115:誰も奪わせはしない(side:イザベラ)
車いすに座りながら、私はハンドグリップを握る。
ゆっくりと握りしめれば、バネが軋むような音が上がる。
暫く握りしめれば徐々に力を弱めて脱力――それを何度も繰り返していく。
交易都市ヴァレニエ。
事務所から離れた場所にある公園……のような荒れ果てた空き地。
ガラの悪い人間たちが地べたに座り酒を飲んでいて。
道を歩く人間たちはポケットに手を突っ込みながら周りを威嚇していた。
酔っぱらい同士の口論をBGMのように聞きながら。
私は平日の昼間にしけた面の男と一緒にボケっとしていた。
空を見上げれば、疎らに雲が浮いている。
鳥が呑気に羽ばたいており、悪ガキどもがそんな鳥目掛けて銃をぶっ放していた……平和だねぇ。
ボケナス共のへぼい射撃をひらりと躱す鳥。
義務教育の権利を放棄したそいつらは苛立ちを露わにして。
後ろから歩いて来たガタイの良い男に絡まれて、そのまま三人仲良く連れて行かれる。
運が悪かった。違うね、アレは因果だろう。
傷つける奴は分かっていないんだ。
自分たちもあの鳥のように襲われる側になっちまう時がある事を。
弱い立場の奴をぶちのめすのはさぞ気持ちが良いだろう。
ムカつくから殴り、気持ちが悪いから迫害する。それが人間様だ。
だからこそ、私や他の人間に助けを求めるような目を向けたって誰も助けちゃくれない。
因果応報という言葉がある。
その人間の行動が、そっくりそのまま帰って来るっていう意味だったか。
アイツ等が鳥をバカすか撃たずに、このゴミ貯めでゴミ拾いでもしていたら。
もしかしたら、正義感の強い人間が助けてくれたかもしれない――とは思わない。
因果応報なんてクソくらえだ。
悪い事をすれば悪い結果を招くか?
良い子ちゃんを演じて世界平和について本気で考えれば世界は幸せになるか?
そんな訳ない。
悪い奴の中には、その悪さの数だけ富を築いたクズもいる。
聖人と言われるほどの人間であっても、磔にされて殺されるんだ。
因果はあっても、それが必ず帰って来る訳じゃない。
結局の所、こういうのはただの言い訳だ。
親が子供に言い聞かせる為の言葉であり、不幸になりたくないのなら良い事をしろなんて言いたいんだろう。
空を見上げる。そうして、隣のベンチに座る男に聞こえるように声を出した。
「……くだらないねぇ。本当に」
「……あぁ?」
隣で項垂れていた馬鹿が反応する……アンタの事だよ、ヴァン。
ナナシが神に会いに行った。
私は行きたいのなら行けばいいと思っていた。
アイツの人生であり、好きなように生きればいい。
だからこそ、アイツが一人で行ってしまったと聞いても心配する事は無かった。
既に一週間は過ぎている
未だにアイツは帰って来ず。この馬鹿は日に日にその顔に影を作って行く。
部屋の電気も付けずに、パソコンの前で死人のような顔をして。
髭くらい剃れよとミッシェルが言っても、ゾンビみたいに反応しやがる。
面白くもなんともなく、私もミッシェルもただただムカついていた。
私はこいつから重要な事は聞いていた。
ナナシの過去を知って、その過去に自分が深く関わっていた事が分かったと。
こいつが元兵士だった事は知っているし、その妙な施設で育ったことも知っていたさ。
ただナナシの両親を殺したのがこいつの元同僚で、こいつはそれを心の底から悔いている。
ヴァンは正しいさ。
テメェの不注意で、ナナシの両親が死んだのは事実だ。
此処でお前の所為じゃないって言うのは簡単だろう。
だけど、私は絶対にそんな無責任な言葉は言ってやらない。
何も知らない人間が吐く優しさほど気色の悪いものは無いだろう。
何を知っている――何も知らないだろう?
