085:空っぽの影たち(side:ベン・ルイス)
何処までも続く荒野。
熱を帯びたような風が吹けば、さらさらと砂が舞う。
見えるものは丘やほとんど整備されていない道。
転がっているものは枯れ木と動物の骨くらいだろうか。
似つかわしくないものもある。
メリウスの部品らしきものが散乱しており、激しい戦闘があった事は一目瞭然だ。
黒焦げの装甲や完全に破壊された状態の動力系部品。
それらを調べれば戦闘が起きた時間などの推測も出来た。
灼熱の太陽の下で活動する部下たちは、白い耐熱コートとマスクをつけて調査を続ける。
私自身も耐熱コートを羽織り、フードを被って太陽からの熱から己を守っていた。
調査開始から三日ほどだが、それなりに情報も集まって来た……が、まだ不十分だ。
私はゆっくりとしゃがみ、グローブ越しに枯れ木に触れる。
すると、指先が軽く触れただけでそれは砂のようにさらさらと消えていく。
まるで、人が触れるまでは形を保っていたようなものばかりで。
骨も枯れ木も、同じように触れただけで粒子となり風と共に消えていった。
「……似ているな」
この状況は知っている。
この状態のものも見た事がある。
妙だと感じる現象。
形があるが、触れただけで消えてなくなる。
まるで幻であり、光で浮かび上がる影のようで。
あるもの全てがまるで――”
魂が無い。
そこにあるのは影であり、触れれば消えてなくなる。
この現象を私はかつて見た事があった。
たった一度だけであり、その時にそこに存在したものは――旧時代の”魔王”だけだ。
全てを塗りつぶし、黒く染め上げるもの。
灰塵と我々が呼ぶ黒いエネルギーを身に纏う災厄。
アレが通った後には影しか残らない。
そう、魂が抜き取られた影だけが残る……同じだな。
私はゆっくりと立ち上がる。
そうして、砂の上を歩いて行った。
サクサクと音が鳴り、私は周りの部下に指示を出しながら歩く。
そこかしこに残骸が散らばっていた。
それらはほとんどがメリウスの部品であり。
此処で戦闘が起きていたのは一目瞭然だ。
問題は誰が戦っていたかであり、その内の一人は既に確保した。
……と言っても、既に抜け殻となった肉体だけだが。
足を止めて、一つのメリウスを見つめる。
透明の羽のようなものが生えていたメリウスで。
機体は破壊されて、羽のようなものも半ばから折れて砕け散っていた。
コックピッドのハッチは展開されていて、部下たちが端末を持ちながら調べていた。
道化師のエンブレムが張られていたそれは傭兵の機体だった。
名前はアンドレー・バッカスであり、それなりに名の知れた男だ。
忽然と姿を消していたが、遂先日、とある街で連続殺人事件への関与がある事が発覚し。
六極警察隊から正式に指名手配されて追われる身となっていた。
それくらいであればすぐに分かる事。
問題はこのネームドであるこの傭兵が、誰に殺されたかだろう。
機体は大破していて、修復するには時間が掛かるだろう。
別に機体そのものを修復しなくてもいい。
此方が欲しているのは記録映像だけで、機体自体はどうでもいいのだ。
しかし、あまり悠長に修理をしている時間も無い。
ゆっくりと視線を向けた先。
そこには黒い布に包まれた何かが椅子に固定されていた。
無数の針を刺された状態であり、その針の先には無数のコードが取り付けられていた。
私はメリウスを調査している一人に声を掛ける。
すると、彼は作業の手を止めてから私の前に立ち敬礼をする。
私は楽にするように言いながら、作業の方は進んでいるかと質問する。
「ハッ! 機体データの修復にはやはり時間が……ですが、魂の修復は残り三分ほどで完了するかと……肉体の方はどう致しましょうか?」
「……使い道があるかもしれない。調査が完了しだいアラカワ博士のいる生体工学研究センターに回してくれ」
「了解致しました……他には何か?」
「……セラ……代行者ドレイクを見なかったか?」
「――ルイス様、私は此処です」
彼女の行方を尋ねれば、背後から声が聞こえた。
