089:夢から現実へ
静かで美しいジャズの音色が響く店内。
明るい色味の照明が、モダンな雰囲気の店内を大人な空間に染め上げて。
パイロットやメカニックたちに癒しの空間を提供する。
此処に来る人間たちは、現実を忘れて酒を片手に語り合う。
邪魔する者はいない。店主すらも、口を挟むことなく個人の時間を尊重していた。
そんな普段であれば、癒しの空間が広がっているのだろうが。
一人の男の下品な程に煩い声で、ムードも何もかもがぶち壊しになっていた。
俺は酒の入ったグラスを傾けて、チビチビと中身を飲む。
隣に視線を向ければ、これでもかと顔を赤らめたデカい鼻をしたカウボーイハットの男――ヨハンがいた。
「だからおめぇさぁぁ? あそこはもっと攻めろよなぁぁ?」
「……具体的には?」
「だぁぁかぁぁらぁぁ! こうライフルでもナパームでも使ってどぉぉんとアタックしてだな。相手が動揺している隙に、搦手でぇぇぇ」
「……なるほど」
酒場の一角で男の声が響く。
俺の隣に座っているのは警備部のヨハンである。
唾を飛ばしながら、酔っぱらいは大きな声で俺にアドバイスをしてきた。
周りの客たちはうっとおしそうにヨハンを見ているが、酔っているこの男はまるで気づいていない。
あの模擬戦から何故かよく絡まれるようになり。
ちょくちょく飲みに行くような仲になってしまった……ほとんど俺の奢りで。
ヨハンは度数の高い酒ばかり飲んでいて、あまりカクテルなどは飲まない。
甘い酒は嫌いのようであり、今日はずっとテキーラをロックで飲んでいた。
ほどほどにしておけと言えばこいつは俺の頭を叩いてくる。
そうして、俺にとってのほどほどはこれくらいじゃ収まらねぇっと言ってがばがばと飲むのだ……だから腹が膨れるんだよ。
「……はぁ」
チラリと酒場の店主を見れば、呆れたような目をヨハンに向けてため息を零している。
店側からしたら金が入るからいいのかもしれないと思ったが、ヨハンは酒を飲めば飲むほど声が大きくなる。
よくそれでもめ事を起こしては、店の前で殴り合いの喧嘩をしているからだ。
最初は止めていたが、最近ではもう面倒なので放置していた。
喧嘩が発生すれば、それでお開きであり俺はさっさと宿舎へと帰る。
それまでは、メリウスの戦闘についてアドバイスなどを貰っていた。
……一応酔っていても、アドバイスはくれる。
ひどく曖昧に聞こえるが、付き合いを重ねるごとに言葉の意味も理解できるようになってきた。
そうして、彼からのアドバイスを受けて俺は自らの戦闘スタイルなどを見つめ直していた。
ヨハンから過去の話も聞かされた。
彼は思っていた通り元ゲリラ兵だったようで。
北部地方でそれなりに名の通った遊撃隊の二番手だったらしい。
エース級とは呼べないと自分で言ってたが、あの動きはそれに匹敵すると思う。
そう素直に褒めれば、何故かヨハンに頭を殴られた。
彼曰く、本物のエースは彼の親友らしい。
同じ遊撃隊の隊長であり、最も多くの戦果を挙げていたメリウスのパイロット。
残念ながら、とある任務にて盛大に戦死してしまったようだが。
ヨハンは悲しそうな顔をする訳でも無く、楽しそうに語っていた。
何故、そんなに楽しそうに親友の死を語るのかと聞けば、彼は一言奴がそう話せと言っていたからと言った。
『アイツはな。自分が死んだら悲しむんじゃなくて、面白おかしく話せって言うんだぜ……本当に変わった奴だったよ。あのバカは』
ヨハンはそう言いながら、その親友の嘘のような戦いを教えてくれた。
ある時は、戦いが長引いたせいで戦闘中に小便を漏らして危うくシステムが故障しかけた事や。
飲み過ぎてしまい二日酔いの状態で重要な作戦に加わり、機体が大破して帰ってきたことなど。
俺はそんな愉快と思っていいのか分からな話を聞きつつ、くすくすと笑っていた。
世界は広い。
