088:見えざる手

「……よし」


 額の汗を袖を捲った腕で拭う。

 体は動き過ぎて熱を持っており、呼吸は少しだけ乱れていた。

 が、それだけの働きで得られたものは大きい。

 目の前にはピカピカに磨き上げられたアンブルフがいる。

 心なしか愛機も喜んでいる様に感じて、思わず笑みが零れてしまう。


 破損した部分の装甲を取り換えて貰って。

 軽いシステムチャックを受けた。

 その結果、装甲に凹みや傷があるだけで内部機構には問題ないと言われた。


 メカニックの方々にお礼を言ってから、洗浄作業は自分一人でやると伝えた。

 そうして、その後は己一人で黙々と機体を磨いていた。

 水を上から大量に浴びせてメリウス用のシャンプーをつける。

 デッキブラシで力強く磨いて行きながら、煤の汚れを落としていった。

 時間はかなり掛かったようで、窓から見える空は既に暗かった。


 何度も何度も同じ工程を繰り返し。

 そうして、ピカピカに磨き上げられたアンブルフは新品同様だった。

 俺は満足そうにそれを見つめてから、ゆっくりと近くの椅子に座る。


 アンブルフが置かれていた研究所の一室。

 周りにはメカニックの方々も研究者の方々もいない。

 ウッドマン室長やバーナー博士も先ほどまでいたが。

 ハーランドさんに呼び出されたようで急いで彼女の元に向かっていた……慌てていたが何かあったのか?


 少しだけ彼らの心配をしながら。

 ウッドマンさんが休憩用に置いて行ってくれたスティックコーヒーを取る。

 カフェイン二倍と書かれたそれは眠気覚ましには効果抜群だろう。

 そんな事を思いながら、スティックの中身を白いカップに注ぐ。

 そうして、ポッドに入った熱々のお湯を中に入れた。


 トクトクと注げば、ふわりと湯気が立ち。

 スティックの中身とお湯が混ぜり合い香しいコーヒーの香りを届けてくれた。

 琥珀のような色をしたそれを見つめながら、傍にあった砂糖やミルクを入れようと……いや、いいか。


 今日は少しだけ眠い。

 久しぶりの生の戦闘で、少し疲れたのかもしれない。

 いや、半日以上をメリウスの洗浄に費やしていたのも関係しているだろうが……兎に角、目が覚めるような一杯を体が欲していた。


 ティースプーンで軽く中身を混ぜてから、それを取り出す。

 そうして、テーブルの上に置いてからカップの取っ手を掴む。

 ゆっくりと鼻に近づけて香りを嗅げば濃く深みのある苦みが感じられた。


 口をつけて温かなそれを飲む。

 すると、口内に目が覚めるような苦みが広がって行く。

 いや、苦いだけじゃない……風味が豊かでありながら、何故か濃い筈なのに優しい味だ。


 目が覚めるようではあるものの、後を引くほどしつこくない。

 口触りは何方かといえばマイルドな方であり、気になってスティックの袋を見る。

 すると、特殊な方法で抽出した際に発生するカフェインのようで。

 通常のカフェインの二倍の効果がありながら、その味はやわらかく優しい様だった。


 風味が豊かでありながら、その後味はさわやかで。

 口内に広がった苦みも一瞬でやわらかくなっていく……不思議な飲み物だな。


 そんな事を思いながら、俺は静かに息を吐き――端末が鳴る。


「……誰だ?」


 カップを置いてから、ポケットから端末を取り出す。

 そうして、連絡をしてきた人間が誰かと確認して――!


 相手の名前は”ヴァン”になっている。

 久しぶりの相棒の名前であり、何故、このタイミングで掛けて来たのかと思ってしまう。

 互いに連絡をせず。俺自身の中では、成長を確認してから連絡をするつもりだったが……関係ない。


 俺は口角を上げながら、連絡を繋ぐ。

 そうして、耳に充てながら相棒に返事をした。


《よ! 元気にしてるか?》

「……あぁ何とかやれてるよ……ヴァンたちはどうだ?」

《んあ? 俺たちか? 俺たちはな――ておい! ヤメロ、ヤメロってぇぇぇ!!》


 何やら揉めている。

 声を聞けば、ミッシェルでありヴァンから端末を奪おうとしていた。

 暫く二人の言い争う声を聞いていれば、別の人間の声が聞こえて来た……イザベラだな。


《騒々しくて悪いね。アンタの事になると何時もこうなんだ……馬鹿ども! スピーカにすればいいだろ!》

「ふふ」

 

