第四章:悪夢が晴れれば

111:不穏な風

 小さな明かりが灯る仮眠室内。

 硬いベッドに横になりながら、俺は天上を見つめる。

 無機質で冷たい印象を覚える金属のそれは、今の俺にとっては刺激が無くていい。

 明るい気持ちに何てなれない。今はただ静かでいたかった。


「……」

 

 カチカチという時計の音。

 雨が降っていないからか、少しだけ蒸し暑さを感じる。

 両手を頭の下に置きながら、俺はただ黙って天井を見ていた。

 

 仮眠室で横になりながら考える。

 奴らの誘いを受けて神と会うべきか。

 それとも、要求を拒むべきなのか……いや、分かっている。


 どんな理由があろうとも、神は異分子である俺たちを苦しめて来た。

 そんな奴に会いたいと思う異分子はいないだろう。

 俺もそうであり、碧い獣たちの事もある。


 もし、碧い獣と神であるのなら……まだ奴らの方が信用できる。


 神なんて大層な存在より、まだ奴らの方が人間らしいだろう。

 ただ何故、奴らが神を消そうとしているのかが分からない。


 神を消せば異分子の立場が変わるのか。

 いや、それは絶対にあり得ないだろう。

 神という存在はこの世界にとって大きな影響力を持っている。

 もしも神が人々に命じれば、大抵の人間はその命令を疑うことなく実行する。

 中でも奴を信仰する人間であれば、命さえも差し出すだろう。


 この世界のバランスを保つのが神で。

 その神がこの世界から消えてしまえば……世界は確実に崩壊する。


 支柱を失えば、全てが崩れ去ってしまう。

 いや、まだそれだけで被害が住むのならいい。

 代行者の言う通り、神が全てを創り出したというのであれば……世界そのものが消えてしまうのではないか?


 万が一にも神を消せたとしてだ。

 何が起きるか分からないんだぞ……何を考えている。


 ただの復讐心か。

 それとも、何かを狙っているのか……恐らく、後者だろう。


 神を消したとしても、この世界を維持できる方法――あるにはある。


 アイツ等の説明を聞いていて、引っ掛かりを覚えた事。

 それは異分子の国の中で、神と同じ能力を持っている人間がいるという事だ。

 アイツ等自身がそう説明したからこそ、本当に存在しているんだろう。

 そいつがいたとするのなら、そいつだけが唯一神に変われるんじゃないのか?


 もしかしたら奴らの目的は、今の神を殺し。

 その謎の人物が神に成り代わる事なんじゃないのか。

 そうでなければ、そんな大それたことはしないだろう。


「……でも、何で……そんな事をして何になる」


 神の座を奪い世界を支配したとする。

 奴らの目的が異分子たちであるのなら。

 俺にとっては都合の良い話に聞こえるだろう。

 しかし、実際にはヴァンたちがどうなるのかは分からない。


 もしかしたら、異分子たちの立場が上になり。

 今度はそれ以外の人間たちが下になるかもしれない。

 そうなれば、今の神のやっている事と何ら変わりはない。


 ……いや、あくまで予想だ。そうなる事は無い気がするが……。


 異分子の国の目的は未だに未知数だ。

 鍵を探せと言った癖に、奴らが戦場に現れる事は無かった。

 本当に鍵とやらを探し求めているのであれば、誰かしらがやって来る筈だろう。

 しかし、異分子の国の兵士らしき影は全く無かった。

 イザベラにも聞いたが、やはりいなかったようで……何を考えている。


 何故、姿を見せなかった。

 何故、今も接触しようとして来ない。


 鍵を集めるのが目的では無かったのか?

 それとも、代行者が来るからと諦めたのか?


