113:離反者の野望とは(side:碧い獣)

 ゆっくりと瞼を開ける。

 薄暗く冷たいだけの空間で、私は椅子に体を預けていた。

 機械の駆動音が小さく響いていて、計器が私のバイタルをチェックしていた。

 眠りから覚めて、私は自らの仕事を終わらせて帰還した。

 魂が肉体に戻り、私は静かに息を吐く。

 

「……」


 椅子から体を起き上がらせる。

 ぎしりと音がして、手足につけられた輪っかが自動で外れる。

 体に取り付けられた器具たちが自動で解除されて。、ごとりと床に落ちた。

 自由になった手首を摩る……これでいい。


 弟の”視界”を通して、全てを見た。

 アイツが負った痛みや苦しみ。

 もしも肩代わり出来るのであれば、どれほど良かったか。


 最愛の両親を殺されて、悪辣な施設に強制的に入れさせられて。

 そこで兵器としての教育を施されて……せめてもの救いはそこで出会った友人だろう。

 

 エマという少女の純粋な思いが、弟を兵器ではなく人間に留めてくれた。

 世界の色が見えなくなっていた弟に、世界の景色や知識を授けて。

 絶望の底へと落ちていくだけだった弟は、何とかギリギリで持ちこたえていた。

 環境や出会う人間によって、人の心は形成されていく。

 例え、どれだけ苦しめられて血反吐を吐こうとも、あの少女がいてくれたお陰で救われた。

 もしも生きていたのなら、最大限の敬意を払いながら感謝の気持ちを伝えたかった。


 が、少女はもうこの世にはいない……弟は絶望していた。


 激しい怒り、仇へと復讐心。

 世界を知りたいと願いながらも、弟は仇を見つけて”灰燼”に呑まれた。

 もしも、仲間がいなければ弟は新たな災厄になっていたかもしれない。

 世界を滅ぼし、絶望を振りまいたあの魔王のように……考えたくない結果だ。

 

 憎い。全ての存在が憎い。

 根は優しく、人の痛みが分かるアイツを苦しめた全てが。

 殺せるのなら、この手で全てを始末してやりたい。

 命乞いをする暇も与えずに、全て一刀の元に斬り伏せて。


 ……だが、それをしている時間は無い。


 奴らが動き始めた。

 代行者と呼ばれる我々の宿敵が。

 神に最も近く、その意思に報いる為にだけ動く奴の持つ駒の中でもっとも強力な兵士たち。

 その中でも、突出した力を持つ奴らを纏める男――ベン・ルイスが動いている。


 間違いなく、奴はナナシに興味を持っていた。

 あの目はただの任務で動いている人間の目ではない。

 確実によからぬ事を考えて動いている人間の目だ。


 アイツを野放しにしていれば、何れ大変な事態を招く。

 奴とは何度か交戦したが、その実力は本物だ。

 親衛隊の中には、奴の手によって殺された人間が”三名”もいる。

 幸いにも、我々の国の中にはそのメンバーの席につけるだけの実力者がいた。

 だからこそ、席に穴を空ける事無く、今も活動は出来ているが……厄介だ。


 

 本来であれば、弟が奴らに接触する前に……いや、最低でも神と接触する事だけは止めるべきだった。



 だが、父は……ノイマンは”動くな”と我々に命令した。


 

 父が何を考えているのかは分からない。

 あの人は何時もそうだ。

 子である私にですら、その真意を明かそうとしない。

 己で考えて答えを見つけろとしか言わないのだ。

 それは我々が父の考えを理解できる筈がないと思っているからか……いや、違う。


 父は我々を侮ってなどいない。

 寧ろ、期待しているとすら言える。

 でなければ、答えを早々に明かせばいいだけだ。

 頭の悪い奴に説明をしても理解できないのだ。だからこそ、そういう場合は早々に答えを明かす。

 それをしないと言う事は、我々は自分で考えて動けると信じているからだろう。

 ある程度、私たちが自由に動けるようにしているのがその証拠で。

 私は父の命に背き、弟の相棒を騙るあの男と接触した。


 神に会う事を止める事は出来ない。

 代行者が接触してしまった今。

 弟と接触を図る事は、我が国を危険に晒す事に等しい。

 最も多少のリスクくらいであれば、私は迷うことなく行動するが……完全に父の命に背く事は出来ない。

 

「……ヴァン・ロペス……」

 