だから、私はハッキリと言ってやった――お前の責任だと。
こいつがその危ない連中から目を離さなければ良かった――その通りだ。
こいつがナナシの両親に聞く立場になっていれば、もっと穏便に終わっていたかもしれない――その通りだとも。
そもそもその任務を受けなければ、こいつがナナシの不幸に関わることも無かった――そうだよ。
全部、お前の選択した結果だ。
お前が行動した事で、そうなっただけだ。
何度でも言ってやる。
お前が悪い。お前のせいでナナシの両親は殺された。
「――で?」
「……さっきから、何だよ……言いたい事があるなら、ハッキリ」
「――お前が悪いよヴァン。お前のせいでナナシは不幸になった」
「……っ……分かってるよ……そんな事、お前が言わなくても」
「いいや、分かっていないね。そうやって悲劇のヒロインを気取ってる時点で――アンタは逃げてるんだよ」
「――ッ!!」
ヴァンがベンチから立ちあがる。
そうして、私の胸倉を掴み睨みつけて来た。
私は笑う。嘲るような笑みを態と浮かべながら、次はどうするかと尋ねた。
怒りを露わにしている。
殺気も本物だ……後は、手の震えを消すだけだね。
「何時までそうしているつもりだい? ナナシが死ぬまで、アンタは自分を責め続けるのか?」
「……当たり前だ。俺は俺を許せない」
「そうだ。許せないさ――で? それでナナシに何か得があるのか?」
私はゆっくりとヴァンの手を掴む。
そうして、胸倉を掴んでいたその手を強制的に放させた。
私は怯えるような目をする奴を見つめながらハッキリと言う。
「アンタが苦しんでも、ナナシの両親は蘇らない。アンタが自分を責めても、ナナシの時間は戻らない」
「――だったらッ! 俺はどうすればいいんだ……アイツが言ったように……ナナシを導くなんて……」
「……まだ、隠している事があるんだね……はぁ、いやいいさ……どうだっていい」
私は服の皺を伸ばす。
そうして、またグリップを握っては放すを繰り返す。
「意味の無い行為は止めな。減らすだけで何も生まない行為ほど馬鹿な事は無い……それとも、自分を傷つける事で罪が消えるのかい? そいつは凄いねぇ! 私の雇用主は聖人様だったのかい。ははは……どうした。今のは笑うところだよ」
「……笑えねぇよ……そうだ。意味なんて無い……頭で分かっていても、体が、心が俺を苦しめるんだ……なぁ、俺は本当にどうしたら――ぶうぉ!!?」
うじうじうじうじと女々しいバカの股間を殴る。
病み上がりだから力があまり入らなかったが。
馬鹿の顔は顔面蒼白であり、股間を両手で押さえながら蹲る。
私はそんな馬鹿を見下しながら、吐き捨てるように言う。
「悪いね。私はお前のママじゃない。自分で考えな」
「おま、え、なぁ……うぅ」
苦しむように空気を吐いている。
これで分かった筈だ。
痛みは痛みをもって乗り越える。
心が苦しいなら体を動かせばいい。
気持ちが沈んでいくのなら、がむしゃらに這い上がれ。
嫌な事も考えないほどに動き続けろ。
暗い部屋で何もしないで苦しむより。
体を動かし続けて泥のように眠る方が何倍もマシだ。
私は何も言わずにヴァンの体に直接教えてやった。
言葉で丁寧に教えてやる事はしない。
そんなこっぱずかしい事は死んでも嫌だから。
私は無言でグリップを握り――奴ががばりと起き上がる。
まだ少し苦しそうで。
顔には汗が浮かび上がっているが……悪くない。
「……分かった。もう聞かない……俺は行動する。意味のない事はもうしない……これからは意味のある事をする」
「……それでいい。だが、くれぐれも馬鹿な真似はするな……アンタがいなくなって困るのは少なくとも此処にいるんだからね」