 分からない。何も分からない……だからこそ、行くしかない。


 神に会いに行くことはリスクでしかない。

 奴らに関する黒い噂は聞いて来た。

 そして、代行者は異分子が神にとっての希望で俺たちを進化させようとしていると言った。

 その進化が俺たちにとって幸福な未来を齎すのなら良い……だが、もしも、そうでないのなら。


 確かめたい。

 代行者の口からではなく。

 奴の口から真実を聞きたい。

 何を思っていて、何をしようとしているのか。

 全てを明かしてもらいたい。

 そうでなければ、俺は何も知らないまま無駄な時間を過ごす事になる――そんなのは嫌だ。


 俺は知りたい。この世界について知りたかった。

 神は嫌いであり、今でも信用は出来ない。

 しかし、奴を知らずに鍵を集める事はしたくない。


 絶対に来るとは思っていた。

 逃れる事は出来ず。会わなければいけない日が来ると思っていた。

 だからこそ、俺は自らの意思で選択する――俺は神に会う、と。


 ヴァンたちは反対するだろう。

 俺がアイツ等の立場なら同じことをするから。

 それでも、俺は奴に会わなければいけない。


 どうせ、俺たちに逃げ場は無い。

 もしも此処で拒んだとすれば、絶対にこそこそと後をつけて来るだろう。

 そうなれば、此方も自由に動く事が出来なくなってしまう。

 四六時中、監視される生活なんて御免だからな。


 俺は会う。

 先ずは会って奴の真意を突き止める。

 そうして、これ以上俺に構うなと言ってやりたい。


 俺は世界を知りたいとは思っているが。

 神を殺そうなんて危険思想はこれっぽっちも無いのだ。

 もしも、鍵が欲しいと言うのなら今すぐにでも差し出したって良い。

 俺にとっての希望も見えているんだ。

 それはあの代行者のベン・ルイスであり、もしかしたら俺もアイツのように人間に戻れる可能性がある。


 俺は探し求めていた。

 本当の自由を手にする為に、今までも戦って来たんだ。

 だからこそ、異分子となった原因を取り除けるのであれば……少しくらいなら協力したっていい。


 俺にとっては鍵はそこまで重要じゃない。

 勿論、これを探せば碧い獣は真実を明かすと言ったが。

 それよりも重要なのは自由を手にする事だ。

 この首輪を外して、堂々と街を歩けるようになるのであれば……これほど良い事は無い。


「……もっと早く、知っていれば……」


 エマとマリアを思い出す。

 二人が生きていれば、希望を伝えられたはずだ。

 異分子から人間に戻れる方法があると知れば、二人はどれだけ喜んでくれただろうか。


 ……分かる筈がない。二人はもうこの世にいない……蘇る事も無いんだ。


 どれだけ会いたいと願っても、決して会う事は出来ない。

 俺はゆっくりと目を閉じながら呼吸をする。

 大きく息を吸い込んでから、ゆっくりと口から吐いていく。


 沈みそうになる気持ちを落ち着かせながら。

 俺はゆっくりと目を開けてからベッドの縁に腰かける……答えは出た。


「ヴァンたちに伝えに行こう……許してくれるか……ん?」


 何やら物音が聞こえた。

 俺は首を傾げながら、靴を履いて立ち上がる。

 椅子に掛けておいた青いジャンパー羽織りながら扉を開けて外に出る。

 廊下から顔を出して周りを見て、俺は操縦席の方へと向かう。


 コツ、コツ、コツと靴の音が静かに響き。

 俺は操縦席へと来て――驚いた。


「ヴァン! 大丈夫か!?」

「……あ、あぁ」


 床に尻をつけながら、片手で椅子に手を掛けて。

 顔中から汗を流しているヴァンは、動揺を露わにしていた。

 何があったのかと思いながら周りを見れば、ナイトがボールを口に咥えていた。

 他には何も無く、驚くようなものは何一つない。

 俺が首を傾げていれば、ナイトはそのまま何処かへと走り去って行ってしまった。


 ヴァンに視線を戻しながら肩を貸そうとする。

 しかし、ヴァンは俺の手をゆっくりと押し返す。

 自分の力で立ち上がりながら、ヴァンは軽く尻を叩いた。

 笑みを浮かべながら、ナイトが急に吠えた事にびっくりしたと言う……嘘だな。


 何時もの笑みじゃない。

 顔が引きつっていて、明らかに無理をしている。

 サングラス越しに俺を見てはいるが。

 その視線は俺の額に向けられている気がした……何だ?


「ヴァン、何かあったんじゃ」

「――おぉそうだそうだ! イザベラを迎えに行かなくちゃな! 悪いけど、ナナシも手伝ってくれるか?」

「あ、あぁ……それより」

「よし、じゃ俺は先に行くからな!」


 ヴァンはそう言って駆けだした。

 まるで逃げるように走って行ったが。

 何かに怯えているような目をしていた。

 その視線の先には俺しかおらず……俺を怖がっていた?


