084:忘れていた恐怖(side:ネイト→ナナシ)
ナナシという傭兵を俺は知っていた。
ハーランドさんが直々に連れて来たパイロットで、新型を与えられる予定の男。
最初はどれほどの腕なのかと期待していたが。
実際に見てみれば、あまりにもお粗末な腕に落胆した。
まるで、少しだけメリウスの操作知識があるだけの素人に毛が生えた程度の技量。
歩く事もままならないのは見ているだけで分かった。
司会者の男が言っていた室長の車を破壊したというのも本当だろう。
少し焦っていたが、安心した。
こんな奴に俺が負ける筈がない。
こんな奴が俺の地位を脅かす筈がない。
そう安堵して、何時まで保つものかた思っていた――が、奴は此処に姿を現した。
ひょいひょいと試合場に現れた奴。
愚かにも此処で一番の実力があると言われている俺に挑戦すると聞いた時は笑いそうになった。
恥の上塗り。いや、それ以上だ。
だからこそ、奴が啖呵を切った時は少しだけ驚いた。
すぐに終わらせる。
時間は有限であり、こいつに構っている暇は無い――そう思っていた。
高機動戦状態で夜空の下を飛行する。
手は汗で濡れていて、暑くも無いのに汗がどんどん額から流れ落ちていく。
呼吸が荒く、俺は恐怖を感じていた。
背後を向きながら、追いかけて来るダークグリーンの機体を見る。
何の変哲もない量産型のニューライフ。
カタログスペック通りのごく単純な作りのそれから、途轍もないプレッシャーを感じる。
奴は青くセンサーを発光させながら、機体を回転させる。
此方の狙いを逸らす為の飛行。
誰でも出来る飛行――いや、違う。
「何なんだ! 一体お前は――っ!!」
腕を動かしてミニガンを構える。
ガラガラと音を立てて、無数の弾丸が奴を破壊する為に飛翔する。
ひたすらに撃ち続けながら、奴の動きを完全に止めようとした。
キラリと奴のセンサーが光る。
そうして、止まるどころか更に加速し、弾幕の中を突き進む。
見えている。見えていなければ、あんな真似は出来ない。
サブスラスターをフルに使い、弾幕の中に空いた僅かな隙間に機体を滑り込ませている。
あり得ない。あんなに無様な姿を晒していた男が、神懸かり的な操作技術を俺に見せつける。
奴は一度も停止せず、最小限の動きで弾幕の中を縫うように移動してくる。
火花が僅かに散る。当たっていた。いや、精確に言うのであれば掠めている。
姿勢が乱れる事も無く、奴は完璧に機体を制御し俺へと迫ろうとする。
「――クッ!!」
ロックオンをしてからの攻撃では遅い。
最早、ミニガンでの攻撃では奴を抑えられない。
俺は早々に精密射撃を諦める。
そうして、牽制目的で奴へと攻撃を続けながら、サブの武装の火器統制システムをAIによる操作に切り替える。
休むことなく弾丸を放ちながら。AIが奴へとロックオンを開始する。
奴は此方の動きを読み取り、直線による移動を止めて大きく横へと移動を開始した。
距離を離す訳じゃない。
進行方向を大きく変化させながらの変則機動で――冗談だろ?
笑いすら出ない。
あんなにも大胆で出鱈目で動きで、体が保つ筈がない。
観客を飽きさせない為に、俺たちのシミュレーターには本番さながらの空気を味わえる機構が取り付けられている。
体に掛かるGや熱など、”死なない程度”に再現されている。
そう、死なない程度だ……死なないだけで吐く事もあれば気を失う事もあるのにな。
狙いが定まらず、レーダーにも誤差が生まれ始める。
ロックオンサイトが揺れ動きながら奴を追うが、その姿を捉えきれない。
俺自身も気を抜けば、奴の姿を見失ってしまう。
奴には恐れが無い。いや、致命傷にならないと理解している。
だからこそ、弾幕の中を突っ切って最短の距離で移動するなんて真似が出来るし。
あんなにも無茶な操縦が出来ると考え付く――イカれているッ!
奴が動きを変える。
此方の狙いを乱す動きから、一気にブーストして俺に迫る。
俺は背筋をぞくりとさせた。
そして、アシストを使いスラスターを全力で噴かす。
甲高い音が響き、すぐそこに迫った奴の機体を大きく離す。
速度を徐々に速めながら、限界まで高度を上げていく。
奴から距離を取り、安全圏からの射撃を行えば奴は自滅――
瞬間、奴の機体から連続して爆音が響いた。
奴の機体の像がブレる。
そうして、瞬きをした一瞬で大きく距離を離した俺に追いついて見せた。
爆発音がまた鳴る――更にブーストだとッ!?