途中から誰かが近づいている事は気づいていた。
十中八九が彼女であろうとは思っていたが……困ったものだな。
ゆっくりと振り返り、仮面越しに彼女を見る。
真っ白な耐熱コートを羽織り、フードを目深く被ったセラ。
海のように澄んだ青い瞳は私を見ていて、綺麗な顔で微笑えんでいた。
私はそんな彼女に笑みを向けながら、音も無く背後に立つのは止めるように忠告する。
すると、セラはハッとしたような顔をしてから両手で口を覆う。
申し訳なさそうな顔をしながら、彼女は小さく頭を下げた。
「……申し訳ありません。ルイス様の思考の邪魔をしないようにと思うばかりに、また私は……」
「……君の私への心遣いは知っている。だが、そうまでして私に遠慮する事は無い。君は私と同じ代行者なんだ」
「……いえ、私はルイス様ほど優れてはいません。代行者という地位も分不相応だと常々思っています……ですが、ルイス様の右腕になれるのであれば、何時の日か相応しい人間になります」
「……君はもう十分過ぎる程だよ……魂の修復が間もなく完了する。君も見ておいてくれ」
「了解致しました」
彼女は私の後ろに立ちながら、死体へと視線を向ける。
簡易的なテントが張られたその下に置かれた死体。
黒い布に覆われたそれを見てから、機材を調整する人間たちを見る。
そうして、時を待ちながら死体をジッと見つめて……灰燼を使った人間……いや、異分子か……無事なのか?
観測できる中で存在する進化したエネルギーは三種類ある。
三種類の中で比較的到達しやすい赤いエネルギー”
誰かを慈しみ癒し守る事を願うものにのみ扱う事が出来る白いエネルギー”
そして、全てを破壊し暴力の限りを尽くす者が欲する黒いエネルギー”
赤はその二つに至る者たちの通過点。
重要なのはその二つで、白は放置していても問題ない。
白いエネルギーを扱える人間は、危険度はそこまで高くはなく。
脅威とは成り得るだろうが、すぐに大事件を引き起こす可能性は限りなく低い。
問題なのは黒いエネルギーである灰燼を扱える人間たちだった。
破壊衝動が抑えられないほどに溢れて。
それが表面上に見えるほどまでに至った結果がそれだ。
誰かを殺す事、何かを破壊したい衝動。
それらを抱えた人間が強大な力を持ったとすればこれほど恐ろしい事は無い。
ましてや、扱える人間が現れる事自体が珍しいのだ。
……SAWの万象によって生み出されたエネルギーか。それとも、我々と同じか。
何方にせよ、調べなければ分からない。
普通のエネルギーでは覚醒する事はあり得ない。
災厄のような特殊な事例ならまだしも、今回灰燼を使ったと思わしき者は人間だ。
神でも無いのなら、足りないものを技術で補うしかない……が、妙だ。
万象や我々の扱うエネルギーを使ったのであれば。
少なくとも、この空間に”残滓”が残る筈だ。
普通のエネルギーであろうとも、メリウス同士が戦えばエネルギーの残滓が残る。
少なくとも一月ほどは残る筈なのに、此処には灰燼のエネルギーが残っていなかった。
到着したのが三日前で、戦闘が起きたのがおよそ二週間前だと分かった。
それならば、残滓が残っているのが普通だ……だが、それが無い。
進化したエネルギーを見た事はある。
灰塵が発現し戦闘が起きた場所も調査した事がある。
その時も、エネルギーの残滓は確かに残っていた。
だからこそ断言できる――この現場は異常だ。
残滓が残らず、灰燼を使った筈の人間は生きている。
ただの人間が灰燼に呑まれる事無く逃げおおせて。
周囲の街にも被害は出ていない。
魔王や彼と戦った傭兵も特別な存在だった。
だからこそ生きていたと言うだけで……やはり何かあるのか。
魔王たちのような特別な何かがある。
だからこそ、生きながらえる事が出来たのではないか。
そうでなければ、この異常な現場も使用者がいない事も説明できない。
少なくとも、戦っていたであろう男の死体は此処にあるんだ。
ならば、此処で戦闘が起きていた事は紛れもない真実だろう。
「――ルイス様、準備が整いました!」
「……起こしてやってくれ」