 私はあの男を信用していない。

 都合の良いように弟を使い、何れは裏切り見捨てる可能性があるとさえ思っていた。

 しかし、あの男は人間であり情がある。

 私は奴に自らの仕出かした過ちを教えてやり、裏切れないように釘を打ち込んだ。

 もしも、その釘を自ら抜き捨てて弟を裏切るのであれば――私がこの手で殺す。


「……もっと傍にいたかった……出会いが違っていれば……」


 壁の先にいた弟。

 碌な武装も無い中で、突撃を命じられたであろう弟。

 アレ等は何時も変わらない”死兵”であり、此方の戦意を削ぐために用意された同胞たちだ。

 世界に抗う事が出来ずに、最期まで良いように扱われるだけの傀儡。

 それらを殺す事で、神は我々の戦意が削がれるのだろうと考えているのか……いや、単なる嫌がらせ程度だろう。


 何時もと変わらない。

 それらを始末する為に私は出撃し――弟と出会った。


 何時も通り殺そうとした瞬間に、視界が繋がった感覚を覚えた。

 思わず振り返ったが、確かに目の前のパイロットと視界がリンクしていた。

 その瞬間に、私は目の前のパイロットが弟だと認識した。


 私は激しく後悔した。

 弟を傷つけただけではなく、その命を終わらせようとしたのだから。

 すぐにでも回収し、基地へと持ち帰りたかったが。

 父からの通信で、すぐに帰還するように命令された。

 父にしては珍しく、その時ばかりは自由を与えられなかった。

 私は一瞬迷ったが、父が考えなしに愚かな事は言わないと知っていた。

 だからこそ、命令通りに帰還し。暫くして……再会したのだ。


 機体が変わってもすぐに分かった。

 弟が私のすぐ近くにいて、私はすぐに待機を止めて出撃した。

 弟は馬鹿によって殺される一歩手前であったが。

 私がそれを止めさせて、弟は瀕死の状態からすぐに蘇っていた。

 アレこそが、”父が与えた”ものであり――体に馴染み始めていた。


 弟は私の言葉を信じてくれた。

 鍵を手にして、集めようとしている。

 神に誑かされて、渡そうとするかもしれない。

 だが、父は言っていた。


 

 ――今の神は強欲だ。だからこそ、鍵を現時点で奪う事はしない。


 

 完璧だ。

 不完全でありながらも、アレは完璧に近い存在だ。

 だからこそ、不確かな未来の先に存在する運命を見ている。

 間違いなく、奴は我々を出し抜き全てを手にしようとするだろう。


 完成された理念の元。

 奴は自らの過ちで失った人間を復活させようとしている。

 それも、同じ過ちを繰り返さない為に。

 より完成された”新人類”を、あの世界に……恐ろしい。


 我々は知っている。

 その新人類をあの世界に送る為に何をするか。

 大きな願いを叶える為に支払う代償を我々は既に知っている。

 弟はそれを知らない。伝える事は出来るが、今の状態では信じられないだろう。

 今弟は迷っている。我々を信じるか、神を信じるべきかを。

 父は言っていた――”まだその時ではない”と。


 何を考えてる。

 父の言うその時とは、一体何時の事なんだ。

 その時が来るまでに、もしも神が弟を……ナナシを懐柔してしまえば……。


 いや、そうはならない。

 如何に知略に優れた神であろうとも。

 父が生きている限りは、大胆な行動は出来ない。

 

 この世界で唯一、神に対抗できるのは”ノイマン”だけであり。

 父は既に手を打っている。

 我々もそんな父に従い行動を始めている。

 あの離反者である元同胞も、自らの意思で駒を進め始めた。


 時を巻き戻す事は出来ない。

 結末に向かって人は動き出しているのだから。


 私はひたひたと歩きながら、机の上に置かれたマスクを見つめる。

 それを手に取り、ゆっくりと持ち上げた。

 私は笑みを浮かべながら、最愛の弟の顔を思い浮かべる。


「もうすぐだ……もうすぐ、我々は互いを見つめ合う事が出来る……それまでは、私もこの仮面をつけていよう」


 ゆっくりとマスクを上げて、それを装着する。

 レンズ越しに見える世界。自らの呼吸音が聞こえる中で私は視線をあるものに向ける。

 私は足を進めて、一つのパソコンの前に立つ。

 そうして、電源をつけてからカタカタと操作した。


 表示されたのは一枚の写真であり――それはかつての同胞だ。


 今、もっとも神と交渉が行える位置にいる男。

 今は”ジョン”と名乗っていたか……危険だな。


 父であるノイマンの右腕として行動を共にし。

 その父の事を最も理解していた男であり、彼の親友でもあるこの男。

 この男は父と袂を分かち、現在はテロリストして行動を起こしている。

 予告なく色々な街を無差別に襲撃し、大量の一般人を虐殺する男。

 世界中では、この男の情報を求めて警察組織が動いている。

 リストのトップにも名を連ねる程であり、我々にとっても今では看過できない存在だ。


 最初は災厄の出現を速める為の行動かと予想していた。

 しかし、あまりにも行動に脈絡が無い上に。

 奴らは異分子以外の人間であれば女子供も容赦なく殺してきている。

 アレではバランスを保っている現在の状況が崩壊しかねない。

 異分子の立場が悪くなるのは、我々の目指すべき場所から遠ざかるもので。

 異分子を本格的に排除しようとする動きが強さを増すのは、見過ごす事が出来ない。


 それに、奴は父の元から姿を消す前に……”アレ”を持ち出していった。


 研究目的で保管していたアレの一部を持ち出して。

 奴はそれを自分の作り上げた組織で研究し、何かを創り出そうとしていた。

 それが何かは現時点では分からないが、恐らくは奴が事を起こす為の起爆剤に違いない。

 

「……」

 