ここまで高度を上げている中で、奴は連続してブーストして此方を追い抜いていく。
奴の機体がセンサーの範囲から一瞬で消える。
あり得ない。シミュレーターとはいえ、リアルに近づける為に大気圧の再現もしている。
あんなにも一気に高度を上げれば普通の人間なら耐えられない。
いや、それどころか一気にエネルギーを消耗した上に意識を失うほどの負荷を受けた筈だ。
ニューライフだぞ――ワンオフじゃない、第四世代型の量産機如きが――ッ!!
センサーを上空へと向ける。
奴は月を背にして浮遊していた。
まるで、俺が来るのを待っているようで――ッ!!
奴が両手のカスタムライフルを俺の機体へと向ける。
システムがロックオンされたと警告してくる――まずいッ!!
本能で危機を察知した。
リスクがあると知りながらも、全てのスラスターを使って一気に方向を転換する。
体全体に強烈なGが掛かり、意識が持っていかれそうになる。
強い吐き気を一瞬感じて、次にふわりとした感触に包まれ意識を手放しそうになる。
強く唇を噛む。ガリっと音がして口内に血の味が広がった。
痛みにより意識を強引に保ちながら、奴の機体にミニガンを向けて――いないッ!?
奴は何処に――何処に消えたッ!?
霞のように奴の機体が消える。
レーダーにも反応が無い。
まるで、コアが停止したような反応だ。
こんな環境何て知らない。
此処まで追い込まれた事は無い。
傭兵時代も、此処に来てからも吐き気を覚えるような経験は無かったのに――っ。
奴は危険だ。
奴に近づいてはいけない。
姿が見えなくなった今、不用意に止まる訳にはいかない。
奴は何度もブーストをしていた。
つまり、大量のエネルギーを消費した状態であり、長く見積もっても十分ほどが限界だろう。
それまで逃げていれば奴はガス欠で自滅する。
――そうだ、それで勝てる。
卑怯とは呼ばせない。
傭兵であるのなら理解している筈だ。
機体性能の差で死に、技量の差で死に――どれもこれも準備不足だっただけだ。
負け犬のいい訳。
金がない貧乏人の戯言。
傭兵として名を上げるのなら、より強い人間に頼るしかない。
金を貰い、名を広めてもらい、最高の環境でトレーニングをし。
そうして俺は、Cランクになったんだ。
「……そうだ。俺はCランク……誰にも負けない。誰にも、俺は」
ぶつぶつと独り事を喋り続ける。
喋っていなければ落ち着けない。
胸の鼓動がどんどん速まっている。
今にも口から心臓が飛び出しそうなほどで、システムがバイタルの不調を伝えて来る。
兎に角、距離を離しながら奴を――え?
レーダーが敵影を捉える。
表示された高度は――下ッ!?
センサーをそこに向ける――が、いない。
「――何処にッ!」
口がカラカラに乾く。
視線を動かしながら奴を探して――音?
小さな爆発音が聞こえた。
遠くから聞こえるそれが段々と近づいてきて――
息を飲む。
いる。そこに奴がいる。
センサーの端で何かが揺れ動いた。
そちらに向きながら攻撃を仕掛けた――が、奴は既にそこにいない。
俺の弾丸は空を切り、不安と恐怖が一気に高まる。
瞬間、誤差により機影を捉えきれなかったレーダーが反応する。
警告音が鳴り響き、敵の接近を伝えてきて――後ろにッ!!?
何時の間に――そう思ったが最後だ。
「グァァァ!!?」
機体が大きく揺れた。
頭が激しく揺さぶられてシートに何度も打ち付けた。
痛みを発する頭部。しかし、今はそんな事は気にしてられない。
背後を振り向いた瞬間に、胸部に奴の鋭い蹴りが突き刺さる。
センサーの映像が大きく乱れて、胸部に深刻なダメージが入ったとシステムが報告してくる。
高い金をかけて作り上げた俺の愛機の機体データ。
それを忠実に反映した筈なのに、胸部に大きな亀裂が走っている。
分かっている。何発も奴の銃弾を浴びて、奴の蹴りも何度も喰らった――まさかッ!!?
奴は狙っていた。
カスタムライフル如きではダメージが入らない事を。
だからこそ、一点に狙いを絞り集中攻撃を仕掛けて来た。
相手はCランクだぞ、戦った事も無い相手なのに――何故、そんな決断をッ!