「ハッ!」
カタカタとコンソールを叩く部下。
それを一瞥してから、拘束された傭兵を見つめる。
考えても埒が明かない。ならば、戦っていたこの男に――直接、聞くほかない。
コンソールを叩き終えて、男の体にエネルギーが注入されていく。
そうして、男の体がドンと跳ねてビクビクと痙攣を始めた。
私たちはそれをジッと見つめて……男は静かになる。
ゆっくりと男が顔を上げる。
そうして、低い声で静かに言葉を発した。
「……此処は、何処、だぁ?」
「……君が死んだ場所だ。アンドレー・バッカス」
「……私が、死んだぁ? 何を……いや、そうだ……私は、死んだんだ……く、くくく、くふふふ」
傭兵は不気味に笑う。
自らの死を理解し受け入れている。
タフな精神とかではない。単純に自分が死を経験したという事実を喜んでいるだけだ。
こういう手合いは自分の好奇心を満たせればどんな結果であれ良いと言う輩が多い。
例え死んだとしても、満たされればそれでいい破綻者たちだ。
チラリとセラを見れば、彼女は無表情でありながら冷ややかな目を男に向けていた。
「……それで? 私を地獄から呼び戻して、何をさせたいんですかぁ?」
「……君に聞きたい事は一つだけだ……此処で君と戦い。君を殺した人間は誰だ?」
私は率直に聞いた。
すると、男はくつくつと笑いながら言葉を発した。
「素直に教えるとでも? 教えて欲しいのなら条件が――あがああああぁぁぁ!!!?」
彼が私に対して要求を言おうとした瞬間。
彼はまるで、体内に高圧電流を流されたように体を震わせる。
我々はそんな彼をジッと見つめていた。
やがて、耐えがたい苦しみが終わり。
彼はか細い呼吸を繰り返しながら、何が起きたのかと戸惑っていた。
私はそんな彼に対して親切心で教えてあげた。
「あまり我々を舐めない方が良い。君は私の質問にだけ答えなければならない。それ以外は不要であり、私の時間を浪費させればそれ相応の罰が待っている……理解できたかな?」
「……は、ははは、はははは……いい、ですねぇ。そういう人、凄く好きですよぉ……まぁ蘇れただけでも、十分でしょうし……その人間の名はナナシ……Dランクの傭兵で、アンブルフという機体に乗って、戦っていましたよぉ」
「……ナナシ……頼んでもいいかな」
「……承知致しました」
セラに頼めば彼女はテントから出て行く。
そのナナシという人間についてはすぐに調べがつくとして。
問題なのはどうその人間と接触しるべきかだろう。
馬鹿正直に身分を明かしてしまえば、色々と警戒される恐れがある。
いや、そもそも灰燼を使う人間が真面である可能性の方が低い。
出会い頭に殺される場合もあるだろう……だがDランクの傭兵とはな。
恐らくは、軍人か傭兵かとは思っていたが。
灰塵を扱えるほどの人間がどうしてDランクなのか。
灰塵を扱えるだけでも、Aランクになれる可能性は十分にある。
それだけ進化したエネルギーは危険であり、紛い物であろうとも厄介だ。
にも拘わらず、その男はDランクで……ランクを偽装しているのか?
偽装しているか。或いは、傭兵になったばかりなのか……何れにせよ。何故、名が広まっていない。
覚醒するほどの腕ならば、その名が広く知れ渡っている筈だ。
ネームドとしての実力があるのなら、私でも憶えているだろう。
しかし、ナナシという名前を聞いても心当たりがまるでない。
つまり、その傭兵は今まで無名であった……爪を隠していたのか?
いや、それならばどうしてこのタイミングで力を使った。
こんな男を殺す為だけに灰燼を使ったというのか。
それはあまりにもリスクとリターンが合っていない。
私は顎に指を添えながら考えた。
が、幾ら考えてもまるでこの謎が解ける気がしない。
……いや、待て。今まで無名で、この意味不明なタイミングで覚醒したのなら……意図せぬ覚醒か?
その可能性がかなり高い。
だとするのなら、今まで無名であったことにも頷ける。
このタイミングで覚醒し、力が発現したのであれば彼は……いや、それならどうやってそれを?