ヨハンのような男もいれば、ライオットやドリスのような人間もいる。
それぞれに日常があり、人生があるのだ。
そういった他人の人生を聞かされるのも……偶には悪くない。
そんな事を思っていれば、ガタイのいい男たちが歩み寄って来る。
中心の男は身長が190センチほどで柱のような髪型をした顔中にピアスを開けていた。
殺気を放つそいつは、その青い瞳をヨハンに向けていた。
その男の顔は憶えており、ヨハンが五日前に殴り合いをした男だ。
あの後に話を聞けば、朝方まで殴り合いをして警備部の上司に双方共にこっぴどく叱られたと……怒ってるな。
「よぉヨハン。ちょっと聞いても良いかぁ?」
「あぁぁ? 何だぁクソした後のケツを拭いてくれってかぁデクの坊のムースくぅぅん?」
「……は、はは。面白いジョークだなデカ鼻のヨハンさんよ……テメェ、昨日俺の”これ”にちょっかい出したよな。えぇ?」
小指を立てながら、ビキビキと血管を浮かび上がらせるムース。
怒り心頭であり、笑顔であるが逆に怖い。
恐る恐るヨハンを見れば、間抜けな顔で何かを思い出そうとしていた。
暫く何かを考えてからポンと手を叩くヨハン。
「あぁ! あのケツのデカいパツ金の! いやぁふりふりと尻を振るもんだから遂触っちまったよぉ。いや、アレはマシュマロみてぇにやわら――ぶがぁぁ!!?」
「――ぶっ殺す」
最後まで言い終わる前に、ヨハンは顔面を強打されてカウンターの奥に弾き飛ばされた。
俺は大きくため息を吐きながら、ムースに帰っていいか尋ねた。
すると、ムースは拳をボキボキと鳴らしながら「お気をつけて!」と言う。
相手は三人であるが、あの様子からしてムースしか手を出さないだろう。
俺はカウンターに金を置いてから、そそくさと店を後にする。
後ろの方で男たちの叫び声が聞こえてきて、物が破壊される音も聞こえて来た。
マスターが「外でやれカスどもぉぉぉ!!」と叫んでいるが……ご愁傷様だな。
俺は扉を押して外に出る。
空はすっかり暗く、腕時計を確認すれば十一時を少し過ぎたくらいだった。
まだ時間に余裕はあるが、体も疲れているからさっさと帰ろう。
そう思いながら、俺はジャケットのポケットに手を突っ込んで帰って行く。
酒を飲むからとスクーターには乗ってこなかったが……乗ってきた方が良かったか?
体は少しだけ火照っており、風が心地いいが少し宿舎までの道が遠い。
時間に余裕はあるが、帰るだけでも三十分は掛かるのか。
そんな事を思いながら、俺は何とか宿舎まで帰って来た。
宿舎の窓からは光が漏れており。
まだ何人かは起きているんだろう。
時間的にはギリギリだが、アイツ等は俺と同じでまだ若い。
テストや訓練くらいでは、バテる事なんて無いんだろうな。
俺はくすりと笑いながら、宿舎の中に入ろうとして……ん?
何か獣の息遣いのようなものが聞こえた。
視線を向けた先には、長いロープに繋がれた小型犬がいた。
白い体毛であり、舌を出しながらはぁはぁ言っている。
つぶらな瞳に小さな尻尾……。
俺はキョロキョロと周りを確認する。
周りには誰もおらず。今なら誰も見ていない。
俺はあの犬が何処から来て誰が連れて来たのかを気にせず。
犬の前へと移動してから、見上げて来るそれをジッと見つめた。
「……」
「……?」
動物は好きだ。
特に小さいものは大好きだ。
丸っこくて柔らかくて、愛嬌があり癒される。
俺は興奮を覚えながら、怖がらせないようにゆっくりとしゃがむ。
そうして、ぎこちなく笑みを作りながらそっと手を伸ばして――!
撫でようと手を伸ばせば、急に犬が飛びついて来た。
警戒させいてしまったかと思えば、犬は器用に俺のマフラーに噛みついて剥がしてしまう。
するすると解かれたそれを下に落とせば、中から何かが飛び出して襲い掛って来る。
俺は咄嗟に手刀でそれを打ち落とした。
体が一刀両断されたそれがひらひらと落ちて……虫?