視界がパチパチと弾けている。
強い吐き気に、頭がズキズキと痛みを発していて――気持ちが悪い。
バッドコンディションの中で。
ゆっくりと己の状況を再認識する。
そうして、正気に戻り無防備になっている己の機体の姿勢を安定させようと――
「ああああぁぁぁぁ!!!?」
頭上から弾丸の雨が降り注ぐ。
バチバチと音を立てて装甲に傷がついていく。
どんなに頑丈な装甲を身に纏おうとも、これだけの攻撃を喰らえば限界が来る。
システムが警告を発して、中破状態に追い込まれた。
スラスターの出力も低下し、操作システムにも異常が検知されている。
俺は半狂乱状態に陥りながら、必死になって雨から逃れた。
バチバチというスパーク音が響いていて、コックピッド内は真っ赤に染まっている。
機体全体から嫌な音が鳴り響いていて、センサーの映像が激しく乱れていた。
「はぁはぁはぁはぁはぁはぁ――あぁぁ!!」
何処にいる。何処に消えた。
レーダーが上手く機能していない。
悪魔を探す。必死になって目を動かす。
月光の下で踊る様に戦う――あの化け物をッ!
思い出した。今まで忘れていた。
平和ボケしていただけだ。
この世界には確かに存在する。
戦闘において天才的なセンスを発揮し、戦場にいる無数の敵を蹂躙する人間たちが。
理不尽な暴力、理不尽なまでの強さ。
何者にも縛られずに、この広い大空を舞う傭兵たちが――奴なんだ。
この男が、ナナシが――俺が最も恐れた傭兵の一人なのだと。
「あああああぁぁぁ!!!!」
ぶつりと緊張の糸が切れる。
そうして、精神が限界を迎えて肉体が勝手に辺り一帯に攻撃をさせた。
ミニガンをバラまきながら、出鱈目な動きで攻撃を仕掛ける。
まるで幻のように、傭兵たちの姿が見えていた。
俺が恐れて逃げ出した戦場に必ずいた化け物たち。
知っている。理解している――俺は奴らにはなれない。
人一倍臆病で、ここぞという時に判断できない。
どんなに腕が良くても、どんなに知識があってもそれを活かせない。
だからこそ、無難な依頼を選んではそつなく熟し。
運の良い事にハーランドの重役の目に留まり、傭兵雑誌のモデルを引き受けるなどしてCランクに上がっただけだ。
俺は傭兵じゃない。Cランクはただのメッキだ。
ハーランドの客寄せであり、本物は今――俺の近くにいる。
怖い、怖い、怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い――怖い!!
呼吸が荒くなっていき、心臓はかつてないほどに早鐘を打つ。
死神の息遣いが聞こえて来る。
冷たい死の風が体に掛かっているようで。
俺は全身をブルブルと震わせて、ガチガチと歯を慣らした。
寒い、寒いよ――凍えそうだ。
これだ。戦場で感じる冷たい風。
身を凍り付かせるそれが、今吹いている。
俺は目に涙を溜めながら、この時間が終わるのを必死に願い――ッ!!
背後から気配を感じた。
俺は直感で脚部を動かして回し蹴りをする。
サブスラスターを使う事で力を上乗せした回し蹴りであり、威力は相当なものだ――いない!?
そこには何も無い。
あるのは空中に滞留する青い粒子で――ぅぁ!?
強い衝撃。
機体全体を揺らすほどの衝撃を感じた。
頭をシートに打ち付けながら、センサーを下に向ける。
するとそこには――奴がいた。
青い光を放つセンサー。
バランスの良い機体フォルムをした何の特徴も無い量産機。
暗闇の中で目立つ事の無いダークグリーンの機体は俺の機体を上へと押し上げていく。
上へ上へ。限界を知らない奴は、何処までも俺を連れて行く。
頭が痛い、吐き気がする。
嫌だ。もう嫌だ。こんな経験は――
「ク、ソがぁぁぁ!!」
ミニガンを向けようとした。
しかし、凄まじい加速によって狙いが安定しない。
その上奴は俺の機体の懐深くに入っている。
砲身の長いこれでは当てる事は不可能だ。
ガンガンとミニガンの砲身を奴の機体にぶつける。
奴の頭部や肩に当たり、奴の装甲が僅かに凹む。
小さな抵抗。奴の装甲を傷つけることしか出来ない。
死が迫っている。冷たい死が俺の心臓を掴む。
ぐにゃりと視界が歪んでいく。
目に水が溜まり、浅い呼吸を繰り返す。
――嫌だ、嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だァァァァ!!