 そう言って、イザベラは皆に聞こえるようにしてからカメラを起動する。

 俺は端末を持ちながら、久しぶりの仲間の顔を目に焼き付けた。

 ヴァンは操縦端を握りしめていたが、オート操縦に切り替えて端末の方に近寄って来た。

 ミッシェルはヴァンの横に立ちながら歯を見せて笑い手を振る。

 ヴァンもミッシェルも変わっていない。イザベラも何時も通り頼もしい笑みを見せてくれた。


《……その、な? 本当はお前の連絡を待っていようって言ったんだけどさ……み、ミッシェルがお前の声を聞きたいって――うばぁぁ!!!?》

《――!!!》


 ミッシェルが無言で怒りを露わにする。

 そうして、ヴァンを右拳で殴り飛ばし。

 そのまま画面外で殴り続けていた……何時か死ぬな。


《……ま、本当の所はどっちもが寂しかっただけさ……私も可愛い弟分の声が聴きたかったんだ。笑えるかい?》

「……笑わない。俺も皆の顔が見たかったから」


 俺がそう本音を言えば、ヴァンとミッシェルは起き上がりしんみりとした顔をしていた。

 そうして、ミッシェルが「いじめられていないか? いたら俺がぶん殴ってやる!」と言う。

 俺は笑みを浮かべながら、新しい友が出来た事を報告する。


「ライオットとドリスという名前で、俺よりも年齢は下だが。気さくで良い奴らだよ」

《そうか……うん、なら良かった。上手くやれているなら、それで十分だ。な?》

《……まぁな……それで、俺のアンブルフはどうなってんだ? アレから弄ったのか?》

「……あぁ、詳しくは言えないが……新しい操作システムを導入してもらった……最初は苦戦したが。ちょっとした戦闘でコツを掴んだ。今日は模擬戦をしたんだが、上手く戦えていたと思う」

《……へぇ、勿論、勝ったんだよね》


 イザベラは試すような口ぶりで言う。

 俺は苦笑しながら、首を左右に振る。


「時間切れで引き分けだ……たぶん、元ゲリラ兵かもしれない」

《ゲリラねぇ……てことは北部の人間が可能性としてはありそうだね……ま、学ぶことがあったなら引き分けだっていいさ。負けても生きてればいいんだ。傭兵は死なない事が一番の目標なんだからね》

「……そうだな……それで、何か伝えたい事があるんじゃないか? 寂しいからという理由だけで、ヴァンたちが掛けて来ると思えないんだが」


 俺がそう質問すれば、ヴァンは「やっぱり分かっちまうか」と呟く。

 その口ぶりからして、何か深刻そうに聞こえてしまう。

 俺は真面目な顔をしながら、何があったのかと聞いた。

 すると、ヴァンは重い口調で伝えるべき事を明かしてくれた。


《……実はな。今、俺たちはヴァレニエから離れた場所にいるんだよ。イザベラが依頼を受けて……あぁ、依頼自体は無事に完了したんだよ。今は帰る所だ……それで、お前に連絡する前に情報屋から連絡が入ってな……どこぞの人間が。お前が暴走しちまった場所を調べているらしい》

「……! 何故、あそこを」

《……情報屋も詳しくは分からねぇって言ってた。調べようにも、ヤバい組織らしくてな。少しでも痕跡を残しちまったら、消される可能性があるって言ってたほどだからな……今回の事はあくまで忠告の為らしい……俺たちは念の為に、その組織が何者なのか分かるまでは身を隠すつもりだ。ナナシにも詳しい場所は言えねぇけど。せめて、伝えとこうと思ってな……たぶんだけど、お前の所にも来るかもしれねぇから用心してくれ。セシリアには俺から伝えておくからな》

「……分かった……気を付けてくれ。危なくなったら、すぐに俺に連絡をしてくれ。絶対にだ」

《……あぁ勿論だ……それじゃ、またな》

《元気でな! 風邪ひくなよ!!》

《土産は酒でいいよ。楽しみに待っているからね》

「ふふ、あぁ分かった。またな」


 俺はそう言いながら手を振る。

 通信は切れて、俺はゆっくり端末を机に置いた。

 静かに息を吐きながら、ヴァンたちの言葉を思い出す。


 俺が暴走した場所とは……アンドレーが死んだ場所だな。


 あの場所を調査しに来た人間がいる。

 それも組織という事は複数名だろう……何が目的だ?