 ジョンが何を計画しているのかは不明だが。

 我々の最終目標は神を殺し、ノイマンをその座に座らせる事だ。

 それまでに異分子の数を不必要なまでに減らさせるのは我慢ならない。

 勝利した未来で子を成す為の同胞がいなければ、暴動を抑えられるだけの数を用意する事も出来ない。

 SAWなどが作っている”家畜”を使う事も考えたが、アレ等は最早人の形をしているだけの傀儡だ。

 言語は愚か、人としての成長も奪われた存在で。

 ただ疑似的な感情のような何かを埋め込まれただけのアレ等は、我々の未来には不要だ。


 純粋な人間。我々の同胞を生かす術。

 それを模索していたのが、ジョンとノイマンだった筈だ。

 それなのに、あの男は異分子を減らそうとする動きを取っている。

 それも露骨に異分子だけを生かす行動を取っているからか……奴らも勘付き始めている。


 警察組織だけじゃない。

 代行者たちは既にジョンの正体を知っている。

 未だに神側がそれを公表しないのは、何かを企んでいるからだろう。

 ノイマンなら何かに気づいているだろうが……残念ながら、父は答えを教えてくれはしない。


 父からの命令も無い今。

 我々は己の考えで動く他ない。

 話し合いの結果、我々はジョンを捕える決断をした。

 殺すのではなく、生かしたまま父の元へと連れ帰る。

 例え悪鬼羅刹と化した男であろうとも、父が唯一認めた男だ。殺すには惜しい。


 奴の口から真意を明かしてくれるのならそれでもいいが……恐らく、話す事は無いだろう。


 この世界で住む人間であるのなら理解している。

 口に出して言葉を紡げば、最悪の場合、神に認知される恐れがある。

 この世界を生み出した存在であれば、遠く離れた人間たちの会話を盗み聞く事は容易い。

 まだ父の庇護下であるのなら、奴の遠見を防ぐ術はある。

 奴は己の管理下にある人間は探知できても、我々異分子の事は見る事が出来ない。

 しかし、それはそいつを調べ探る事が出来ないだけで。

 時間を掛けて調べ上げれば、恐らくは辿りつく事は出来るだろう。


 ジョンもそれを理解しているからこそ、不用意に言葉を交わそうとしない。

 此方との連絡手段を完全に絶ったのも、奴らに此方の動向を悟られない為だろう。

 腐っていようとも頭のキレる男で……だからこそ、不可解だ。


 何故、それだけの考えが出来るのに。

 意味のない無差別テロを繰り返す。

 異分子を救済するのであれば、もっと別の方法があった筈だ。

 暴力に訴えたところで、それが全てを解決する事は無い。

 時間を掛けずに効果を発揮する事は出来ても、リスクが大き過ぎる。


「……」


 ノイマンは……父は答えない。


 ジョンがどういう思想を持ち、何を成そうとしているのか。

 もしも分かっているのなら、此方も手を貸す事が出来るのに、だ。


 父もジョンも、私の考えの遥か上を行っている。

 元より、知略で父たちに敵うなどとは思っていないが。

 こうも全てが見えてこないとなると、居所の悪さしか感じない。

 喉に小骨が刺さったような不快感で……向かうしかない。


 弟を守るべき立場にあるあの男。

 ヴァンと名乗っていたあの男であれば、弟を導く事も出来る筈だ。

 弟は何も知らずに、あの男に恩義を感じている。

 全てを知ればどうなるのかは分からないが。

 真実を明かすその時までは、弟の進むべき道を示す灯りになってもらおう。

 それがあの男が唯一出来る……弟への償いだ。


 私はゆっくりと端末を取り出す。

 そうして、画面を操作してメンバーにメッセージを送信する。

 

 我々の下に一つ。そして、弟の手中に一つ。

 鍵が二つ揃った今なら、次の行動に進む事が出来る。

 先ずは、計画を阻む可能性のあるジョンの身動きを封じる必要がある。


 

 ……杞憂なら良い。しかし、情報通りなら……奴は神と取引をしようとしている。



 ただの人間が神と対等な取引が出来る筈がない。

 それが異分子なら尚の事で……奴は本当に何を考えている?


 奴の狙いが何かは分からないが。

 神と交渉する為に用意するものは一体何か。

 もしも、その代価が父であるのなら……排除する他ない。


 殺すには惜しい人材であろうとも。

 我々の中心に立つ父の命を脅かすのであれば、黙っている事は出来ない。

 神との交渉を未然に防ぐ意味もあって、我々はこれから神の領域にて再び行動を取る。

 危険はあるが、リスクに怯えて行動を止める事は出来ない。

 奴は弟の存在に気づき、調べようとしているのだから。

 遅かれ早かれ、奴は弟がノイマンの子であると気づく筈だ。

 そうなれば、奴はどういった行動に出るかは分からない……本当は会わせたくない。


 父の命さえなければ、全力で止めに行っている。

 例え代行者が相手であろうとも、私は全力で弟を守るだけだ。


 ギュッと拳を握りしめる。

 今も弟が見ている景色を”第三の目”で見つめながら。

 私は弟と再会できる時を夢見て、マスクの下で満面の笑みを浮かべていた。

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