 いや、そんな筈は無い。

 再会したばかりであり、俺は仮眠室にいただけだ。

 怖がられる事は何もしておらず。

 今の今まで、互いに会話も出来なかったんだぞ。


 ……でも、ヴァンの目には明らかな恐怖があった。


「……ヴァンは、一体……」


 次から次へと問題が起きる。

 その一つ一つを丁寧に考えている暇は無い。

 俺はヴァンの怯えを気のせいだと思い込む。

 そうして、ヴァンの後を追ってイザベラの元へと向かった。


 関係ない。

 怯えられる筈が無いんだ。

 俺たちは家族で、仲間で……相棒なんだ。


 ちくりと胸が痛みを発した気がした。

 俺はそれを無視する様に足を動かす。

 廊下を渡り、扉の前に立ちパネルを押した。

 操縦席から近い場所にある扉がスライドし、降ろされていた梯子を伝って下に降りていく。

 カツカツと音を立てながら舌に降りていき、地面に着地した。

 上を見れば扉は自動で閉められていて、梯子も縮んで格納されていく。

 ふと視線を横に向ければ……アイツ等がいる。


 近くに停められている中型の輸送機。

 最新のモデルであり、カラーリングは白と目立つが。

 最新の迎撃システムが搭載されいているのは一目で分かる。

 輸送機内からは白いローブを身に纏った人間たちが乗り降りしていて。

 その中心にはあのマスクの男と凶暴な怪力女がいた。

 ベン・ルイスは俺に気づくとが手を振って来る……怪力女は会釈だけだ。


 俺は奴らに小さく頭を下げる。

 別に信頼した訳じゃない。

 ただの社交辞令であり、無視するのは礼儀に反すると思っただけだ。


 俺は奴らから視線を逸らして、テント群の中に入って行く。

 未だに医療スタッフが多くいるのは、まだ移送できるまで怪我が完治していない人間が多くいるからだろう。

 SAWの職員たちは、そんな怪我人たちのサポートは全て行うと言っていた。

 それだけ奴らがこの戦いに掛けていた期待は大きかったのだろう。


 ジョンは言っていた。

 ハイランダーと災厄を渡すなと……結局、災厄は奴らが調べてしまっているがな。


 視線をチラリと背後に向ければ、俺たちの他にも輸送機は止まっている。

 それもメリウスなどの輸送機ではなく。

 大型のカーゴ機のようなものであり、アレ等はSAWが手配したものだと言う事は人づてに聞いていた。

 これはあくまで予想だが、あの中に災厄の一部を持ち帰ろうとしているのではないかと思っていた。


 未だに、戦場には黒い液体状のものが残っている。

 戦いを終えて戻る途中で、ゲル状のあれらが飛び散っているのは憶えている。

 蒸気が出ていたので、そのほとんどは蒸発している気がするが……。


 止められない。止められる筈がない。

 ただの一個人がそれらを持ち帰るななんて喚き散らしたところで何になる。

 ただの頭のおかしい人間として見られるだけじゃないのか。

 俺はそう思って下手に行動する事無く黙って放置していた。


 ……まぁジョンもそれは分かっていた筈だ……奴が言っていたのは、恐らく鍵の事だろう。


 俺の中に入ったであろう鍵。

 何故かは分からないが、此処にあると認識できる。

 ジョンはこれをSAWに渡すなと言いたかったんだろう……もしかしたら、神に渡す事になるかもしれないがな。


 俺はそんな事を考えながら、イザベラの元へ向かおうと――


「おい聞いたか! またテロリストが暴れたらしいぜ。今度は東部の”ラタント”らしい」

「ラタント? あの高級街の? 恐ろしい奴だ。権力者たちから恨みを買おうがお構いなしかよ」

「あぁ派手に暴れたせいで、案の定、懸賞金が二倍以上に膨れ上がったらしい……でも、親玉の顔も名前も不明なのによぉ」

「噂じゃ二メートル越えの怪物みてぇな面の大男らしいぜ……うぅおっかねぇな。会いたくねぇよ」

「……テロリストか」



 すれ違い様に聞こえた会話。

 その内容はテロリストが東部の街で暴れまわったという事件についてで。

 テロリストの存在は以前から知っていたが……詳しくは知らない。


 この世界にも少なからず規模の大きいそういう類の組織はいた。

 俺たちも任務でそいつらの掃除を任されていたからな。

 ただ中には隠れ潜むのが上手い奴らもいて。

 そいつらは決まってリストの中でも、上位の組織だった。


 どんなに潰してもすぐに復活し。

 親玉と思って拘束した奴が、実はただの影武者だったり。

 数えきれないほどに辛酸を舐めさせられてきたからな。

 代行者でない限りは、リストのトップに名を連ねる奴らは掃除しきれないだろう。

 俺自身もそんな奴らには出会いたくない。


「……誰にだって不満はあるがな……」


 そう言葉を零して、俺は再び前を見て走り出した。

 テロリストも重要だが、俺は俺で忙しい。

 イザベラを輸送機に運んでから、俺の答えを皆に伝えよう。

 拒否された時の説得文を頭の中で考えながら、俺は重い足を前へと動かし続けた。

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