 あんな場所を調べに来て得がある人間と言えば六極警察隊くらいか。

 アンドレーは正式に指名手配されており、死体とはいえ回収しなければならないだろう。

 しかし、俺たちはあの場所でアンドレーを倒した事を警察隊には報告していない。

 誰もあそこで戦闘があった事すら知らない筈で……まさか。


 警察隊ですら知らない情報を掴んだ組織。

 それは彼らより上の力を持った人間たちで――神が送った人間か。


 その可能性が一番高い。

 知り得ない筈の情報を得られるのは、この世界を知り尽くした存在だけで。

 カメラも無いあの場所を精確に観測できるとすれば、神以外にいないだろう。


 神という大物が動いた可能性。

 信じられないし信じたくはないが。

 もしもそうであるのなら、奴らは何故、あの場所を調査しようと思ったのか……。


「……異常が発生したからか……確かに、アレは異常だな」


 自分でも理解できない現象。

 俺は確かに、アンドレーの攻撃を受けて死んだ筈だ。

 機体もボロボロであり、真面に立つ事すら出来ない状態だったはずだ。

 それなのに、アンブルフは動き。異常なまでの動きで瞬く間にアンドレーを殺したとイザベラは言っていた。

 直接は見ていなかったらしいが、圧倒的だったのは確かだったらしい……。


 俺は死んだ。しかし、死から蘇りぐちゃぐちゃの筈の肉体は一瞬にして再生した。

 機体も動く筈がないのに、元のスペックを超える動きをしていた。

 その二つの奇跡を俺が起こした……神はその異常を検知し、調査員を派遣したのか。


 恐らくは、ヴァンも俺と同じ考えに至っている筈だ。

 それを俺に明かさなかったのは、通信が漏れた場合を考えてであろう。

 此方はまだその組織の情報を掴めていない。

 だからこそ、隠れるとだけ伝えていれば、その組織も強硬手段には出ないだろう。


 いや、まだ分からない。

 その組織の規模も、調査をする真の目的も不明だ。

 何をしているのかは分からないが……今はヴァンたちを信じる他ない。


 現時点では、調査に向かわせたことから神も全てを把握している訳ではないと分かる。

 全知全能の筈の神が、態々、人間を派遣する理由なんてないからな。

 つまりだ。俺やヴァンの情報も無く、正確な位置も不明のままなんだろう……楽観視は出来ないがな。


 迂闊に連絡を取り合う事も出来ない。

 此方から助けにいく事も現状では得策とは言えない。

 相手がどんな手を使って来る事も分からないんだ。

 もしも、此方の始末を考えているとすれば……やめよう。


 危険な思考に嵌りそうになった。

 もしも、此方の命が狙いであれば、態々、調査何て事はしない。

 調べる事に時間を掛けるという事は殺すよりも、生かす方で考えている可能性が高い。

 利用価値があるかどうかを調べているのが最も濃厚だ。


「……本当に神なら……どうしようもないがな」


 強大過ぎる相手。

 文字通り、天と地ほどの差がある。

 もしも神が敵となるのであれば、世界そのものが敵となるという事だ。

 その未来だけは絶対に回避したい。

 もしもそうなったのなら……俺一人の命で許されるのか?


 神という存在が現れて。

 俺の心は不安や恐怖に染まりそうになる。

 片手で心臓を押されれば、ドクドクと鼓動を速めていた。


 俺はその鼓動を認識しながら頭を左右に振る。

 そうして、それらを忘れる為にコーヒーを飲む。


 勢いよく中身を飲めば、すっかりぬるくなっている。

 最初の時の温かさは無く、ただただぬるいそれを美味しく感じる事は出来なかった。

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