奴はキラリとセンサーを光らせる。
そうして、片手のカスタムライフルの銃口を俺のコックピッドに向けて――
「ヤメロォォォォ!!!!!?」
《――あばよ》
奴の別れの言葉。
それが聞こえた瞬間に、けたたましいほどの炸裂音が響く。
無数の閃光が迸り、視界が白い光に包まれて。
ガンガンと何度も何度もコックピッドが強く叩かれた。
体が大きく揺れて、柔らかいシートに何度も何度も頭をぶつける。
俺は悲鳴を上げながら終わりを待ち続けて――ぶつりと糸が切れる音を聞いた。
〇〇
視界に映るのは、ゆっくりと落ちていく白い機体の残骸だ。
コックピッドの部分に無数の穴を空けて。
センサーの光は完全に消えているそれは、ひらひらと落下していく。
俺はそれを静かに見つめて……映像が切り替わり、俺の勝利をシステムが知らせる。
「……こんなもんか」
試合が終わる。
結果は俺の勝利であり、友たちの想いは守る事が出来た。
久しぶりのレバーとボタンによる操作であり……楽しかった。
ゆっくりとハッチが開いていく。
俺はゆっくりと外へと出て行った。
眩しいスポットライトを当てられながら、俺は片手で視界を塞ぐ。
そうして、近くに立つ司会者に視線を向けた。
「……」
「……?」
司会者の男は何も言わない。
呆然とした様子であり、凍り付いた笑みのまま俺を見ていた。
笑ってはいるが頬がひくついていて、ダラダラと汗を流していた……何を怖がっているんだ。
俺は訳が分からないと思いながら首を傾げる。
そうして、何も無いなら帰っていいだろうと考えてその場を後にする。
見れば、観客の奴らも無言のまま立ち尽くしていた。
先ほどまではあんなに陰口を叩いていたのに……気味の悪い奴らだな。
俺はムスッとした顔のまま壇上から降りた。
すると、おずおずと観客たちが道を開ける。
その誰もが俺を恐れるような目をしていた。
俺はそれらを無視して、ライオットとドリスの前に立つ。
「……勝った……帰ろう」
「……あ、あぁ……金は勝手に振り込まれるからな……い、行こうか」
「は、はい」
「……?」
俺は二人の様子が変だと思いつつ、試合場から去って行く。
コツコツと静かになった試合場の中で俺たちの足音が響いて。
自動扉から外へと出れば、肌寒い風が吹いていた。
ゆっくりと扉が閉じられて――中から歓声が聞こえて来た。
「……何なんだ?」
「――スゲェェェ!!! スゲスゲスゲェェェェェ!!!」
「アレが傭兵の戦い方なんですね!!! そうなんですね!!! そうですよね!!!?」
「――!!?」
黙っていた筈の二人が急に興奮し始めた。
俺は驚きながら一歩後退する。
二人からキラキラとした視線を向けられながら、たらりと汗を流した。
試合場の中からは歓声が鳴り響いていて。
二人は早口で俺に賞賛の言葉を送って来る。
俺は少しだけ頬が熱くなったのを感じながら、二人からの拘束を逃れてスクーターに乗る。
ヘルメットを被ってから、そのままアクセルを吹かして去って行った。
「待ってくれよナナシ!!!」
「あぁ!! まだ聞きたい事がぁぁぁ!!」
「……っ」
後ろから二人の声が聞こえる。
何故、逃げ出したのかは分からない。
何故、こんなにも心臓がドクドクと鼓動しているのかは分からない。
恥ずかしさ、照れくささ……確かに感じている。
しかし、それよりも感じるのは嬉しさで……ダメだな。
「……ふふ」
気を抜けば口角が上がる。
にやけた顔をしてしまいそうであり、俺はそれを見られたくないからと逃げ出したのかもしれない。
嬉しかった。心の底から嬉しかった。
ヴァンたちの仲間になった時のように、自分が認められたような気がして――堪らなく嬉しかった。
俺はによによとしながら、夜の施設内を疾走する。
後ろからは仲間たちの声が聞こえてきていて。
隣に並ぶまでにこのにやけ面を収める必要があった。
必死になって顔のゆるみを直そうとして――また緩む。
ダメだ。こんな間抜け面は見せたくない。
それなのに、心とは裏腹に体が言う事を聞いてくれない。
俺はこの気持ちに戸惑いながらも、悪くは無いと思っていた。
――エマ。また一つ、思い出が出来たよ……大切な思い出がな。
夜空に浮かぶ月を見る。
真ん丸とした黄金のような輝きを放つそれは、まるで宝石のように美しく。
今は亡き友の顔を思い浮かべながら、俺は目を細めて笑っていた。
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