赤い色をした羽の生えた虫であり、尻の辺りには針がある。
恐らくは毒虫であり……そうか。これに気づいて取ってくれたのか。
「ワン!」
「……ありがとう」
マフラーを奪ったんじゃない。
その中にいる毒虫に刺されないように俺を助けてくれた。
俺は犬に感謝しながら、優しくその頭を撫でた。
犬は気持ちよさそうに目を細めていて、俺も口角を上げながらもふもふとしたそれを見つめて……後ろから音が聞こえた。
ばさりと何かが落ちる音で。
振り返れば、宿舎にいるパイロットの一人だと分かった。
手に持っていた袋を落とした音であり、俺は首を傾げながらどうしたのかと尋ねようと――!
俺は自らの状況を思い出す。
今はマフラーが取れた状態であり、アイツには首輪が見えている。
驚いたように目を丸くしているそいつはわなわなと震える指を俺に向けてパクパクと口を動かしている。
そうして、俺が声を掛ける前に中に入って行った。
暫く呆然としていれば、宿舎の中から声が聞こえて来た……やってしまった。
こんな形で異分子である事がバレてしまう何て想像していなかった。
もう中で言いふらされており止めようがない。
俺はゆっくりと落ちたマフラーを付け直してから、悲しそうな顔をする犬の頭を撫でた。
「……お前の所為じゃない……今度は何かを持ってくるよ……おやすみ」
「くぅ」
俺はその場から立ち上がる。
そうして、歩き始めて宿舎の扉の前に立つ。
中からは男たちの声が聞こえてきていて、俺の名前も聞こえて来る。
こうなるかもしれない事は予想していた。
どんなに隠そうとしても、何時かはバレてしまう。
だからこそ、俺は……いや、いい。
俺は異分子だ。
アイツ等とは違う存在だ。
だからこそ、何と言われても仕方がない。
俺はゆっくりと取っ手を掴み扉を開けた。
「……っ」
中に入れば、先輩たちがいる。
その誰もが、俺が入って来れば目を逸らしていた。
俺はそんな彼らに何もいう事が出来ずにいた。
管理人室からはオットーさんも出ている。
彼は先輩たちからの質問に答えかねていた様子だ。
彼だけが俺の元に歩み寄ってくれて、すぐに部屋に行くように言ってくれた。
俺は静かに頷きながら、彼らからの疑惑の視線を無視して――
「ナナシ、お前……異分子だったのか」
「…………あぁ」
先輩の一人が尋ねて来る。
俺はそれに肯定する事しか出来なかった。
先輩はそれ以上は何も言わない。
恐怖や不安。そして、怒りなどを含んだ無数の視線を浴びながら、俺は自室の中に入って行った。
ガチャリと扉を閉めれば、話声が聞こえて来る。
俺はそれらの声を無視する様にベッドまで歩いていく。
靴も脱ぐことなく、ベッドに仰向けに倒れる。
そうして、心臓に手を当てればドクドクと激しく鼓動していた……恐れていたんだな。
どんなに平静を装うとも、俺は恐れていた。
皆に知られて、あぁいった視線を向けられてしまう事を怖がっていた。
そうはならない、大丈夫だ……結果は、この通りだ。
知っている。知っていた。
俺は異分子であり、ただの感染者だ。
普通の人間からすれば、病原菌を持った奴であり。
見たくも無ければ触れたくもない存在だろう。
怖がれることも怒りを向けられるのも当然だ。
ヴァンたちだ。
彼らの存在が、俺の感覚を鈍らせていた。
先輩たちの反応が普通で、ヴァンたちが異常なだけだ。
俺は乾いた笑みを零す。
そうして、天井のライトに手を向けながらぼそりと呟く
「……世界にとっての癌なんだ……俺たちは」
その言葉を発しただけで、心臓がちくりと痛みを発する。
俺はその痛みを噛みしめながら、ゆっくりと瞼を閉じる。
心地よい熱も完全に冷めて、夢から現実へと引き戻された。
甘い夢のような時間は終わり。
明日からは辛く険しい――現実が待っているんだろう。
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