力がこのタイミングで発現したとして。
どのルートで元となるエネルギーを手に入れた。
万象の技術を使った機体は限られており、一般市場では出回っていない筈だ。
そもそもが、此方からの認可を受けずに出そうものならすぐにその情報が回って来るだろう。
不正に得たものであるのなら、整備をする人間に知識がなければならない。
いや、それ以前にエネルギーを補充するにはSAWに……得体が知れない。
SAWが此方を出し抜いて機体を提供した可能性。
限りなくゼロではあるが、可能性としては存在する。
だが、そんな事をしても彼らにメリットはない。
災厄ほどの敵を討つ為ならば理解はできるが、今回、その傭兵が戦った相手はただのネームドの傭兵だ。
名を上げたいだけなら他にも相応しい相手はいる。
殺したい事情があったらのなら理解できるが。
それなら特別な機体を使わずに、数を用意するか他の傭兵に助力を乞えばよかった筈だ。
傭兵であれば金さえ積めば動いてくれる人間は多くいる。
同じようなネームドが二,三人もいれば態、灰燼というリスクの多いものを持ち出さずに済んだ筈だ。
意図せぬ覚醒の可能性が濃厚でも。
その元となるものを提供した組織が不明だ。
あり得ないだろう……先ず私が提供する側の立場なら絶対にそうしない。
機体を与えるリスクを冒してまで、人殺しの片棒は担がない。
ただ名を上げたいだけや大層な理由があろうとも、あの方に逆らってまでするような事ではない。
それで得られるメリットは無い。寧ろ、デメリットしか存在しないのだから……では、何処からエネルギーの調達を?
残滓が残っていたい事と何か関係があるのか。
もしかすれば、我々が知り得ないエネルギーを使った可能性もあるが……ナナシという傭兵は何者だ。
考えれば考えるほどに謎が深まる。
まるで底なし沼のようであり、私は薄く笑う。
すると、拘束された男はくつくつと笑っていた……そろそろ解放してやろうか。
「……ありがとう。もう十分」
「――私を使えば、彼の力が見れますよぉ?」
「……先ほども言った筈だが、理解できなかったのかな?」
「――うがあぁぁぁ!!?」
男はまた苦しみを味わう事になった。
体を陸に上げられた魚のように跳ねさせて――奴は笑う。
「彼の、力を出したのは、間違いなく私だァ!! 彼の大切な存在を殺した、私を――っ――彼は心から殺したがっているんですよォォ!! 誰でもない! 私だから!! 彼は!! 彼はああぁぁぁ――――…………」
「……」
受ける痛みに耐えられず。
彼は糸が切れた人形のように脱力する。
体から煙を放ちながら、肉の焼け焦げる臭いを放つそれ。
二度目の死であり、彼はもう何も話せない。
それでも、彼が私に対して自らを売り込んできたのは分かった……駒として使えと言う事か。
こいつは取るに足らない傭兵だ。
ネームドであろうとも、この男よりも優れた人間は幾らでもいる。
生かしておいたとしても本来であれば私にメリットはない。
だが、本当にこの男がナナシという傭兵の力を引き出すトリガーになりえるのであれば……面白いかもしれないな。
「……」
私は少し考えた。
そうして、自らの意思でこの男の運命を決めた。
顔を上げてから傍に控えていた部下に対して命令を与える。
この男を生体工学研究センターに送り――”肉体の修復をした上で厳重に保管”しておくようにと。
部下は戸惑いながらも敬礼をして死体を運ぼうとする。
私は踵を返してその場から離れて……ゆっくりと足を止めた。
野に咲く一輪の花。
水分を抜かれたようなそれはしわしわであり、美しさの欠片も無い。
私は辛うじて原型を保っているそれを見つめる。
その場に膝をついてから、ゆっくりと指を近づける。
「……面白い事が起きそうだ……あの方と相まみえた時のような体験……”死んで蘇った”日のような――奇跡が起きそうだ」
指が花に触れれば、さらさらと粒子となり消えていく。
そんな姿に笑みを浮かべながら、私はナナシという男に強い興味を抱いた。
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