「……しねぇよ! 仮にそう思っても、俺は俺らしく――あぶね!」
「だから、考えるなって言ってんだッ!! 殺すぞ!!」
「はぁぁ!!? いやいや、お前のその発言矛盾してるぞ!!? するなって言ったのに!!」
「うるさいよ!! うじうじしてる奴を見ると殺したくなるんだ!!」
「こ、こえぇぇ!!!」
私のパンチを避けたヴァン。
奴は私の背後に回り、車いすの固定を外す。
そうして、勢いよく押しながら走って行く。
気持ちの良い風を全身に浴びながら、私はもっと丁寧に扱えと言ってやる。
すると、バカは笑いながら「お姫様かよ!」と言ってくる……怪我が治ったら埋めてやるよ。
私は静かにバカへの復讐を考える。
すると、奴は車いすを押すスピードをゆっくりとしていく。
「……ありがとな」
「……あぁ? 何か言ったか?」
「……言ってねぇよ! ばぁか!」
奴はそう言ってまた走り出す。
私は口角を上げながら、こいつはこれくらいで良いと思った。
どん底に沈むより、地雷の上でも踊れるくらいの馬鹿が私は好きだ。
こいつは笑っている方がよっぽど魅力的だ。
笑って騒いで――だから、私たちはついて来た。
こいつが自分を責めようとも。
ナナシの両親を殺した事実があっても。
私はこいつの元から離れない。
だってそうだ。どん底に沈んでいた私を掬いあげたのはこいつで――今度は私の番だ。
絶対に死なせない。
こいつの人生を後悔で終わらせはしない。
例え私が死んでも、こいつだけは幸せにしてやる。
それが私の願いであり、人生の目標だから。
「ヴァン。私はアンタについていく……だから、絶対に置いていくんじゃないよ」
「……あぁ、当たり前だ……俺はずっと皆と…………はずいなぁぁもぉぉ」
「……同感……チッ」
ガラでも無い事を言っちまった。
ヴァンを見れば少しだけ頬が赤く。
私も少し頬に熱を感じた。
ムズムズするような感じだ。
居心地が悪いようで……心地いい。
偶になら良い。
何時もこうなのは嫌だが。
一日くらいなら、こんな時間も悪くはない。
私は生きている。
ヴァンも生きていて、ミッシェルもナナシもいる。
新しい仲間も増えて、これからだ。
例え神でも邪魔はさせない。
ヴァンの夢は、私の夢でもある。
叶えてやるさ。こいつが平和を欲しているのなら――プレゼントしてやる。
だから、絶対に――死ぬんじゃないよ。
心の奥底で感じる気配。
嫌な気配であり、これを感じる時に碌な事は起きない。
ヴァンが真実を知った事をきっかけに、アレが近づいている。
命あるものを終わらせる存在。
その鎌で命を刈り取る死神だ。
来るな。こっちに来るんじゃない。
お前にやれる命なんて何一つない。
私の家族を奪わせはしない。
誰一人としてくれてやるつもりはない。
全身に冷たい風を感じながら。
私はグリップを強く握る。
すると、グリップから嫌な音が鳴り、ヴァンは気づいて足を止めた。
「あぁ何してんだよ……うわ、本気出したらこうなるのか? ゴリラじゃん」
「……乙女に向かってゴリラねぇ……此処で死ぬか? ヴァン」
「……ぷっ、自分で乙女って……すみません許してください調子にのりましたごめんなさい」
私がゆっくりと背後のヴァンに視線を向ければ。
ヴァンは歯を鳴らしながらガチガチと震え始めた……大丈夫だ。
こいつは約束した。
私たちを置いて行かないと……今はそれでいい。
私は笑みを浮かべながら平静を装う。
もしも死神が来たとしても、私が守って見せる。
代行者も、異分子の国の兵士であろうとも。
私の家族を奪いに来るのなら――私が殺すから。
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