヴァンはそう言いながら、頭に手を当てて歩き出す。

 扉の方へと向かって行く奴を見て――俺は呼び止める。


 アイツはゆっくりと振り返る。

 俺はそんなアイツを見つめながら――



 

「今まで、ありがとう」

「――っ!」



 

 俺はそう言って歩き出す。

 驚いているヴァンの横を通り過ぎてノブを握る。

 そうして、扉を開けてから固まっているヴァンに提案をする。


「その席は、俺が奢るよ……偶には、奢らせてくれ」

「……へ、へ! そうかいそうかい……よーし! んじゃたらふく食ってやるからな! 謝っても腹に詰め込みまくるからなぁ!」

「いや、それは健康に良くないだろう?」

「うるせぇ! 健康ってのはやりたい事をやる事なんだよ! ばーか!」


 ヴァンががばりと俺の肩を掴んできた。

 にしりと笑いながら危険な事を言うヴァン。

 すると、ヴァンは俺の頬を引っ張って来た。

 階段を二人で降りながら、危ないから止めろと…………いや、いい。


 嫌な気はしない。

 こいつの顔を見れば、照れくささを隠すように笑っている。

 不器用な奴であり、俺でも分かるほどだ。

 俺はそんな男からの友情を受けながら、小さく笑う。


 ありがとうの言葉に嘘はない。

 何故か、ヴァンの去っていく姿を見て咄嗟に出てきてしまった。

 理由は分からないが。俺の心は寂しさを感じていた。

 ヴァンはそこにいて、何時ものように笑っているのに……。


「あ? どうしたぁ? 元気ねぇなぁ。うりうり」

「……やめろ」


 無遠慮に拳で頬を押してくるヴァン。

 俺はそれを払いのけながら、ため息を吐く……これがヴァンだったな。


 不器用で子供みたいで。

 馬鹿で妙に熱くて――それがこいつだ。


 大丈夫。此処に居る。

 こいつはずっといてくれる。

 エマのように消えて行かない。

 俺はそう自分の心に言い聞かせながら、コツコツという階段を下りていく音を聞いていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る